だから早く俺のところに堕ちてきて10


 先輩であれ後輩であれ、あるいは恋人であれ、相手なら自分の気持ちをわかってくれるべき、そんな互いの甘えが意見の衝突を招くこともある。
 人には人それぞれの考えや好みがあって、相容れない部分があるのは当然の話で、そこを頭ごなしに否定したり責め立てても仕方の無い話なんだって、いい加減誰もが気がつかなきゃいけない。

 今までの私は、ワンナイトに関しては絶対的な否定派だった。行きずりのセックスなんて女の価値を下げるだけだし、どうしても穢らわしいイメージが拭えなかったから。成り行きとはいえ自らが体験する羽目になったわけだけど、全てが終わった後も虚無感だけがしこりのように胸に残っている。2度としたいとは思わない。
 でも、嫌悪感はなかった。抱かれている間も松永さんは凄く優しかったし、私に触れる指先や唇は愛情がこもっていた。優しさに溢れた愛撫の数々をこの身に受けて、心がこんなにも満たされたのは初めての経験だ。そして、女として激しく求められる悦びを教えてくれたのも、他でもない松永さんだ。

 今まで抱いていたワンナイトへの悪印象は、松永さんのお陰でかなり払拭された気がする。身体だけで繋がるだけの行為、そこに至るまでの想いや考え方は人それぞれだ。きっと、色んな考えを抱いている人がいる。それでいいんだ。
 受け入れることができなくても、様々な考えや趣向があるのだと認めることができれば、どんな相手でも良好な関係を築いていける。分かり合おうとする努力や寄り添おうとする優しさは、きっと誰もが持っているはずのもので、人に分け与えることができるものだ。そうであってほしいとも願う。理解できないからといって相手の人格性を疑うのは、やっぱり違う。

 印象が変わったといえば、松永さんに対しても言えることだ。彼はただ優しいだけの先輩じゃない、一方的に怒ったり拗ねたり、時には意地悪したり、社内で見せていた彼とは違う一面に何度も驚かされたし傷ついた。その果てに、まさか恋心に近い感情まで抱いてしまうなんて。

 今日が終われば、彼と一夜を過ごしてしまった事を後悔するんだろうと思っていた。でも今は違う。このまま眠って朝を迎えても、私は彼に抱かれた今日の事を後悔しないと心に決めた。同時に芽生えたこの想いも、胸の奥底に仕舞い込んで隠し通すと決めた。
 松永さんは彼氏という枠に身を置くことを望んでいない。告げたところでこっちが傷つくのは目に見えている。振られる結果がわかってるのに、なけなしの勇気を振り絞って想いを告げる勇気なんて無い。なら隠しておいた方がいい。

 ……でもひとつだけ、訊いておきたいことがある。

「……あの、松永さん」
「うん?」
「今から私が言うこと、もし答えたくなかったら無視してくれて構わないんですけど」
「なに?」
「……もし。もしですよ。私に「好き」って言われたら困りますか……?」

 ゆらゆらと漂う睡魔の波に、何度も意識が飲まれてしまいそうになる。夢の世界に浸かってしまわぬように、重くなる瞼を強くこすった。
 このまま眠りに落ちてしまったら、彼との一夜が終わってしまう。ただの先輩と後輩に戻る前に、松永さんの気持ちをひと欠片でも知りたかった。

 この一夜の過ちが、この先の私の未来にどう影響するのかはわからないけれど、なんなら何も変わらない可能性の方が高いけど。私達の関係が変わることなんて、松永さんが一番望んでいないことだろうから。私も発展させる気はないし、だからこれ以上、私達の仲が進展することはない。
 明日から彼と顔を合わせる度に、きっと今日の事を思い出すんだろう。でも、何もなかったかのように平然としていなければならない。だから、芽生え始めた想いを忘れるキッカケが欲しいんだ。「困る」と言ってくれたらさすがに諦めもつくし、たとえ「困らない」と言われても、その先を望む言葉が彼の口から出なければ、過度に期待せずに済むから。この想いがまだ浅いうちに、本気になる前に打ち消してほしかった。

 私の問いかけに反応して、僅かに抱擁が弱まる。けれど松永さんも何も喋ってはくれなくて、私も口を閉ざしたまま彼の胸に寄り添う。雑音すら存在しない静寂の中、布団の擦れる音だけが時折耳に届く。

 ……無言、か。それが彼の答えなんだ。
 否定も肯定もしてくれないなんて、どこまでも思わせ振りなことをする人だ。忘れるキッカケすら与えてくれない。

「ごめんなさい、変なこと言っちゃいました。忘れてください」
「……椎名さん」
「このまま眠ってもいいですか……?」
「……うん、いいよ。寝苦しくない?」
「大丈夫です……あったかい……」

 甘くて優しい低音が鼓膜の奥に響く。ふわふわと押し寄せる睡魔に抗う術もなく、私は意識を手放した。






「……困らないよ」

 深い、深い夢の底に落ちた私に囁く、か細い声。

「……早く俺に堕ちてよ。身体だけ手に入れても虚しいだけだから……心が欲しいんだよ」

 そんな切なる訴えが、私の心に届くことはなかった。



【本編・了】


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