夏の革命児

 ミンミン、ジワジワ。聞きなれたセミの声が近くからも遠くからも聞こえる。薄暗い部屋とは対照的に眩しいくらいに明るい庭――というより山の先はまた山で、どこまでも緑が続いている。私たちの学び舎も都会とは言えないくらい木で囲まれた田舎だけど、それとは比べ物にならないくらいの田舎が目の前には広がっていた。まるでアニメに出てくるおばあちゃん家みたいな、古風な縁側は日差しが当たっていて暑そうだ。その一歩手前の畳の上で、私は目の前で首を振る機械をぼーっと眺めながらただひたすらに汗を乾かす。縁側の向こうでは、地元の人と話し込んでいる悟の真っ白な髪が陽の光をキラキラと反射していた。



「あー無理。暑くて死ぬ」

「道、どうだった?」

「どこもかしこも土砂崩れで駄目。明日にならないと帰れないらしい」



 話を終えたらしい悟は靴を脱いで縁側を跨ぐと、シャツのボタンを際どいところまで外してパタパタと中に風を送った。

 東京から遥か遠く離れた、山だらけでビルの一つもない田舎。三日前に依頼を受けてやってきた私たちは順調に呪霊を祓ったわけだけど、ここ数日続いていた大雨のせいで道が塞がれ、帰れなくなってしまった。幸い近所のおばあさんが泊めてくれることになったけれど、エアコンもない古い家は若者の私たちには厳しかった。座っているだけでもシャツは汗でびしょびしょ、湿気を纏った空気は重たくて体力を奪っていく。氷をたくさん入れていたはずの麦茶も、いつの間にか温くなってしまっていた。



「とりあえず明日の昼まではこっちで過ごそう。それ貸して」

「あっ!独り占めしないでよ」

「うるせーくっつくなよ暑いから」



 おばあさんの心遣いで貸してもらった扇風機の首を悟が動かせば、ギシギシと聞きなれない音が聞こえる。「あぁー…」なんてだらしのない声を出して風を浴びる悟からそれを奪い返そうと手を伸ばしたけれど、彼の肘がそれを阻止した。私にも貸してよ。暑いから暴れんなって。しばらく攻防を続けて、すぐやめた。動けば動くほど、汗が毛穴という毛穴からにじみ出てくる。首振りをやめて二人の真ん中で扇風機を固定して、私と悟は半分ずつ風を浴びた。触れ合っている右腕は暑いしベタベタで気持ち悪いけれど、顔と首筋は少しだけ冷たい風が通って気持ちいい。手作りだろうか、少しいびつな形をした風鈴が時折高い音を鳴らして、その度に体温がほんのちょっと下がった気になる。



「扇風機とか懐かしいね。昔はなかなかエアコンつけさせてもらえなくてさ、いっつもこうやって扇風機の前でぼーっとしてた」

「……俺、あんま扇風機とか使ったことないかも」

「そういえば悟はお坊ちゃんだったね…」



 扇風機って言葉、知ってるんだなんて温度の上がった脳みそはバカみたいなことを考える。サングラスさえも外して汗で濡れた前髪をかき上げる隣の男は、確かに扇風機が似合わない。きっとエアコンがキンキンに効いた部屋で優雅に映画でも見ていたんだろう。庶民の私の夏の思い出といえば、扇風機とソーダ味のアイスと、たまに始まる水風船戦争くらいだ。あの頃はこんなには暑くなかった。きっと地球温暖化のせいだ。テーブルの上で水溜まりを作っている麦茶に手を伸ばして、ぐいっと一気に流し込む。飲んだ傍から汗が流れていって、一向に喉が潤わない。アイス食べたい、なんて思っても近くにはコンビニはおろか商店すらなかった。



「じゃあ悟は宇宙人ごっことかやったことないの?」

「は?何それ。つまんなそー」

「庶民の遊びを馬鹿にしちゃいけないよ」



 後ろに手をついて天井を見上げた悟は馬鹿にしたように鼻で笑う。その隙をついて扇風機の真ん前を陣取ると、鼻先に風が当たって懐かしい感覚がした。真ん中から少し顔をずらして、くるくると回る羽に唇を近づけて、すうっと息を吸い込む。目を閉じて、小学生の頃を思い出した。



「ワレワレハウチュウジンダー」



 扇風機の風でケロケロと、まるで加工したみたいに揺れる声。それはSF映画に出てくる宇宙人たちの声にも似ていて、幼少期によく流行っていた。思わずフフッと声が漏れる。私にとっては見慣れた遊びだけど悟は違ったようで、驚いた顔をして上体を起こした。



「何それ、どうなってんの?」

「本物の宇宙人みたいでしょ。夏限定の遊びだよ」

「ちょ、貸して」



 あんなに馬鹿にしていたのに、まるで小学生の従弟みたいに目を輝かせた悟は、恐る恐る顔を扇風機に近づけた。「ワレワレハウチュウジンダ…」少し恥ずかしそうに小さな声で呟いた悟は、それでも震える声に目を見開いて唇を咬んだ。さっきまで感じていた暑さはどこにいったのか、夢中で扇風機に顔を近づけていろんな台詞を試している。汗に濡れた少し色気も感じる姿でまるで子供みたいな遊びをしているのがなんだかミスマッチで、思わず声を上げて笑った。さっきとは別の目的で扇風機の特等席を奪い合って、また次第に体温が上がっていく。こうして扇風機で遊ぶなんて、いったい何年振りだろう。



「これ、帰ったら傑と硝子にも教えようぜ」

「二人は絶対知ってるから。てか硝子に笑われそうだからやめてよ」



2人して背を丸めて扇風機と向き合って、側から見たらまるで小学生みたいだ。普通の会話すらも震えることに馬鹿みたいにゲラゲラと一通り笑って、ふうっと荒くなった息を整える。ちらりと横に視線を向けたら、眩しい山とセミの声を背にした悟の青い瞳と目が合った。普段はあまり見ることのない悟の汗が、こめかみをツウッと流れ落ちていく。さっきまで私たちの笑い声と、扇風機の羽の音と、セミの声でうるさかったのに、急にすべての音が遠のいたような気がした。「名前」と私の名前を呼ぶ悟の声だけがやけにハッキリと聞こえて、畳の上に置いていた手に悟のそれが重なった。いつもはサングラスでよく見えない青い目をそっと伏せて、悟が少し首を傾ける。それを合図に私もぎゅっと目を瞑ると、唇に温かくて柔らかいものが押し付けられた。少し離れて、もう一度。唇の形を確かめるように触れられて、思わず息が漏れる。うっすらと瞼を持ち上げれば、悟も少しだけ目を開けて私を見ていた。



「……あつい、な」

「……あつい、ね」

「あつい、けど。…もうちょっとだけ、いい?」



 さっきよりも体の熱が上がっている気がする。それは悟も同じで、目元がいつもよりほんのり色づいていた。今日は、暑い。体は汗でべたべただし、シャツも濡れてるし、おまけに扇風機は一台しかないし。もうここまで来たら、何をしてたって暑いんだろう。いいよ、と言い終わる前から、悟は私の後頭部を引き寄せてさらに体を密着させた。向こうでセミたちが鳴いている。縁側に飾られた風鈴が、扇風機の風で小さく揺れた。



企画サイト「僕らの夏は色褪せない」提出作品





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