恋ってなんだろう?


「そっか。奈々ちゃんから最近誘いが来なかったのは、そんな理由があったんだね」

 のほほんとした口調で話すのは、何かと遊ぶ機会の多かったタケくんだ。

 大学近くのカフェで、私達は今、一緒にランチを共にしている。勿論、いかがわしい事は一切なしの、普通の昼食のお付き合いだ。
 あれから1週間。
 卯月さんと交わした約束を果たす為、私はこの1週間の間、逐一みんなと連絡を取り合って話をつけてきた。
 そして最後になる彼、タケくん。
 話したい事があると言えば、お昼ご飯に誘ってくれた。
 男ができたから夜遊びを辞めるなんて、今更身勝手すぎるような気もして不安を抱いていたけれど、タケくんは始終、ニコニコしながら話を聞いていた。
 まるで自分の事のように、嬉しそうに。
 その表情に、私への不満の色はなかった。

「奈々ちゃんが選んだ人なら、絶対、いい人だね。安心した」
「安心?」

 その発言に首を傾げた。
 タケくんは温和な性格で物腰も柔らかい。見た目や中身を見ても、遊んでる風には見えない。でも彼には、私を含めて7人のセフレがいる。
 恋人がいてもおかしくないのに、タケくん自身、それをほのめかすような発言をする事もあるけど、実際のところ、彼女を作ろうとしてる意思は見えない。はなから、作る気なんて無いんだと思う。
 うん、悪い男の子だ。
 でも、だから私達、気があったのかも。

「奈々ちゃんはいい子だからね。奈々ちゃんの人となりをちゃんと見てくれる人なら、任せても安心だろうなあって」
「でも、その人が好きなのかどうか、自分じゃよくわからなくて」
「え?」

 今度はタケくんが首を傾げる番だ。

「……え、本気で言ってる?」
「……うん」
「でも、どうみても奈々ちゃん、その人に恋してるようにしか見えないけど」
「こ、恋っ?」

 驚いた。
 私、卯月さんに恋してるの?
 そんな風に、周りからは見えるの?

「だって、その人が傍にいないと不安になったり、その人の言葉に一喜一憂したり。1日中ずっとその人のことばかり考えてるって、それってもう、恋でしょ」

 当然のように告げられて目を丸くする。
 そうなのかな。私、ちゃんと自覚出来ていないだけで、本当は卯月さんが好きなのかな。
 もう長く恋愛から遠ざかっていたせいなのか、いまいち実感が沸かない。中学生の頃は恋だってしてたし、彼氏がいた時期もあったのに、あの頃抱いていたキラキラな恋心が、全く思い出せない。
 恋心って、どうやって自覚するんだっけ。
 私、あの頃どうやって、恋愛してたっけ?
 うんうん唸りながら考える。
 頭をフルに働かせてみても、あの頃の感覚は取り戻せない。答えも出てこない。

「その人ってさ」
「?」
「奈々ちゃんのどこに惹かれたんだろうね」
「え……」

 ぱち、と瞬きを落とす。
 タケくんは相変わらずの爽やかな笑顔だ。

 卯月さんが、想いを打ち明けてくれた時。
 ただただ、驚きしかなくて。
 でも、タケくんに指摘されて気がついた。私なんかのどこを、あの人は好きになってくれたんだろう。
 もともと私は卯月さんにとって、ただの子供でしかなかったはずだ。抱きたいと思える対象でもなければ、異性として魅力的に思える対象でもない。
 どう頭を捻って考えても、卯月さんが私を好きになってくれるような要素はどこにもない。

「……彼好みの体型になった、から?」

 なんて答えを導き出して、すぐにそれを否定する。それはない、と。
 抱かれたかったら中身も磨いてこい、そんな風に言われた事もあったけど、例えその言い分に見合う女になったとしても、それで彼が私を好きになるとは思えない。
 卯月さんは、見てくれだけで判断する人じゃない。

「俺はわかるけどね」
「え?」
「その人が、奈々ちゃんのどこが好きなのか」

 フォークにパスタをくるくる巻き付けて、タケくんは食を進めていく。

「同じ男だからね。なんか、わかるよ」

 傍らにあるオニオンスープも口にする。
 そして今度は、チョコバナナパフェも注文した。
 タケくんは体が細いのに、よく食べる。

「それって、どこ?」
「内緒」
「えー……」
「そこはほら、奈々ちゃんがその人に聞かなきゃ」
「………」
「今のままじゃ、いつまでたってもウジウジ悩んじゃって前に進めないでしょ? だから、言葉にしてみたらいいよ。今のもやもやしてる気持ちとか、どこが好きなのかとか。この際、聞いてみたら?」
「………」

 タケくんの言い分は、一理あると思う。
 このまま悩み続けていても、現状は何も変わらない。

「うん……わかった。聞いてみる」

 素直に頷けば、タケくんが小さく笑う。

「そういう所が、好きなんだと思うけどね」
「……え、なにが?」

 何でもない、タケくんはそう言って、運ばれてきたパフェにも口をつけた。



・・・



 あの日以来、卯月さんはよく私の家に来る。
 私が浮気しないように、監視してるのかな。

「ナスは、切ったら水にさらしとけ。アク抜くためな」
「どれぐらい?」
「さっとでいい。最近のナスはアク強くないから」
「うん」

 卯月さんは、仕事から帰ってくる時間帯が大体決まっている。同僚との飲み会に誘われなければ、普段は大体、19時前に部屋に着く。
 最近は仕事が終わったら、そのまま真っ直ぐ私の所にやって来る。それから夕飯を一緒に作るのが、いつもの流れ。
 今日はれんこんやナス、ブロッコリーをご飯の上に盛り付けて、自家製のたれで味をつけた、野菜の甘辛丼。肉は入っていない。
 切磋琢磨している私達の背後では、くまちゃんが大人しく座っている。尻尾をゆらゆら揺らしながら、邪魔にならない距離をとって私達の様子を眺めていた。

「あと、事前に塩を振って10分ぐらい置いておけば水分が出てくるから、余分な油を吸い込まない」
「うん」
「ちゃんとキッチンペーパーで水分取れよ」
「はい、お母さん」
「誰がお母さんだ」

 ぴこ、と卯月さんの手が、私の頭をハンマーで叩いた。

 器にほかほかのご飯をいれて、その上に野菜を盛り付ける。甘辛醤油たれをかけて、白炒りごまを散りばめたら完成。
 白い湯気とともに、甘い香りが漂ってくる。

「おいしそう」
「うん、まあ上出来なんじゃね」

 毎度、審査が厳しい卯月先生からも高評価を頂けて、レパートリーも増えた。
 嬉しくて、気分も舞い上がってしまう。

「おなかすいた〜」
「早く食べようぜ。冷めたら美味しさが半減する」

 一緒に作ったコーンスープもテーブルに運んで、向かい合わせに座る。いただきますをして、タレでからめたナスを口にした。
 くまちゃんが前足をテーブルに乗せて丼の中を覗き込んでくるから、れんこんを手に乗せて食べさせてあげた。

「あの、卯月さん」
「ん?」

 ご飯を食べながら考える。
 お昼にタケくんから提案された件と、卯月さんと交わした約束の件。どちらを先に言おうかと躊躇して、とりあえず話しやすそうな後者を選んだ。

「えと、今まで遊んでいた人達全員と、今日でお別れしました」

 そう告げれば、卯月さんは目線だけを私に向けてきた。
 嬉しがっているような表情には見えない。
 喜んではくれないんだと、どこか落胆してる自分がいる。

「ふーん」

 卯月さんの視線が、再び丼の中に戻る。

「それだけ、ですか」

 別に褒めてほしかった訳じゃないのに、私は何を期待してたんだろう。あまりにも素っ気ない反応を返されて、ショックを受けるなんて。
 ……いや、褒めてほしかったのかも。
 全員と縁を切ってしまった以上、私にはもう、卯月さんしかいない。
 そう告げても興味なさげな返事だけしかくれなくて、急に不安に襲われる。本当に卯月さんは私を想ってくれてるのかな? って、勘ぐってしまう。

 改めて実感する。
 卯月さんの言葉や行動、仕草全部に、嬉しがったり怯えたり、落ち込んでいたりする自分自身に。
 今まで、ひとりの男の人にこんなに翻弄されたことなんて無い。
 そういう意味では本当に、この人は私にとって特別な人だと思える。
 ……やっぱり私、好きなのかな?
 卯月さんのこと。

「奈々」
「………」
「おい」
「あっ、ハイ」
「箸止まってる」
「あ……」

 卯月さんの丼はもう残り半分くらいの量に対して、私の丼はまだ盛りだくさんだ。
 考え事をしてると他の動きができなくなるのは、私の悪い癖かもしれない。
 一旦考えることを放棄してご飯に集中していると、向かい側からか細い声が聞こえた。

「……俺は」
「?」
「感情を表に出すのが、苦手なんだ」
「……?」

 ブロッコリーをもぐもぐしながら顔を上げれば、そこには遥かに仏頂面の卯月さんがいる。
 突然、何の話だろう。
 確かに、得意そうには見えないけれど。

「だから、何でもないような顔してるけど」
「? ……はい」
「内心浮かれてるから、余計な心配すんな」
「………!」

 ―――浮かれてる。
 その一言が、沈んでいた気持ちを一気に浮上させる。

 何とも思われてないのかも、そう感じてヘコんでしまった私に告げられたのは、真逆の意味を持つ言葉。
 ついニヤけそうになる顔を引き締めて、目の前の丼に視線を落とした。

 野菜が涙で歪んで見える。
 嬉しさがじんわりと滲んでいく。
 卯月さんの言葉に舞い上がったり落ち込んだり、最近の私はとても忙しい。
 でも、卯月さんもそうなのかな。
 私の言葉に、卯月さんも心が揺れ動いたりするのかな。

「何か言われた?」
「え?」
「そいつらに。嫌なこと言われなかったか?」
「……全然」
「引き留められたりとかは」
「ないです」

 元々、本当に割り切って遊んでいた人達だ。特に罵られることもなく、咎められることもなかった。
 むしろ、何故か1人1人から「ビッチ卒業おめでとう」と花束を贈呈されて、涙ながらに褒め称えられ、拍手喝采を受けた。よくわからない。
 それに私じゃなくても、彼らには遊んでくれる子達がたくさんいる。

「………」

 そう、たくさんいる。

 星の数ほどいる人の中で、なのに私達は、たった1人の誰かを好きになる。
 卯月さんの周りにだって、きっと私以上に魅力的な女の人が沢山いるはずなのに、どうして彼は私を選んでくれたんだろう。
 どうして私はこの人と一緒にいたいんだろう。
 楽しいから、という理由だけで片付けてしまうには、この人と一緒にいたい思いが強すぎる。
 少し前までの、自由だった生活を投げうってでも彼1人だけを選んだのは、ただ一緒にいると楽しいから、だけじゃないはずだ。

「……あの」
「?」
「卯月さんは、その」

 私のどこが好きなんですか。
 と、直接聞くのは勇気がいる。
 恥ずかしいし、この人が簡単に答えてくれるとは思えないし、卯月さんの性格を考えたら、こんな女々しい台詞を吐く女なんて嫌いなんじゃないかな。
 知りたいけど、卯月さんに嫌われるようなことはしたくな……………、

「………ああもう」

 グダグダ考えてるのが馬鹿らしくなってきた。
 タケくんの言う通りだ。1日中ずっと卯月さんのことばかり考えてる時点で、きっともう、好きなんだ。

 一緒にいる時間が当たり前になって、見えなくなっていた気持ち。
 今もまだ、ちゃんと見えていない。
 この人が好きだという実感が、どうしても自分の中に足りない。
 どうにかして、彼を好きな自分をちゃんと自覚したい。
 悶々としているだけじゃ、きっと何も見えてこない。

「奈々?」
「え?」
「いや、なんか話しかけてただろ」

 途中で言葉を切ってしまった私に、彼は訝しげな視線を向けてくる。
 卯月さんは私のどこが好きなのか、それを聞けたなら、私は彼を好きな自分を自覚できるんだろうか。

「卯月さん、あの、私」
「ん?」
「私、卯月さんのこと、好きだと思います」

 卯月さんの瞳がぱち、と瞬いた。

「ついこの間まで全然意識してなかったのに、今は卯月さんがいないと、寂しいし不安で。でも、そんな風に思い始めたのは最近だし、それが恋なのか友情なのか、まだ判断ができなくて。でも、やっぱり好きになりかけてるのかな……って、今は思います」

 胸の中のモヤモヤした気持ちをぶつけてみる。
 彼は黙って、私に耳を傾けていた。

「でも、まだ実感がないんです。そういうのって時間が経てば出てくるものなのかもしれないけど、私、早く自覚したくて焦ってるみたいで」
「……なんで焦るんだよ」
「それは……」

 だって、卯月さんは私に想いを打ち明けてくれたんだ。
 なのに私だけ、どっちつかずな曖昧な気持ちが宙ぶらりんになってる。それがもどかしくて、早く卯月さんの想いに応えたくて、でもハッキリ自覚できていないまま応えるわけにもいかなくて困ってる。
 待たせたままの卯月さんにも申し訳ないし、早く応えないと、卯月さんは私に見切りをつけて、別の誰かのところにいっちゃうかもしれない。
 ついこの間まで、そんな独占欲は無かった。
 なのに、今は想像するだけでも嫌だった。

 他の女の人の所にいかないで。
 私と一緒にいてください。

 ……鈍いなあ、私。
 もう、これは絶対、好きってことだ。

「すき、です」
「………」
「卯月さんが好きです」

 俯いてしまった私の視線の先には、まだ中身の残っている丼がある。
 ご飯食べながら告白とか、全然ムードないなあって思いながら箸を持ち直した。
 中途半端になっていた夕食を再開する。

「って、飯食うのかよ」
「だって、なんかスッキリしたからお腹すいた」
「空気読めよ」

 呆れたような声が聞こえた。

「奈々」
「なに」
「今日泊めて」

 はた、と箸が止まる。
 丼のみに注いでいた視線が、つい卯月さんへと向いてしまった。
 卯月さんは食べ終わったみたいで、器の上に箸を置いている。
 目を見開いている私を見て、可笑しそうに笑った。

「やっと、こっち見た」

 卯月さんの手がハンマーを握り、ピコ、と頭を叩いてくる。
 ぴこぴこと連続で遊ばれて、私は頬を膨らませた。わたし玩具じゃないのに。

「ご飯食べさせて」
「ご飯の前に、返事」
「………」
「泊まっていい?」

 話を流そうとしても無駄っぽい。
 だけど私は返事に迷った。
 卯月さんが今、私の部屋に泊まるって言ったその意図は、さすがにわかる。
 でも、まだ自覚できたばかりなのに、この展開は早くないかな。
 心の準備ができていないというか、いや、元ビッチのくせに準備も何もないかもしれないけど。今更純情ぶるつもりもないけれど。
 そもそも、一度そういう事をしてる仲でもあるわけで。

「俺にも自覚させろよ」
「……何を?」
「奈々が俺のものだっていう自覚」
「……わ、わたし物じゃない」
「わかってるよ。でも好きな女は抱いて実感したいんだよ」

 ぐ、と息が詰まる。
 なんて過激な発言をする人なんだろう。

 先日、彼に抱かれた日の事を思い出す。
 また、あの訳わかんない感覚に飲み込まれてしまうんだろうか。
 でも、あの感覚が何なのか、今は知りたい気がした。

 だから私は、小さく頷いた。
 もう一度抱いてもらえたらわかる、のかな。

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