[60/71]
「わたしは…取り返しのつかないことをしてしまったの…」
「取り返しのつかないこと?」
ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべた老婆は、ワザと自供させようとしているように見えて、リルは下唇を噛んだ。
「里が、人間に襲われたの…わたしのせいなの…!」
「へぇ、そうかい…」
老婆は、そう言えば今日は上の方が騒がしかったねぇ、なんて白々しく零した。
里より更に深いところにあるこの洞窟までは人間には見つけられなかったようだが、だからと言って異変に気付かないほど遠くはない。
「もう、帰れない…!」
「だろうねぇ」
リルの心情とは裏腹に、老婆の声はどこまでも呑気だった。
他人事のようなその態度に憤りを感じるのは筋違いだと分かっていても、震えが止まらなかった。
それでも、引き金を引いてしまったのは自分だから、リルは拳を握りしめて堪えた。
「では、どうするのだ?あの里を出て一人で生きていけるのかい?」
「そもそも、生きている資格もない…」
「死にたいのか?」
「…っ!」
その問いに、リルは何も返せなかった。
分かっていても、いざ言葉にされると罪は重く圧し掛かった。
自分が死んでも誰かが生き返るわけじゃない。
それでも、それ以外に罪を償う方法なんて思いつかない。
どうしたらいいのか分からなくて、誰かに背中を押して欲しくて俯いていると、ずっと掴まれていた青い石が水中に放たれた。
「死にたいなら勝手におし」
「!」
そう言って踵を返す老婆の言葉が一瞬理解できなかった。
(なんで?どうして?里があんな風になってしまったのは、わたしのせいなのに…!)
思いもよらぬ言葉に唖然としていると、老婆はまるでリルの心を読んだかのように笑った。
「なんであたしが手を下してやらなきゃならないんだい?どこぞの神でもあるまいし」
「でも…!」
「あたしはただの魔女だよ。ただ不思議な力があるだけで、誰かを裁く権利も義務もない」
彼女が裁いてくれるのではないのか?
それが彼女の役目じゃないのか?
違うのならば、言い伝えはなんだったのか?
(じゃあ、誰が…誰が裁いてくれるの?)
行く先を見失って愕然としていると、老婆は呆れた様にため息を付いた。
「言っただろう?あたしは真に願う事しか叶えられない」
「真に、願う事…?」
「そうだ、あたしは優しいからねぇ。望まないことは叶えられない」
そう言う割には、その笑みはどこか不気味で卑しかった。
それでも、途方に暮れていたリルには、目の前のこの老婆しか頼りがなかった。
里の誰もリルを許さないだろう。
あの優しい祖父ですら味方にはなってくれなかった。
唯一シンだけが庇ってくれたが、彼に頼ることは同罪にしてしまう可能性がある。
「さぁ、お前はどうしたい?」
しわがれた手を差し出されて、リルはゴクリと唾を飲み込んだ。
もしかして、この魔女は他人の心の中が読めるのだろうか。
まるで誘導尋問のような魔女の問いに導かれて、リルも気付いていなかった心の奥底にあった願いが顔を覗かせた。
「わたしは…わたしの望みは…」
ユーサーの笑った顔が浮かんだ。
(ねぇ、本当に…あなたが…?)
そう思った瞬間、老婆の纏う雰囲気が豹変し、シワが増えた目尻と、卑しく吊り上る口が見えた。
まるで獲物に狙いを定めた猛獣の如く、絡みつく様な視線でリルを捕えた。
あぁ、やっぱり…不相応なことを願う悪い子は食べられてしまうのね。
2015/02/12