朝の秘め事

 夢から覚めた時は、どうにも自分のいる場所が分からなくなる。仄かに香る太陽の匂いと小鳥のさえずりが感覚を刺激して、もう朝か、と頭で感じた。まぶたの向こうはもう明るくなっていて、昨日はカーテンも閉めず、窓も少し開いたままで眠ってしまったことを思い出した。手を伸ばしてシーツを手繰り寄せると、するすると素肌に触れる感触に自分が裸であることもついでに思い出す。あれ、私、なんで服着てないんだろう。



「おはよう。まだ早いし、寝ててもいいよ」



 ふわりと髪を撫でられてつられるように瞼を開けたら、片肘をついた傑が私の顔を覗き込んでいた。すぐる、と寝起きの掠れた声で名前を呼べば、傑は私を抱き寄せて額に口づけてくれた。いつもは結われている肩まで伸びた傑の髪が、私の頬をくすぐる。ああそうだ、昨日傑が久しぶりに高専に帰ってきたから、夜に男子寮まで会いにきたんだった。それで、そのまま。



「もう起きるよ。おはよ」

「昨日はごめんね。体、きつくない?」

「だ、だいじょうぶです」



 抱きしめられたまま床に視線をやれば、脱ぎ捨てられたままの私たちの服が目に入って、昨日の夜に起きたことを思い出す。最近一級術師になった傑は単独の任務も増え、高専を留守にすることが多かった。すれ違うように私にも任務が割り振られて、一か月も会えない日々が続いていた。高専に入って、そして傑と付き合い始めてからこんなに長い期間会えなかったのは初めてだった。そして昨日の夜、傑が帰ってくると夜蛾先生に聞いた私は、いてもたってもいられずに傑の部屋に押し掛けたのだ。そうなれば高校生の、いわゆるお年頃の私たちがすることなんて一つしかなくて、シャワーを浴びることも忘れてすぐに衣服を脱ぎ捨てた。交わした会話も「おかえり」くらいのもので、それほどまでにお互いがお互いに飢えていたのかと思うと顔から火が出るほど恥ずかしい。いつもはどこまでも優しいのに昨日はいろいろとすごかったことを考えると、傑がいつもどれだけ私のことを大切にしてくれているかが分かる。誤魔化すようにシーツを顔まで引き上げれば、傑は寒いよねと有難いことに思い違いをして、開いていた窓を閉めてくれた。彼にはそういう、人に気を遣える優しいところがある。



「今回はどこに行ってたの?」

「四国の方で何件か。讃岐うどんを食べてきたけど、やっぱり本場は違うね。美味しかった」



 二人でシーツの中に包まって、肌をくっつけ合う。そういうことをするのもいいけど、こうしてただただ引っ付いて穏やかに会話をする時間も好きだ。人の体温って不思議で、肌で感じると心もぽかぽかと温かくなって安心する。首筋に顔を埋めてすうっと息を吸えば、少し汗の匂いがした。そういえばお風呂も入ってないんだった。でも、嫌な匂いじゃない。



「名前は?何してたんだ」

「私は歌姫さんと都内の任務に行ったり、あとは硝子と遊んだりかな」

「悟とは遊ばなかったのかい?」

「だってあいつ、傑がいないと私のこと苛めるから」



 私に傑を取られたって嫉妬してんのと付け足すと、傑は笑うだけで否定はしなかった。親友と呼べるほど仲がよくていつも一緒にいる二人だけど、傑は私との時間もちゃんと作ってくれる。悟はそれが気に入らないようで、デートの邪魔をしたり、私の半目の写真を傑に見せてゲラゲラ笑ったりしていた。あの写真を見せられた時は本当に殺意が湧いた。傑がそんな顔も可愛いよと笑ってくれたから、なんとか私は今も悟と同級生としてやれている。つまるところ、悟はまだ子供なのだ。ルックスがいいんだからさっさと女でも作ればいいのに。そしたら、私ももっと傑と二人きりになれるのに。



「あーなんか思い出したら腹立ってきた。もう今日は悟に会いたくない」

「昨日の夜はうるさくしちゃったしね。隣に聞こえてないといいけど」



 傑の一言に、サアッと血の気が引いた。そうだ、この隣は悟の部屋で、昨日は窓も開けたままだった。高専の寮は古いせいか、隣の部屋の物音がけっこう聞こえたりする。夜中なんかは特に。名前の声、大きかったもんねと爽やかに笑う傑が憎たらしくて胸を叩いたら、すぐに取り押さえられた。傑は基本優しいけど、たまにこうして意地悪を言うことがある。これがあの悟と仲良しでいる所以なんだろう。穴があったら入りたいとは、まさにこのこと。



「もう最悪!もう無理!もう死ぬしかない!」

「まあまあ」

「あいつに痴態を晒すなんて最悪すぎる!」



 腕を抑えられたままで喚く私に、傑はごめん冗談だよと申し訳なさそうに言った。え、冗談って?と問い返したら、腕を開放した傑は私の隣に仰向けに寝そべって伸びをした。



「悟は昨日の夜に任務に出たからいないよ。ちゃんと確認済み」

「なっ…にそれ!」

「ごめんごめん、悟を嫌がる名前が面白くてつい」



 まったく悪いと思っていないように手をひらひらと振った傑は、私が怒りで投げたスマホを見事キャッチしてみせた。そのまま起き上がって床に放り投げられた服を拾おうとベッドを抜け出すと、拗ねないでと傑の腕が腰に絡みついた。結局服を拾うことはできなくて、裸のままシーツの中に引き戻される。そのまま腕の中に閉じ込められて、ちゅ、と音を立てて唇を吸われる。抵抗の意味も込めて傑と名前を呼んでも、彼は口づけをやめてはくれない。少しずつ、拗ねていた心も強張った体も絆されていく。



「悟はいないんだ。寮でできるチャンスなんて滅多にないし、いいだろう?」



 それに私はまだ名前が足りないんだ、と耳元で囁くのは反則だと思う。甘い声に脳をどろどろに溶かされて、目を閉じて傑を受け入れることしかできなかった。結局授業が始まるギリギリまで愛し合っていた私たちは、早朝に帰ってきていた悟に「朝からあんあんうるせー。ヤるならホテルにでも行けよ」と大声で言われて、二度と傑の部屋ではするまいと心に誓った。








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