おめでとうの延長戦

「お前、俺と付き合えよ」



 去年のゲンマの誕生日。それはあまりにも突然の、告白と呼ぶには妙にあっさりとした提案のようなものだった。

 彼は、私が好きだと言った。長年友人として一緒に任務をこなしてきて、時には飲み歩いて、甘い雰囲気なんて一切感じたこともなかったのに。それも彼がつけた条件は、「来年の誕生日がくるまで」。まあ一年くらいならいっか、なんて軽い気持ちで承諾したものの。



「あー眠ぃ。最近忙しすぎんだろ」

「そう、だね」



 右肩に、ずっしりとした重みが寄りかかる。私たちは友達から恋人になった。だから、お互いの家に上がるのも、こうして寄り添うのも、別に変なことじゃない。当たり前、なんだけど。



(ゲンマが甘えるのって、なんか変な感じ…)



 額当てもとって、忍服も脱いで、完全なオフ状態のゲンマは、最近見る機会が増えた気がする。最初の頃はもっといつも通りのゲンマで、ちょっとかっこつけていたのに、いつの間にかこっちの方が見慣れた姿になってしまった。ゲンマは思っていたよりもスキンシップが多くて、今まで見ていた姿とのギャップに、私は未だに戸惑っている。



「なぁ、今日泊まってけよ」



 耳元でゲンマの声がする。隙だらけだった右手を握られて、ゲンマの指が私の手の甲をすりすりと行き来する。ゲンマの前髪が頬を撫でてくすぐったい。体の右半身だけがどうしようもなく熱くなる。



「それは…ちょっと…」

「…んだよ。別に何もしねーよ」



 私の指先の震えを感じ取ったのか、ゲンマは体を起こすと不貞腐れた顔で私の額をつついた。分かってる。ゲンマが、私の気持ちを考えてくれていることも、ずっと待っていることも。いくら恋人になっても、それはあくまで期間限定の話。ゲンマに全てを委ねられるほど、私の気持ちは固まっていない。それに、一度そういう関係になってしまえば、もう戻れない気がして。



「…ごめん。あ、でも、キスくらいなら」

「なんだよその基準」

「別に嫌ならいいけど」

「嫌じゃねーよ。……する」



 自分で言って、少しだけ後悔。そんなことはお構いなしに、ゲンマは私を逃がさないように背もたれと肘掛けに手をついた。ぐっと距離が縮まって、ゲンマの吐息が唇にかかる。今まで遠くでしか見たことのなかった顔が、すぐ目の前にある。そう思った途端、ぶわっと全身の毛穴から汗が吹き出した。



「ま、待って、近い」

「そりゃそうだろ。キスすんだから」

「あ、そっか…や、そうなんだけど、でもっ」

「もう黙ってろ」



 ゲンマの胸を精一杯押してみても敵うはずもなく、そっと、ゲンマの唇が重なった。時間で言えば、きっとほんの一瞬。それでも十分なほど、心臓が脈打って今にも破裂してしまいそう。ぎゅっと反射的に瞑っていた目をそっと開けば、ゲンマはあろうことか目を開いたまま、私をじっと見つめていた。



「………ッ!!!」

「はは、真っ赤」

「さっ…いあく!もうしない!」

「だめ、もう一回」



 バタバタと暴れてもあっという間に抑えられ、せめてもの抵抗にと顔をそらしたら今度は頬に口付けられる。結局少しずつ絆されて、ゲンマの少し乾いた唇が、何度も私の唇を啄んだ。キスひとつでこんなにも胸が苦しくなるなんて、私は、知らない。ようやく唇を解放したゲンマは、意地悪に、でも少しだけ嬉しそうに笑っていた。









 それから、ようやく恋人の距離感にも慣れた頃。夏の暑さから逃げるように待機所で休んでいたら、ちょうど任務終わりだったらしいライドウさんと久しぶりに顔を合わせた。



「久しぶりだな。2ヶ月ぶりくらいじゃないか?」

「言われてみればそうかも。最近みんな忙しかったもんね」

「ゲンマとはちゃんと仲良くやってんのか?」

「まあ、それなりに?」



 汗を拭いながら隣に腰掛けたライドウさんは、「そりゃ良かった」と明るく笑う。ゲンマとも仲の良いライドウさんには、私たちが期間限定の関係であることを話していた。最初は「なんだそれ」と顔を顰めていたけれど、今ではいい相談相手というか、喧嘩した時の仲介役というか、私たちの面倒をよく見てくれている。



「で、どうすんだ?」

「どうって、何が?」



 会っていなかった間に起きた出来事を話していると、さっきまで笑顔で聞いてくれていたライドウさんは突然真剣な顔をした。何か大事な約束なんてしてたっけと考えを巡らせても、そんな覚えはない。ぽかんとしている私に、ライドウさんは大きなため息を吐いた。



「何がってお前…来週だろ、ゲンマの誕生日」







 


 ライドウさんと話をしてから数日。私はなんの考えもまとまらないまま、ゲンマの誕生日を迎えていた。今日はたまたま皆の休みが重なっていたこともあって、馴染みの居酒屋で皆でお祝いをした。それから薄暗い帰り道を、いつものように2人で歩く。いつもと同じ、けれど、こうして手を繋いで歩くのは、あと少し。



「1年ってあっという間だな」

「そうかな、私は割とゆっくりだったけど。歳じゃない?」

「俺とそんなに変わんねーだろ」

「ふふっ、冗談だよ」



 夜は、暑い。繋いだ手はじっとりと汗ばんでいるのに、やけに心地いい。私に合わせた歩幅も、時折目が合うと優しく笑ってくれるのも。全部全部、私たちが恋人だから。もし友達に戻ったら、こんな時間も無くなってしまうんだろうか。そう思うと、少しだけ、寂しい。ゲンマといると楽しくて、安心して、ドキドキする。でもこれを恋と呼んでも良いのか、私には分からない。ただ、もう少しこの時間が続けばいいのに、なんて。



「…正直さ、1年も続くとは思ってなかった」

「何で?そういう約束だったでしょ?」

「てっきり俺は数ヶ月で『もう無理!』って音を上げるかと」

「そんなわけないじゃん!だって…」



 言いかけて、足が止まる。ふざけて笑っていたゲンマはすぐに気付くと、ゆっくりとこちらを振り向いた。さっきまでの笑顔が嘘みたいに、真剣な瞳が私を見ている。数ヶ月で飽きるどころか、この1年は本当にあっという間だった。こんなの初めてで、この気持ちをどう処理していいかが分からない。



「…だって、楽しかったから。ゲンマと一緒にいるの」



 繋がれたままの手が熱い。もうずいぶん馴染んだその体温も、優しい視線も、全部がいい思い出で、この体に焼き付いている。



「なんだよ、惚れたか?」

「そ、れは」

「ばーか、冗談だよ」



 いつもみたいに笑ったゲンマは、一歩近づくと上体を屈めて私の頬に口付けた。もうすぐ日付が変わる。タイムリミットが近づいている。この頬へのキスも、これが最後になる。そう思うと、胸の奥の奥がずっしりと重くなる。もし、もし今日で終わったら、ゲンマはいつか他の人と。



「俺も楽しかったよ。1年間、ありがとな。いいプレゼントだった」



 ぽん、と頭に乗せられた手。ゲンマは笑っているけど、少しだけ寂しそう。それが分かるのは、この1年ずっと側で見てきたからだ。ゲンマを好きになったどうかなんて分からない。でも、今ここで終わってしまうのは、嫌だ。



「じゃ、明日からはまた…」

「待って!」



 友達で、なんて言いかけたゲンマの襟元を引っ張って、私は無理やりその口を自分の唇で塞いだ。勢い任せでぐらついた体を、すぐにゲンマが抱き止める。ムードも何もない、下手くそなキス。自分からキスをしたのは、生まれて初めてだった。驚いて固まるゲンマにしがみついたまま、私は緊張で早くなった呼吸を整えようと息を吐いた。



「ゲンマを好きかどうかは、まだよく分かんない。分かんなかったから、だからっ」



 頭の中をいろんな感情がぐるぐると回る。何一つ整理できていないままで、私はただ思っていることを口に出した。



「1年延長ってのが今年の誕生日プレゼント…っていうのはどうですか」



 きっと、私の顔は真っ赤だ。襟を握りしめたままの告白まがいの言葉はちゃんとゲンマに届いたようで、みるみるうちに彼の顔が赤く染まっていった。



「お前…それはちょっとずるくねーか…」

「やっぱりダメだった…?」



 空いた手で顔を覆ってしまったゲンマはハァと大きなため息を吐いた。やっぱり都合が良すぎただろうかと離れようとすると、ゲンマは腰に回した手に力を込めた。ぐっとさらに引き寄せられて、距離が縮まる。さらりと私の頬を撫でたゲンマの手が、熱い。



「こんな嬉しいプレゼント、他にねえよ」



 私だけに聞こえる声で囁いて、そっと唇が重ねられる。もう最後だと思っていたのにまた重ねられた唇に、なんだか涙が込み上げてきた。その涙を隠すようにゲンマの首に腕を回して今日言い忘れていた言葉をかければ、ゲンマは小さく笑った。

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