誰かこの状況を説明してくれ1


 松永さんの放った言葉が脳内をぐるぐる回る。意識させたいって何? どゆこと? え、頭悪すぎてマジでわからんのやけど……わからない私が悪いのか。
 自問自答を繰り返したところで、状況は何も変わらない。ただ、この流れは雰囲気的にあまり良くないと、それだけは本能的に感じていた。
 松永さんの視線を直視できなくて、視線をそらしてわざとらしく声を張り上げる。

「も……っ、へ、変なこと言わないでくださいよ〜。先に注文しちゃいますからね!」

 勢いよくリモコンを手に取り、「注文確定」ボタンを押す。無理やり空気を変えた感が凄いけど、この流れを断ち切れるなら不自然でも構わない。

 けど、ガンジー(松永さん)は手強かった。

「あっ、ほらほら! 松永さんも何か食べましょうよ! 私が代わりに注文しますから! カツ丼とかどうですか? ラーメンもあるし、」
「椎名さん」

 息巻くように喋り続ける私を、遮る形で松永さんの声が響く。バスローブが擦れる音と、不意に近付いていた彼の気配に緊張が走った。
 頬に触れた温もりに、一瞬びくっと肩が震える。隣から吐息混じりの微笑が、空気の振動で伝わってきた。

「俺、食べたいものがあるんだけど」

 放たれた言葉に目を丸くする。恐る恐る松永さんを見上げれば、口元に微笑を浮かべながら彼は私だけを見つめていた。
 胸の内まで見抜かれてしまいそうな鋭い視線に、変な汗がじわりと滲む。

「あ、じゃあ、注文しましょうか……?」
「いや、いい」
「え、なんで、」
「俺の食べたいものがこのメニュー欄にないから」
「え……」
「ねえ、何だと思う?」

 含みを持たせた問い掛けに思考が乱れる。指の腹ですう……っと撫でられて、じわりと甘い熱が生まれた。
 焦らすように滑る指先は、まるで愛撫をされているかのような錯覚を私に思い起こさせる。

「俺が今食べたいもの。何かわかる?」
「………」
「その顔は、わかってる顔だね」

 松永さんの口角が上がる。確信を得たように妖艶に微笑まれ、心臓がドクンッと激しく波打った。
 彼の言葉を否定するべきなのか、素直に頷くべきなのかわからない。どちらを選んだにしても、この状況を覆す展開は望めそうにもない。

「あ、の」

 いくら私が鈍くても、この状況が貞操の危機だってことぐらいはわかる。そしてこのままだと、彼のペースに流されてしまうことも。
 でも、そんな展開なんて私は望んでいないわけで、何とか知恵を搾り出してこの状況を打破しようとしても、焦燥感ばかりが募って上手くいかない。焦れば焦るだけ言葉が出てこない、という現象に見舞われていた。

 彼の真摯な眼差しが私を射抜く。金縛りにでもあったかのように動けない。まるで蛇に睨まれた蛙の気分だ。
 けれど、ここで救いの神の一手が降りる。ピンポン、とムードぶち壊しの軽快な音が室内に響いた。

「お食事置いておきますねー」

 施錠しているはずの扉が開き、女の控えめな声が耳に届く。ああホテルのスタッフさんだと理解した瞬間、不思議な安堵感が胸いっぱいに広がった。ここで安心するのもおかしな話だけど、この異様な空気から逃れたかった私に、第3者の彼女の声はまさに救世主のそれに近い。何より彼女は、最高の置き土産を置いてくれたのだから。

「あっ、タコのから揚げ届いた! 取りに行ってきます!」

 注文したフードは1品だけだったから、思っていた以上に到着が早かった。スタッフさんはすぐに部屋を出ていってしまったけれど、このベストタイミングで訪れた千載一遇のチャンスを逃してはいけない。今はこの人から離れなきゃ、そう思い立ち腰を上げて、扉へと向かう、

 ───はずだった。

「……っ!」

 立ち上がった瞬間、手首を強く掴まれた。
 そのまま強引に引っ張られて、強制的にベッドへと引き戻される。今度は肩を掴まれて、一気に視界が回った。
 身体ごと押し倒されて、松永さんが私の上に覆い被さってくる。見下ろされる格好になって、初めて自分が置かれている状況を理解した。のし掛かる重さに身動きが取れなくて、冷や汗がどっと溢れ出す。

「……そろそろ空気読もうよ、椎名さん」

 私の身体を組み敷きながら、松永さんは邪魔そうな前髪をさらっとかきあげた。見下ろす瞳は欲情を孕み、悪いオトコの顔をしてる。

 ………勝手だけど、すごくショックだった。
 松永さんにも、自分にも。

mae表紙tugi

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