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無になった意識から戻ったのは、どれくらいの時間が経ってからだろうか。
気づくとオレは、薄暗い闇の中へ横たわっていた。横たわっている、と言っても身体は地面から少しだけ浮き上がっていて、その地面はと言えば地ではなく浅い水溜りのようになっていた。風のない静かな湖面のように均一だった。それから音もない。自分が動く度、衣服の繊維がキュッと擦れる音が鼓膜へと伝わってくる。
オレは今までにない体験に警戒しながらゆっくりと立ち上がると、その場から動かないでぐるりとあたりを見回した。
左右前後、どこを見ても際限のない消炭色のしんとした空間が広がっている。まるで、誰もいない静かな湖に取り残されたようだった。

ふと、少し離れたところにカナが横たわっているのを見留めた。
一瞬、その様子に生きているのか心配になるが、すぐに胸のあたりが大きく上下しているのを確認し、ほっと胸を撫で下ろす。その場から「カナ」、と控えめに呼びかけるが、深い眠りについているようで起きやしない。
オレは慎重に足元や周囲の状況をよく確かめ、彼女の元へとゆっくり歩み寄った。
ここは一体どこなのだろうか──もう一人のカナに元の世界へ返してもらうとの話だったが、この空間は現実なのか、はたまた転送に失敗にしたのか判断がつかない。よもや死後の世界ではあるまい。
オレは歩きながらクナイを取り出し、指先を少しばかり傷つけてみる。すると、痛みはあった。小さな傷口からはインクのように濃ゆい真っ赤な血が傷の形に沿ってじわりと滲み出た。ということは、オレはどうやら生きているようだ。差し詰め、二つの世界の狭間といった所だろうか。
ここから出るには骨が折れそうだ──そう心の中で呟きながら、静かにクナイをしまった。

それにしてもここはおかしい。歩くと湖面は波紋のように揺れるのに、オレの足は水面には着いていないし、濡れることもない。それからとにかく広い。どこからどうこの場所を探ったらいいのか見当をつけるのすら面倒なほどには広かった。オレは珍しく途方に暮れそうになった。
それでも、実際にそうならなかったのは、あの、いつかと同じように安らかな表情で眠るカナが居たからだった。

「カナ、大丈夫か?」

オレは彼女の傍へたどり着くと、左側へしゃがみ、彼女の肩を優しくトントンと叩いた。しかし、起きる気配がない。呼吸は間違いなくあった。
寝顔を見ると、無理やり起こすのが可哀想なくらいに穏やかだった。けれども、その両頬には一筋ずつ、乾いた涙の跡が見受けられた。右頬はほとんど乾いているが、左頬には濡れた道筋がまだ残っていて、この空間の僅かな光を反射してキラキラと光っていた。オレは彼女の左頬にそっと右手を添え、まだわずかに頬に残った水分を親指のほんの僅かな力で拭ってやる。
また悪い夢でも見たのか、それとも──オレは悲しい事を想像しながら一度彼女の頭を大事に撫で、立ち上がった。
腰のポシェットに入れていた手当て用の布を取り出す。そして、再びクナイを一つ取り出し、核にするように布を丁寧に巻いていった。
満遍なくぐるりと巻いて玉のように形を整えると、手にチャクラを集中させ力の限り遠くへと投げてみた。オレとカナ以外何もなさそうなこの空間に、何かしらの障害物がないかを探るためだった。
すると、布の玉は勢いよく真っ直ぐ遠くへ飛んでいった。果てのない空間の、さらにその先へと向かうように。
これはダメかもしれないね──少しだけ焦りながらオレはピタリと動きを止め、その玉がどこかでぶつかる音がしないか息さえ殺して聞き耳を立てた。祈るような気持ちだった。

しばらく経って、随分先で何かにぶつかる音がした。あまり重たくない、しかし軽くもない微妙な音だった。例えば、敵に投げたクナイが外れて木に当たるような、そんな軽くも鈍くもある音だった。音がするまでの時間からして、かなりの飛距離がありそうだ。
確認をしに行きたいが、カナはどうしようか。ここに敵がいないとも言い切れないし、オレだけここから突然出てしまうなんてことになったら厄介だ。また離れ離れになって、異世界へカナを探すなんて、命が削られるようなことは御免だ。

「カナ、気持ちよく寝てるところ悪いんだけど、頼むから起きてちょうだいよ」

オレは再度彼女の横にしゃがみ、彼女を徐に抱き起こした。まるで壊れ物を扱うみたいに、丁寧に。

「カナ」

オレはもう一度だけ呼びかける。もしこれで起きなければ、そのまま抱きかかえて歩いて行ってしまおう。今まで何度だって彼女をそうしてきたがそれほど苦でもない。ここではなによりも、二人でここから出ることが第一優先事項だ。

「……ん、」

なんとなくオレの気持ちが通じたのか、カナはゆっくりとまぶたを開けた。柔らかく放射状に広がる彼女の睫毛は震えるように何度も瞬きをした。
そして、突然の起床でまだ焦点が定まらないのか、まぁるい黒目で世界にピントを合わせるように目を絞った。まだ寝ぼけてよく見えない目を凝らしているような素振りだった。

「カナ?大丈夫か?」
「……カカシさん……」

カナはそう返事をしてゆっくりと二回ほど瞬くと、忽ち瞳に光を取り戻した。それから、両手を地面へとついてオレの腕の中で体勢を整える。眉間にギュッとシワを寄せながら周囲をキョロキョロと見渡すと、表情をさらに険しくしてオレを見つめた。

「あの……ここは……もしかして、元の世界へ帰るのに失敗したんでしょうか……」
「……はっきりとは分からないが、どうもあっちの世界とオレの元いた世界の狭間の世界のようだ」
「まさか……死んじゃったりしてないですよね……」
「あぁ、それはない。生きてるよ」

オレは安心させようと、軽く忍術を披露して見せる。

「この通り、忍術だって使える。ということはチャクラはまだオレの身体には流れているし、つまりは生きているということになる」
「よかったです……」

カナは大きく安堵の吐息を漏らした。

「ただし、いつまでもはほっとしてられないよ。出口を見つけ出さないと。さぁ、立ち上がって」

オレは彼女の正面に立って両手を差し出す。カナはこくりと深く頷くと、しっかりとオレの両手に掴まりながら立ち上がった。そして、立ち上がりながら素っ頓狂な声をあげた。

「えっ?!水面……?」
「ふふ、気づいた?水面のように見えて、少し浮いているみたいだよ。不思議だよねぇ」

そう言いながら微笑むと、カナは「水面を歩けるなんて、まるで魔法みたい!」と足踏みをしてその感覚を楽しんでいた。確かに、忍者でもなければ水面の上なんて歩ける人間はいないが、無邪気で可愛らしいなぁとさらに頬が緩んだ。

「ふふ、魔法か。いい響きだねぇ。しかし見ての通り、この世界は普通じゃない。だからこそ早く出た方がいい……かもしれない。ま、これはただのオレの勘だけど」

オレがそう言うと、カナは途端に心配そうに表情を曇らせた。また泣き出しやしないかとついひやっとする。
慌てて先程の音のことについて伝えると、彼女は「じゃあ……!」とパッと顔を明るくして艶のある瞳をキラキラと輝かせた。

「あぁ、出口かただの行き止まりかはわからないけど、行ってみようか」
「はい!」


オレ達は今までと同じように、手を繋いで歩いた。時には会話をしながら、時には沈黙もありながら。何か周囲に話題になるものがあればその話をするのだが、生憎数メートル先は闇な上に周りには本当に何もない。オレは波紋が折り重なる足元と、遠くの闇の向こうを見比べながら歩いた。時々カナの方を見ると、彼女も同じように足元の水面の模様を珍しそうに眺めていた。

「また怖い夢でも見たか?」

しばらく沈黙が続いた時、オレはなんとなく聞いてみた。別にそのまま黙って歩いていても良かったが、涙を流したわけを単純に知りたいと思った。

「忘れてたことをたくさん思い出しちゃったみたいで……」

あぁそうか──オレは納得した。向こうの世界にいた時、カナはもう一人のカナに話を聞かされて、今ひとつピンときていないような顔をしていることがあったが、あの時まだ記憶は完全に戻っていなかったのだろう。ただ、もう一人の自分から聞かされたことと、自分が体験したことの辻褄が合って、それに納得していただけだった。
そしてこの世界へ戻る途中、意識が無になった時、二人のカナの記憶が元の身体へ還ったのだろう。
今まで身体からすっかり消えていた過去の辛い記憶が一遍に戻ったとしたら、それは言葉では言い表せられないほどの苦しみに違いない。余りにも理不尽な不幸と衝撃で鋭く尖った記憶はまるで刃物のように身を削ぎ、心は悲しみで破裂し、きっと正気でいることすら辛いだろう。辛くて、その苦痛に耐えかねてきっと何処かへ消えてしまいたくになるに違いない。悲しみはいつも、直後よりもずっと後に思い出した時の方が何倍にも大きくなって襲ってくるのだ。
それはしばらくどこかに影を潜めていて、新しく蓄積されていく楽しい思い出の甘い汁を吸いながらどんどん大きくなり、突然現れるのだ。そして、元気になりかけた心を再び蝕む。時間は薬にもなり毒にもなる。

「無理だけはしないでよ。辛い時は思いっきり泣けばいいし、オレに延々と話してくれてもいい。ま、本当に辛いことなんて、人に話したところでなんの気休めにもならないだろうがな……」

自分自身の苦しみの記憶は、上手く騙し騙しやり過ごしていくしかない。最早時間をかけて忘れていくことすら、そのやり過ごすうちの一つになる。オレはそれを痛いほどによく知っている。

「ありがとうございます……」

そう礼を述べたカナは、随分と遠くを眺めていた。



どれだけ歩いただろうか。薄暗い空間は時間感覚を麻痺させる。いつもは任務の際、日の光と影を見ながら時刻を判断したりするが、ここは全く判断する要素がない。全く時が止まっているようにも思えるし、随分と長い時間が経った気もする。
身体のくたびれ具合からして、三十分は歩いただろうか。
前方、遠くに大きな木製の扉が見えた。扉は薄暗いのに、どうしてだか扉はぼんやりと弱く発光しているように見えた。

「カカシさん、あの扉は……!」
「あぁ……あんな所に扉だけなんて、まるで蜃気楼みたいだ」

砂漠のオアシスじゃないが、このまま歩いても辿り着かなければそう言うことになるだろう。頼むから、虚像ではなく実像であってくれと心の中で祈った。
祈りながら、先程オレが投げた玉は、あれにぶつかったのかもしれない──そう思うと、オレとカナの歩く速度は自然と速くなった。カナは少しだけ息を弾ませていた。

さらに近づくと、そのすぐ手前に人影があるのが見えた。体格からして男のようだった。
こんな所にオレ達以外の人がいるのかと、怪しく思いながらも足を前に進めると、その人影はとても不思議な容貌をしていることに気づく。

「額に……角?」

それにどっしりと腰を下ろしているように見えるのに、宙に浮いているのだ。
オレは一応カナに「何があってもオレから離れないでちょうだい」と小声で伝えると、握っていた左手の力をキュッと強めた。カナは無言で首を縦に振った。
そしてオレ達は再び歩みを進めていく。

「えっ……?!」

人影がはっきり男だと確認出来る位にまで近づくと、カナが微かな声で驚いた。「どうした」とオレが彼女の方を向いて声をかけると「あの人、夢で……」と呆然とその人影を見つめていた。
まさか、夢で見た神様だとでも言うのか。念のため尋ねてみると、彼女はこくこくと頷く。それから彼女がゴクリと唾を嚥下する音が聞こえた。こちらまで緊張してくる。随分と怖がっているようだった。

「大丈夫だ。何かあればオレがお前を守ってやる」
「でも……」
「確かに人間っぽくはないが、神様なんだろう?そうしたらどうして怖がるんだ」
「それはそうですが……」
「じゃあとりあえずは様子を見ながら近づけばいい。カナはオレの少し後ろにいてくれ」

カナはオレの後ろに隠れるようにしてつき、オレ達二人はゆっくりと扉と男との距離を詰めていく。
男は近くで見るとますます異様だった。額には二本の角、灰色がかったような青白い肌、それから三つの目。そのうちの一つは額にあって、おそらく万華鏡写輪眼だろうか。そして両眼は輪廻のようにも見える。
まさかこれは──オレはくだらない妄想をして、すぐに打ち消した。そんなことがある訳はない。オレが今考えたことは紛れもないファンタジーだ、と。

そんな風に頭の中でぐるぐると色々なことを考えながら歩いていると、カナが急に足を止めた。オレはまた怯えているのかと思って、「やっぱり怖くなっちゃった?」とカナの方を向いて優しく話しかける。

「え?」

カナは予想外の反応だった。オレは再び彼女へ問いかける。

「急に止まってどうかしたの?」

すると、彼女はさーっと顔を青ざめさせてこう言った。

「どうって……あの人に話しかけられてるじゃないですか」
「え」

見ると、確かに男の口が動いている。しかし、オレには何も聞こえてこない。ほんのわずかな声も、息遣いすら聞こえなかった。どうやらカナにだけ男の声が聞こえているようだった。

「まさかカカシさん、聞こえてないんですか?!」
「まさかどころか全く……」

カナも状況が飲み込めたようで、ますます顔を青ざめさせていた。まるでお化けでも見てしまったかのような表情だった。
少し和ませようと「姿は見えてるから、お化けじゃなさそうだね」と笑いながら言うと、カナは引きつった顔で愛想笑いをした。失敗したなぁとオレも苦笑いになる。

カナは再び男から話しかけられたらしくすぐに表情を強張らせる。オレはカナの声しか聞こえないため、彼女の「はい」という返事だけで、会話の内容は全くわからなかった。しかし、そのうちにカナの声のトーンが穏やかになっていくのがわかって、きっとこの男は敵ではないのだろうと感じた。

「……はい、わかりました」

数分ほど話し込んで、カナはそう言って深くお辞儀をした。
ようやく話しかけても良さそうだと、オレは「なんだって?」とカナに尋ねた。

「えーっと……この方はハゴロモさんと言う方で、この扉で元いた世界ともう一つの世界を繋げてくださったそうです。それで、とりあえずはこの扉の向こうにいけば戻れる……とのことです」

オレは耳を疑った。ハゴロモ──やはり……いやまさか、彼はあの六道仙人なのだろうか。しかし、彼の存在は最早伝説レベルの昔話に記述されていた事象だ。生きている筈などない。
それに、もし彼がそうだったとしても確かめようもない。例え本物の六道仙人だったところで、オレの力や何かが変わるわけでもない。人に話したところで信じてもらえる訳はないし、かと言って見たことを誰かに話したいわけでもない。
それならば、確かめようと思う気持ちすら無駄なのだ。

「ただ扉をくぐるだけでいいのか?」

オレは詮索する事はせず、必要な情報だけを確認することにした。

「えぇ、押し開けて向こうに行ける事以外は特に何も言われてませんけど……」
「こう言うのはさ、物語とかだと何かしなきゃいけないーとか、呪文を唱えないと元に戻れないーとかあるじゃない」
「うーん……」

再びカナは男に向かって話しかける。しかし──

「やっぱりないみたいです」
「あぁそう……」

あっさりとした答えが返ってくるのみだった。事実は小説よりなんとやらと言うが、今回に限っては随分と単純なものらしい。
カナは男に、「ありがとうございました」と深々とお辞儀をした。一応会話はしていないが、オレも頭を下げると少しだけ微笑んでいるような気がした。

「行きましょうか」
「あぁ」

オレとカナは、ピンと背筋を正して男の横を通り、巨大な扉の前へと立つ。扉は、遠くから見たらただのこげ茶色の扉のようだったが、近くで見ると随所に細かい彫りが入れられており、たいそう艶と重厚感のあるものだった。そしてそれを見て、オレは男がやはり人間ではないことを確信した。
ふと横を見ると、先程オレが投げた布の玉が落ちていた。ここへぶつかってくれてよかったと、心から自分の勘に感謝した。

「……次はどこに出るんだろうねぇ」
「他国だとか、木ノ葉の里から遠いところはちょっと……」

冗談めかして半分笑いながらカナが言った。

「ま、スパイ扱いされるのはもう御免だよねぇ」
「えぇ。次こそは穏やかな……まぁそうじゃなかったとしても、私らしい日々を大切にしていけるといいなぁ、と思います」

心から願うような声だった。辛い過去とこれから向き合っていかなければならない彼女なりの、誓いのようにも思えた。

「無事に火の国へ出ることを祈って」
「はい」

オレとカナは、ゆっくりと扉に両手を重ねる。そして「せーの」というオレの合図で二人息を合わせ、右側の扉を押し開ける。
ゆっくり広がっていく扉同士の隙間からは、眩しすぎるほどの白い光がピンと差し込んできて、向こう側は一切何も見えない。
カナは先に進むのが少し怖くなったのか、心許なさげにオレの名前を呼んだ。すかさずオレは彼女の腰のあたりへ左手を回し、自分の方へ抱き寄せる。

「大丈夫」

そう言うと、カナは怯えた表情から少しだけ安心した様子になる。それから、オレの右手へと両手を重ね、強く踏み出した。
ふと、チラと後ろを振り返ると、あるのは変わらぬ消炭色の何もない空間だけで、あの男の姿はもう無かった。
全てが曖昧で、証拠もなければ理由もきちんとした説明が難しい状況のまま運命に翻弄されてこんなところまで来てしまった。もうめちゃくちゃなくらいだが、今までの全てがこれで良かったのだろう、なんとなくそんな気がした。
結局こうなる運命だったんだ、とわけもなく感じた。

そしてついに、扉は人二人分が通れるくらいの隙間が開いた。依然として扉の向こうの光は弱まる事なく、突き刺すように一直線にこちらへ伸びてくる。
オレとカナは扉を押す手を止め、互いの左手と右手をギュッと固く結んだ。違う場所へ出てしまわぬように。それからもう二度と離れないようにと小さな願いを込めて。

「それじゃ、行くよ」
「はい」

オレ達は、握った手の力をさらに強めると、ゆっくりと右足を光の中へと踏み込んだ。そして、次にもう一歩踏み出すと、光の向こうへと静かに身体を溶かした。


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