パンドラの箱を開けたなら、1 松永さんの抱き方はとても丁寧だった。 淡い光が照らすベッドの上で、私達は複雑に絡み合う。荒い呼吸を繰り返しながら彼の背中に縋りついた。互いにバスローブを脱ぎ捨て、生まれたての状態で抱き合いながら快楽を貪り合う。 触れる指先は焦らす様に何度も愛撫を繰り返し、私の身体のあらゆる場所に、松永さんのキスが落ちる。壊れ物を扱うかのような触れ方は優しさを伴い、ゆっくりと時間をかけて、私を高みへと上らせる。まるで本物の恋人みたいに愛され尽くされて、これは女の子みんな堕ちますね……と頭の片隅で思ってみたりして。 「んっ」 余計な思考に意識が向いた瞬間、耳元に唇が触れた。思わぬ刺激を受けた身体が、ぴくっと快楽に震える。 「……考え事してるの?」 吐息交じりの囁きに腰が砕けそうになる。耳は性感帯のひとつだから、ここを責められるとあっという間に理性なんて崩れ落ちる。だから顔を捻って松永さんから距離を取った。蕩けていく頭の中でも、まだ冷静に状況判断できるだけの理性は残っているらしい。 「耳は、ちょっと」 やめてほしいと拒否を示せば、松永さんは切なげに顔を歪める。そんなつもりはなかったけど、無意識に声に不快感が出てしまった。 「どうして?」 「み、耳を舐められるのは嫌いなんです」 いや嘘だけど。全然好きだけど。ちょっと意地張った。 好きな男に耳元で囁かれるのは、女の子なら誰だって憧れるシチュエーションのひとつだ。例外もあるけれど、大抵の女の子は耳を責められたら弱いし、くすぐったさを通り越して快感すら覚える。ただし、それは好きな相手だけに限る。 松永さんは人として大好きだし、顔だって格好いいからファンではあるけれど。好きな人かと訊かれたら、それは違うと言える。 「……そっか。ごめんね」 寂しげな声に少しだけ胸が痛む。本当に申し訳なさそうに謝るから、さすがに態度悪かったかと反省した。 「み、耳以外なら大丈夫ですけど」 咄嗟にフォローを入れたところで墓穴掘った感が否めない。耳以外ならどこ触ってもいいと主張しているようなものだ。何のビッチ発言だよ、と内心自分に突っ込んでみる。ぶっこんでくれる輩がいないから、自分で突っ込むしかないのだ。 そんな私のボケを華麗にスルーして、松永さんの指先がつう、と私の鎖骨をなぞる。肌の薄い部分をくすぐるように撫でられて、腰がぞくりと震えた。的確に性感帯へと触れてくるのは、偶然なのか意図的なのか。この人のことだから、きっと後者だろう。 「……ごめん。ここ、ちょっとキスマークつけちゃった」 「……え、あ、別にいいですよ」 「見えないところだから安心して」 「あ、配慮ありがとうございます」 「うん……」 「………」 「………」 およそラブホには相応しくない、義務的な会話が辛い。喋れば喋るほど、険悪なムードが漂うのが目に見えてわかって虚しくなった。身体はちゃんと反応してるし、松永さんの愛撫も気持ちよくて感じているのは確かなのに、頭が妙に冴えていて気持ちが全然入ってこない。原因はわかってる。あくまでも自分は後輩だという態度を崩そうとしない私自身が、このムードをぶち壊していることに。 松永さんが今まで、どれだけ多くの人と寝たのか、どんな風に堕としてきたのかは知らないしどうでもいい。ただ私は絶対に堕とされたくない、という頑なな意思が、私の理性をかろうじて繋ぎとめていた。世の中にはセフレやワンナイトを楽しむ男女が多いと聞くけれど、私にはそのどれもが、理解しがたい行為だ。恋人でもない男と一夜だけ愛し合う行為なんて虚しいだけだし、何が楽しくてワンナイトするのかもわからない。好きな人と愛し愛されるセックスの方が絶対に幸せなのに、意味がわからない。 やっぱり私はワンナイトに向いていない人間で、一夜の遊び事に溺れるほど大人の遊びに慣れていない。受け入れようとしてみたものの、どうしても嫌悪感が拭えなかった。 気持ちが冷めていけば、身体の熱も急速に引いていく。薄暗い照明の中、気まずそうに微笑む彼の苦しそうな表情がうすらぼんやりと見えた。 松永さん自身も、この冷えた空気の意味を察しているんだろう。私に触れることを躊躇しているかのような、迷いに揺れた瞳に見つめられた時。私の心はあっけなく折れた。 「松永さん、まだ続けるんですか?」 「……え」 言った瞬間、場の空気が凍りついた。 「私、松永さんのこと尊敬してるから、いい後輩のままで居たいです。軽蔑したくないんです。だから、もうやめましょ? こんなことしても互いの為にならないと思います」 「………」 言いながら自分に拍手を送りたくなった。セックスの最中に、男に対してこんなイケメンなこと堂々と言える女なんて、世界中どこを探しても私だけじゃないのかな。なんて、 「……そう。なら、もう優しくしない」 「……は?」 私の思考を遮るように、松永さんの声が届く。宣言された言葉は不穏な響きを纏い、私の本能に危険信号を点滅させる。見下ろす彼の瞳から、穏やかな光が失われていくのを目のあたりにして、恐怖心が強まった。 多分、私は今、開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまった。……気がする。何故なら揺らめく彼の瞳の奥に、別の感情が入り混じったのを瞬時に感じ取ったから。それが怒りなのか情欲なのかはわからないけれど、間違いなくプラスの感情ではない。焦燥感に駆られて動けない私の身体は、今この場において酷く頼りなかった。 焦りは一瞬の隙を生む。乱暴なまでの勢いで顎を持ち上げられ、突然唇を塞がれた。噛み付くような野性的なキスで、松永さんは私の理性を奪い去っていく。 トップページ |