だから早く俺のところに堕ちてきて8


 うっ、と瞬時に顔が強張る。その冷え切った声に不穏な空気を感じ取って、次に発する言葉を忘れてしまった。まさか機嫌を損ねるなんて思ってなくて、内心たじろいだ。

 松永さんが怒るのも仕方の無い話。相手が彼氏だろうとセフレだろうと、男に抱かれている最中に別の男の話をするなんて、普通に考えてもありえない。ましてや他の男の名前を呼ぶなんて論外だし、マナー違反だと罵られるのも当然だ。所詮遊び相手でしかない女に、そこまで怒らなくても……とは、思うけど。

「……な、名前なんか出してませんよ?」
「元彼って誰?」
「え?」
「誰?」

 ものすごい食いついてくる。
 というか、それを聞いてどうするんだろう。ますます彼の考えてることがわからない。

「……え、言ってもわかんないと思いますけど」
「俺の知ってる奴かもしれない」
「いや絶対知りませんから」
「だって律、西川高校でしょ」
「……?」
「俺、東高校だし」

 はたり、はたりと瞬きを落とす。かつて通っていた高校の名前が、突然松永さんの口から飛び出したことに驚いた。
 そして高校時代にまで話が遡った事にも違和感を覚える。この会話の着地点が、全く見えてこないんですが。

 ちなみに私の地元には、3つの高校が存在する。そのうちのひとつが西川高校で、目と鼻の先には東高校が聳え立つ。最後のひとつが大学附属高校で、中学の友達は全員、大学入学が可能な附属校に進学した。高校卒業後は就職する予定でいた私は、商業科目が中心の西川にひとり進学したんだ。

 松永さんが通っていたらしい東高は、中高一貫教育の有名な男子高校だ。西川商業は男女共学だけど、商業性の高さから生徒のほとんどが女でまとまっている。ほぼ女子校と変わらないようなところで、その西川の近くに有名な男子校があれば、そりゃあ話題のネタにならない方がおかしいというもの。西川女子の恋話ときたら、もっぱら東の男子生徒が対象になっていた。
 彼氏欲しさに東と接触を図ろうと企む女子もいれば、積極的に関わって連絡先を交換しまくっている女子もいた。それは西川だけじゃなくて、多分東でも、西川女子の話題は尽きなかったんだろう。距離が近い西川と東では、お互いの生徒との男女交際比率が高かったように思える。

 だから、私が高校時代に付き合っていた男が東高の生徒だと、元東生徒の松永さんが疑うのも納得はいく。ただ、私の元彼が誰なのかを知りたいという心理まではわからない。興味のない女の元彼なんか、松永さんにとってはどうでもいいのでは。

「元彼は東高の生徒じゃないですよ」
「本当に? 怪しいな」
「怪しくないですってば。本当です」
「西川と東って何気に交流深かったじゃん。同級の子も、西川の女子と付き合ってる奴が多かったし」
「確かに多かったけど、私の場合は違いますよ。別の高校の人です」
「………」
「え、そんなに気になります?」
「そりゃ……気になるよ」

 微妙な間が意味深な空気を生み出し、含みを持たせた言い方は要らない期待を滲ませる。なんで気にしてくれるんだろう、なんて思ってしまった時点で、私はもう松永さんの手のひらで踊らされているピエロか何かだ。どうしようもないな、なんて諦めに近い感情が生まれる。

「とにかく、松永さんの知らない人ですよ」

 この不穏な流れを無理やりぶった斬って強制終了させてみるも、松永さんはまだ納得していないような顔つきだ。整った眉を寄せて、訝しげに私を見下ろす瞳は不安げに揺れている。

「……松永さん、私が西川の生徒だって知ってたんですね」
「うん……俺さ、」
「はい」
「本当は高校生の頃から……律のこと、知ってた」
「へ?」
「うん」
「……え? そうなんですか?」

 さすがにそれは初耳だ。社内でもオフィスが同じ松永さんとは、話す機会こそ多いけれどプライベートな会話はしない。ましてや高校時代の話なんて、飲み会などの機会がない限り、話題に出るものでもない。だから松永さんが東高に通っていたことは知らなかったし、松永さんが数年前から私のことを知っていたという事実も、今日、初めて知った。

 でも、どうして私のことを知っていたんだろう。

 私が西川に入学した時、松永さんは高3だ。ということは、高1の頃の私を知っているという事。でも過去に、高校生だった松永さんと話した記憶はないし、それ以前に会ったこともない、と思う。私が忘れているだけかもしれないけど。

「前に会ったことありましたっけ?」
「……さあ? どうだろ」
「………」

 なんではぐらかす必要があるんだろう。

「……俺が律のことを知った時から、律にはもう、付き合ってた人がいたんだよね」
「え、そこまで知ってるんですか?」
「……元彼が羨ましい」
「え……」
「俺が律の最初の彼氏になりたかった」

 ……なんて残酷なことをぬかすんだこの人は。思わせ振りな態度も大概にしないと、いつか背中から刺されかねないことを松永さんはわかってない。思わせ振りが意図的なのか無自覚なのかは知らんけど、優しいイケメンから勘違いされそうな台詞を吐かれたら、普通の女子なら確実に堕ちてしまうのに。ワンナイトなんて嫌い! なんて言ってた私ですらこのザマだ。

 これ以上、松永さんの被害者が増えていくのは良くない傾向だ。もし無自覚なら質が悪いし、誰かがちゃんと注意した方がいいんじゃないのかな。だってこんなの、辛い目に合うのは女の子の方だ。
 気持ちも無いくせに好きとか言うし、好意を寄せているような態度で迫ってきて、挙げ句の果てに告白するような人。好きになってしまったら最後、ただの勘違いでしたなんて結末、惨めすぎて笑えない。

「……じゃあ、彼氏になってくださいよ」

 松永さんのやり方に納得がいかなくて、虚しくて、やり切れなくて。
 そんな投げやりな言葉が、口から零れ落ちていた。

mae表紙tugi

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