嘘と桜と苦いお茶

「夏油、浮気してるみたいなんだよね」



 傑も硝子もいない木曜日。自販機の前でコーラにするかカルピスにするか永遠と悩んでいる俺に、名前は突然そう言った。風で流れ込んできた桜の花びらを一枚一枚目で追いながら、どこか諦めたようにも聞こえる声は小さかった。



「浮気って、あいつ誰かと付き合ってたっけ?」

「うん。私と」

「は?」



 驚きのあまり飛び跳ねた指先が勢いよくボタンに当たり、ガコンと飲み物が落ちる音がする。「結局お茶にしたの?」と呑気な声に慌てて取り出し口に手を突っ込むと、出てきたのは迷っていたどちらでもない渋めの緑茶だった。ふざけんなよ、と小声で吐き捨てたが、それを気にする様子もなく名前は「それでね、」と話を進めようと目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。



「いやいや、まずお前らいつから付き合ってんの?」

「三か月くらい前から?」

「聞いてないんだけど」

「じゃあ今言った。それでね、」



 俺の様子などお構いなしに話し続ける名前は、地面に散らばる桜の花びらをつまんでは風に乗せるようにして指を離した。再び宙を舞った花弁は俺の横を通り過ぎて、また地面に落ちていく。なんでも、傑は最近パンピーの女と頻繁に連絡を取り合っては、名前に内緒で会ったりしているらしい。さすがに三か月で浮気はないだろとか、傑はそんなことしないんじゃないかとか、まず頭に浮かんだのはいたって普通の、二人の友達としての感想。そんな頭の反対側で、つけ入るなら今しかないと素直な自分が顔を出す。名前が傑と付き合っているのを知ったのはたったの三分前。そのずうっと前から俺は名前が好きだったし、なんならめちゃくちゃ脈ありだと思っていた。それがどうだ、名前は知らない間に親友の女になって、あろうことか俺に相談事を持ち掛けている。俺は失恋したんだと飲み込む間もなく舞い込んだチャンスに、心臓が跳ねるばかりだった。



「最低だな。なんで別れないの?」

「だって……」

「傑なんてやめて、俺にしとけばいいのに」



 俺は浮気しないよ、と親友との差を見せつけるように付け足すと、名前は一瞬目を丸くしたが、すぐに笑って「冗談やめてよ」と言った。俺としては割と勇気を出して言ったことだったのに、いつものノリだと思われたことが悔しい。もっと普段から真摯に向き合っていればよかったと後悔した。名前の髪についていた花びらを取って手のひらに乗せると、花びらはすぐに風に吹かれて飛んで行った。



「冗談じゃねえよ。前からお前のこと好きだったし」



 二人して自販機の前にしゃがみ込んで桜をいじりながら。なんて味気ないシチュエーションだろうと自分でも思う。場所とか雰囲気とか言葉とか、そんなことを考える余裕なんてなかった。ただ傑に浮気をされて傷ついている、隙だらけの名前の気持ちがどうしたらこちらに傾くのか、それしか頭になかった。真っすぐに名前の瞳を見つめると、さっきまで冗談だと笑っていた頬がみるみるうちに桜色に染まっていく。押すなら今しかないとぐっと体を近づけると、名前はすぐに顔を逸らした。



「ごめん!」



 期待とは反対に強く紡がれた言葉に、盛り上がっていた気持ちがだんだんと沈んでいく。俺は振られたのか?浮気をするような奴に負けたのか?ちょっと前まで少し押せばいけるんじゃないかと思っていた自分を殴ってやりたい。



「……ま、そうだよな。お前は傑と」

「そうじゃなくて!あの、えっと、」



 勢いよく立ち上がった名前は、未だ頬を赤く染めたまま慌てたように手を突き出した。なんだよ、としゃがんだまま見上げると、視線をきょろきょろと落ち着きなく彷徨わせた名前はごめんともう一度謝って、「今日はエイプリルフールだから」とスカートを握りしめて俯いた。夏油と付き合ってるっていうのも、嘘。名前の言葉に一連の流れを理解して、一気に体温が上がる。嘘。え、嘘?驚きすぎて言葉を失っていると、名前は再びしゃがみ込んで上目遣いで俺を見つめた。



「五条が私を好きって、ほんと?」



 照れているような勝ち誇ったような笑みを浮かべた名前に、してやられた、と恥ずかしさがこみ上げてきた。俺が名前を好きだってことはもうバレているのにどうしても素直になれなくて、「知らねー」とだけ吐き捨てて俺は苦いお茶を名前に押し付けた。









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