明日をかじる

「ただいまぁ〜」

「おかえり。遅かったね、残業?」

「ちょっと飲んできた」



 一人暮らしの家に帰るとすでに電気がついていて、扉を開けたらいつものスニーカーが目に入った。いつでも来ていいよと合鍵を渡した恋人のものだ。履き潰したパンプスを脱ぎ捨てて部屋に続く扉を開ければ、思った通りの人物がソファの上で雑誌を広げたままこちらを振り返った。一日中歩き回った足は痛いし頭はアルコールで回らないしで、スーツを脱ぐのも面倒くさくてそのままベッドに飛び込めば、恋人はグラスにお水を入れてベッドサイドのテーブルにそっと置いてくれた。



「めっちゃ疲れてんね。着替えないとシワになるよ」

「ゆーじ、ストッキング脱がせて」

「なにそのお願い。結構酔ってる?」



 お酒くせ〜と言いながら悠仁はお疲れさまと私の頭を撫でると、言われた通りにスカートの中に手を忍ばせる。こんなことをしてもいやらしく感じないのが悠仁らしい。するするとストッキングが足から抜かれていき、締め付けられていた足が解放される感覚に息を吐いた。浮腫んでるね、とついでに脹脛を程よい強さで揉んでくれるサービス付きで、疲れた体がほぐれていく。できた彼氏だ。



「お風呂ためてるよ。入浴剤も、この前買ったやつ入れてある」

「花びら浮かぶやつ?」

「それ。すげぇいい匂いだった」

「じゃあ悠仁も一緒に入ろ」



 連れてって〜と両手を広げてアピールすれば、悠仁は少し嬉しそうに笑って私の体を軽々と抱き上げ、バスルームに向かう。いつもはお風呂に誘われても恥ずかしいから断るけれど、今日は悠仁に甘えたい気分なのだ。お花の入浴剤も一緒に楽しみたいし。

 悠仁は私を優しく床に下ろして、そのままシャツボタンに手をかけた。あっという間に着ていた全てを剥がされて、悠仁も全てを脱ぎ捨てて、一緒にシャワーを浴びて、お待ちかねの浴槽に体を沈める。じんわりと全身に広がる熱と、フローラルの香りが広がって心地いい。水面にはたくさんの薄桃色の花びらが浮かんでいて、少しだけリッチな気分になった。



「やっぱ二人で入ると狭いね」



 悠仁の膝の上に乗せられて膝を折り曲げるけれど、一人暮らし用のバスルームでは少々手狭だ。背中がぴったりと密着して、厚い悠仁の胸板を意識してしまう。私の肩に顎を乗せた悠仁は、今度は腕をマッサージしてくれた。



「名前、少し痩せた?」

「最近忙しかったから、あんま食べれてないかも」

「営業ってそんな忙しいの?」

「今は繁忙期だから」




 悠仁の頭に頬を擦り寄せたら、ぎゅっと抱きしめてくれた。

 呪術師を辞めて2年。七海の言う通り労働はクソだ。毎日のように怒られて、こき使われ、走り回っている。正直この仕事に意味なんて感じられない。それでも私が呪術師を続けなかったのは、やっぱり素質がなかったからなんだろう。



「働くってしんどい。手っ取り早く宝くじでも当てて一生遊んで暮らしたい」

「はは、それ楽しそうだな。ちなみに前回の結果は?」

「3,000円当たった」

「億万長者には程遠いなぁ」



 そろそろ上がろうか、と浴槽から抜け出してお互いの体をタオルで拭き合って、パジャマ代わりのスウェットに身を包む。悠仁は私の髪を触るのが好きらしく、お風呂上がりは決まって髪を乾かしてくれる。今日はとても疲れていたから、髪を乾かすのもそこそこに二人でベッドに並んで寝転んだ。電気を消して、おやすみのキスをする。大抵はこのキスでお互い我慢出来なくなってしまうけど、私の目が閉じかけているのに気付いて、優しく触れ合わせただけで終わらせて、代わりに頭を撫でてくれた。心地いいリズムで撫でられていると、次第に瞼が重くなって、体がベッドにより沈んでいく感覚がする。



「さっきの話だけどさ」

「ん?」



 半分夢の中に消えかけている頭で返事をすれば、悠仁は笑って私の頭に口付けた。



「俺、もっと強くなって稼げるようになるよ。そしたら、仕事辞めて一緒に暮らそ」

「………それって、悠仁のお嫁さんにしてくれるってこと?」

「うん、そのつもり」



 上体を起こした悠仁は私の頬に手を添えてするりと撫で、「だから、俺と結婚してくれる?」と少し掠れた声で囁いた。薄暗さになれた目には悠仁の染まった頬がしっかりと見えて、あの悠仁が緊張していると思うと、胸が苦しくなった。眠かった頭はどこかに消えて、もちろん!と勢いよく悠仁の首に手を回して抱き付けば、良かったぁと安心したような体重をかけられ、再びベッドに体が沈んだ。嬉しい、大好き、と自然と言葉が溢れてきて、悠仁が俺もと返してくれればそれだけで心が満たされる。幸せって、こういうことを言うんだな。この幸せがたくさん広がって、呪いなんてなくなってしまえばいいのに。



「明日俺が朝ごはん作るからさ、もう少しだけ付き合ってくんない?」

「それは、いちゃいちゃのお誘いですか」

「うん。今日はまだ寝かせたくない」



 絶対優しくするから、と耳元で囁かれれば、それだけで私の体の熱は上がっていく。「私も、まだ寝たくない」とその言葉を合図に、先程は触れただけだったキスが嘘のように深く口付けられた。いつもより多く囁かれる愛の言葉たちに頭が蕩けて、私はされるがままに目を閉じた。

 翌日、結局二人とも寝坊して朝ごはんは抜きだったけれど、それもまたいい思い出になった。それからしばらくして、野薔薇と伏黒には婚約の報告をした。二人にどこでプロポーズされたのかと聞かれ、悠仁がバカ正直にベッドの上で、なんて答えてしまったせいで、二人からはしばらくゴミを見るような視線を受けることになった。








タイトルは「溺れる覚悟」より



prev | index | next
[bookmark]



- ナノ -