夏の夜の逢瀬

「悠仁、コンビニ付き合って」

「え、今から?」

「うん。寝る前にどうしてもコンビニ限定のジュースが飲みたい」



 涼しくなったとはいえまだ夏の暑さが残る夜。財布とスマホだけ持って悠仁の部屋をノックすると、寝る準備をしていたのか濡れた髪を乾かしているところだった。彼の部屋の時計を見れば短い針はもうてっぺん付近をさしている。「まあいいけど。ちょっと待ってて」とドライヤーを置いて部屋の奥へ行く悠仁を壁にもたれて待ちながら、天気予報のアプリを開いた。今日の夜は晴れ。もしかしたら星もちょっと見えるかもしれない。

 コンビニなんてよく行く場所なのに、夜中に行くとわくわくするのはどうしてだろう。部屋着にサンダル、荷物は財布とスマホだけ。特別なものなんて何もないし、夜遊びというには可愛すぎるのに、みんなには内緒で悪いことをしているような、そんな気分になる。



「じゃあ行こっか」



 寮の入り口に置いてある自転車に跨った悠仁は、後ろの席をポンポンと叩いた。この自転車はコンビニやちょっと駅前まで行く時用にみんなでお金を出し合って買ったものだ。といってもほとんど使われることはなくて、私と悠仁のこういうたまにあるプチデート用になっている。荷物を前のカゴに入れて言われた通りに跨ると、「名前、ちゃんと掴まってよ」と両手を引かれて悠仁のお腹の前で組んだ。まだ石鹸の香りが残る背中に顔を寄せて、少し冷たくなった空気と一緒に吸い込む。薄いシャツ越しの背筋と背骨に、口元がにやけた。



「んじゃ、しゅっぱーつ」

「お願いしまーす」



 ぐっと悠仁がペダルに力を込めると、ゆっくりと自転車が動き出した。街灯の少ないくらい道だから、ちゃんと安全運転で。少し前まで夜も寝苦しいくらい暑かったのに、このところはすっかりと秋の空気が近づいてきている。髪を揺らす風は気持ちいくらいの温度で、道脇の草むらから聞こえる虫の声は夏から秋へとすっかり模様替え中だ。こうして二人乗りで密着していても暑くないし、過ごしやすい季節になってきたと思う。気分がいいのか悠仁は鼻歌を歌いながら、首を少し左右に揺らした。人も車もいない真夜中の街にはカラカラとタイヤの回る音だけが響く。



「乗り心地はどうですか」

「んー。もうちょっとスピード出すとスリリングでいいかも」

「危ないからダメですー」

「けち」

「名前が怪我したら俺が嫌だもん」

「悠仁のそういうとこ、好き」



 前を向いたままさらりと嬉しいことを言う悠仁の背中に頬を押し付けたら、くすぐったいと背中が揺れた。

 心地いい風に揺られながらそういえば、と空を見上げる。テレビや雑誌で見る星空ほどではないけれど、真っ黒のキャンバスの中にところどころ光る星が見えた。東京でも星って見えるんだ、なんて思いながら上体を後ろに倒して星の数を数えていく。1、2、3…ちょっと大きいあの星はなんとなく名前がある気がする。天の川って見たことないけど、本当にあるんだろうか。夏の大三角、中学の時に学校で習った気がするけどなんだっけ。オリオン座は分かるけど、それが見えるのは冬だったっけ。



「名前?ちゃんと掴まってる?落ちそうなんだけど」

「ねえ悠仁、今日はちょっと星が見えるよ」



 上体を戻してもう一度悠仁の背中に顔を寄せる。「星かー。俺あんま詳しくないからなあ」と背中から直接悠仁の声が耳に響いて、なんだか不思議な感じ。



「今度星見に行こうよ」

「じゃあそれまでにちょっと勉強しとく」

「あとね、花火もやりたい」

「そういえば今年はやってなかったね。今日買ってくか」

「まだ売ってるかな?」

「なかったら今度買いにいこ」



 今頃寮で眠っているだろう同級生を思い出す。野薔薇は花火なんてってバカにするかもしれないけど、なんだかんだで楽しんでくれそうだな。伏黒って花火とかやったことあるのかなあ。悠仁はたぶん花火もって走り回るんだろうな。ってそれは私か。想像するだけでなんだか楽しくて、つい声に出して笑ってしまう。どうしたの、と手の甲を撫でられて、私は「はやく花火やりたいね」とだけ答えた。もうすぐ夏が終わって秋、冬がやってくる。それはそれで楽しみなことはいっぱいあるけど、やっぱり夏の特別感は夏だけのものだ。楽しいような、儚いような、眩しくてキラキラしてる、そんな感じ。今年はもう遅いけど、来年は海なんか行っても楽しいだろうな。まだ終わってもいないのに、来年の夏が待ち遠しい。



「悠仁、今日は寝たくないから、帰ったら一緒にホラー映画みよ」

「いいけど怖くない?」

「悠仁が一緒なら大丈夫」



 本当はホラー映画ってそんなに得意じゃないけど、やっぱり夏といえばホラーだ。夏は暑くて嫌だなんていつも文句を言ってるけど、いざ終わるとなると寂しいし、なんとかして取り戻したくなる。「じゃあポッポコーンとコーラも買わなきゃだな」とはしゃぐ悠仁につられて、私もわくわくと胸が高鳴ってきた。コンビニまではあと少し。まだ聞こえてくるセミの鳴き声に、もう少しだけ夏が続けばいいのに、と思わずにはいられなかった。




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