だから早く俺のところに堕ちてきて9


「……え」

 私の一言に、松永さんがわかりやすく顔色を変えた。瞬時に表情が凍りついて、驚愕で目を見開く松永さんが、ごくんと喉を鳴らす。お互いの視線が絡み合い、不気味な静寂が私達を包み込んだ。
 胸に込み上げてくるのは、彼に対する罪悪感。彼氏になって、なんて、本気で思って告げた台詞なんかじゃない。彼が一番嫌がるようであろう言葉だと思ったから、わざと口にしただけだ。1回抱いただけで終わらせようとする行為が許せなくて、ムキになった。

 男の立場になって考えてみればわかる。簡単にヤれる女となんて本気で付き合う意味がないし、あまつさえ彼女になんて望んでもいないだろう。だからセフレは都合のいい女だと卑下されることが多いんだ。その"先"なんて絶対にないから。
 それをわかっていて思わせ振りな事を言っているのなら酷いと思う。少しは痛い目を見ればいいんだって、そう思うことで胸に湧く罪悪感を打ち消した。

 呆けた顔で私を見下ろしている松永さんは、何故か口を噤んで言葉を発しようとはしない。けれどその表情は次第に曇っていき、ついには眉間に深い皺まで寄ってしまった。不快な様を隠そうとしない彼の態度に、私は内心落胆した。

 ……なんだよ。「好き」なんてやっぱり嘘じゃん。期待して損した。

 彼氏という単語に嫌悪感を示すということは、つまりその枠には括り付けられたくないということ。「好き」とは簡単に言えるけど「彼氏」にはなりたくない、そんな男の身勝手な言い分がまかり通っていいはずがない。彼氏になりたくないなら「好き」なんて安易に言わなければいいんだ。小学生でもわかる話だ。

「やっぱりいいです」
「……え?」

 何が、という問いかけを視線で訴えてくる松永さんを一瞥した。

「続き、したいけど。明日も仕事じゃないですか。朝早いんですからもう休まないと。ほら、出勤時間もずらさなきゃいけないし!」

 極めて明るく振る舞いながら、この先を望む彼の言い分を退けた。このまま最後まで抱かれてもいいと思っていたけれど、それは彼に特別扱いされて嬉しかったから、そう思えたんだ。ようは心の持ちようだ。
 好意を寄せられて抱かれるのと、簡単にヤれる女だと思われて抱かれるのとでは全然違う。ただ遊ばれて終わりを迎えるような、虚しい繋がり方なんて私は受け入れられない。
 それに最後までシてしまったら、私は松永さんを本気で好きになるって確信があったから。それ程までに、私は彼に絆されてしまったから。

「……そうだね、休もうか」

 松永さんの静かな声に、胸がズキリと痛む。
 勝手なのは私も一緒だな、自らの意思で拒否しておきながらショックを受けるなんて。

「……はい、休みましょう」

 申し分ない程度に作り笑顔を浮かべれば、松永さんもぎこちなく笑う。ゆったりと微笑みながら、自らの指を私の指に絡めてきた。
 自然と繋がれる手に胸が高鳴り、心拍数が上がる。互いの肩を寄せ合いながら、コツンと額を突き合わせた。松永さんの黒い瞳に、頬を赤らめた私が映る。

 こうして間近で見ると、松永さんは本当に綺麗な顔立ちをしてる。切れ長の瞳はくっきりとした二重で、鼻筋も高く唇も薄め。恐ろしいほどにパーツバランスが整っていて、いつ見ても非の打ち所がない眉目秀麗の松永さん。漆黒の深い瞳は真っ直ぐに私だけを捉え、恥ずかしいような嬉しいような、むず痒い気持ちに駆られた。

「そ、そんなに見ないでください」
「なんで?」
「恥ずかしい」
「さっきまで恥ずかしいこといっぱいしてたのに」
「そういうイジリはいらないですから」

 むっとして言い返せば、松永さんは朗らかな笑い声を立てる。その砕けた笑い方は、初めて見る彼の素の一面だった。こんなに無邪気に笑える人なんだと知れば、ますます愛しさが募っていく。彼のしたことを酷いと思う気持ちもあるのに、プライベートな顔が見え隠れする度に、甘やかな感情が胸いっぱいに広がっていく。
 これは本格的に困った。本当に彼のペースに乱されっぱなしだ。

 そんな私の心情なんて当然知らない松永さんは、今度は私の腰に片腕を回し、ゆっくりと引き寄せた。広い胸に顔を埋めれば殊更強く抱き締められて、今更拒みたい気持ちも湧き起こらない私は大人しく、彼の温もりに身を委ねる。
 裸のままで抱き合うのは、恥ずかしいけど気持ちがいい。いい感じの睡魔が押し寄せてきて、静かに瞳を閉じる。気怠くも心地いいまどろみの中を意識が彷徨っていた時、「椎名さん、」と控えめに私の名を呼ぶ声が聞こえた。

「……ごめん、無理やり抱こうとして」

 小さな謝罪が耳元に落ちる。自分に非があることを、松永さんは率直に認めてくれた。
 けれど、元を辿れば全ての要因は私にあるんだ。何も危機感を抱かずにホテルへと誘ってしまったことが、この状況を生み出してしまったといっても過言ではない。私にだって落ち度はあるのに、自分の非を棚に上げて一方的に松永さんを責めてしまった。

「いえ、私こそ……たくさん生意気言ってごめんなさい」

 男の人はプライドが邪魔をして、自分から謝ることができない人も多いと聞く。でも松永さんは謝ってくれたし、私も謝ったことで刺々しい気持ちは無くなった。
 松永さんがワンナイトに対してどんな思いを抱いているのかはわからないけれど、少なくとも私は、あまりいい印象を抱いていない。一時的に受け入れようとしたけれど、結局、私と松永さんの思いは相容れないまま終わった。

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