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自分の匂いがする。ベッドへ入った時にしかわからない、あのなんともいえない落ち着く香り。
この匂いを嗅ぐのは随分と久しぶりな気がした。ときめきもない、平坦で、ずっと包まれていると間延びしてしまいそうな匂いだ。
あぁ、私は何をしていたんだっけ──寝返りを打ちながら、ぼんやりとする頭で思い出してみる。

「カナ?」

横で聞き慣れた低い声がした。安心する、穏やかで優しい声。愛しい人の顔が浮かぶ。
そうだ、私はあちらの世界から──ゆっくりと目を開くと、私の左側ではいつもの朝のようにカカシさんが「おはよう」と微笑んでいた。
ギュッと手を握られると、いつも通りのあたたかくて大きな手に、心がとくとくと生温い液体をコップへ注ぐように満たされていく。彼は影分身だったが、カカシさんの本物とまるで遜色なかった。
そして私もいつも通り「おはよう」と返す。元の世界へ帰ってきたと言う実感はあまりなかった。この場が彼の部屋ではなくワンケーの私の部屋なだけで、私達二人の間に流れる朝はいつもと変わりなかった。
久しぶりの自分のベッドに彼と手を繋いだまま思いっきり伸びをすると、ふと違和感を感じた。

「あれ……」

そういえば、向こうを出た時は靴を履いていたはずなのに、私の足先は確かにタオル地のシーツの柔らかい感触がある。靴だけどこかへ落としてきたなんてことがあるだろうか。不思議に思って彼の手を放し、ゆっくりと上半身を起こした。
私の身体を覆っていた淡いピンクの花柄の薄がけを足元だけめくるように引っ張り上げると、やはり靴を履いていない。それから靴下も。
靴はどこへ行ってしまったのかとキョロキョロ辺りを見渡していると、カカシさんが「靴?」と言って隣で起き上がった。

「はい、確かに靴を履いてきたはずなのに……」
「起きたら二人とも、玄関のたたきに足を投げ出して倒れててさ。身体が痛くなっちゃうから、靴を脱がせてこっちへ運んできたんだよ」
「なるほど、ご迷惑おかけしてすみません……」
「気にしないでよ。それより、この部屋って向こうの世界に行く前のまま……なのかな?」
「え……?」

言われてベッドの周辺へと視線を下ろす。シングルベッドの横には人が立てるくらいの隙間をあけて、白っぽい木製のローテーブルがある。その上には、連休前だからと映画を見ながら飲みに飲んだチューハイの空き缶の群れとコンビニで買ってきたつまみ類。食べかけも混じっている。そして、ローテーブルの下には毛足の長いベージュの円形のラグが敷いてあり、そこには物干しから取り外したまま置いてある洗濯物のこんもりとした山が出来上がっていた。
その他にも、床にはカバンや、どこから引っ張り出してきたのかわからない雑貨の入った籠などが散乱している。

「汚いとこは見ないでください!」

私は勢いよくベッドの上で立ち上がり、カカシさんを跨いで床に降りると、ものすごい勢いでゴミ袋をとりにキッチンへ走った。
それから、空き缶やテーブルの上のゴミを仕分けつつまとめてゴミ袋に突っ込むと、そのまま高速で洗濯物を畳み始めた。
随分前にこちらかあちらの世界へ行ったため、元の部屋がどんな風だったのかも定かではないが、こんなに散らかしていただろうか。そもそも、私は一人で晩酌するようなタイプではなかった筈だ。記憶がおかしい。どういうことだろう。

「カナってこんな感じだったっけ?なんか向こうの部屋とは別人の部屋のようなんだけど……」
「もう昔すぎて覚えてません……それに、私もまるで自分の部屋じゃないような気がするんです……こんなに散らかしてた覚えがなくて……」
「じゃあもしかして、誰かカナがいない間に入ってきてたとか?!」
「えぇっ?!」

カカシさんが物騒なことを言うので、私は洗濯物を畳んでいた洗濯物を慌てて放り出して、貴重品が無くなっていないかの確認に走る。まずはいつも使っている鞄の中を漁り、財布があるかを確認する。これはすぐに見つかった。
中のカードやお札を確認すると、いくら入っていたかはわからないが、どうやら抜き取られたような痕跡はないようだ。
お次は通帳と印鑑類だ。ドタドタと足音を踏み鳴らしながらローテーブルの向こう側へ回り込むと、テレビ台の下に付いている引き出しを勢いよく開けて全て中身を確認する。こちらも全て揃っていた。金額も記憶しているものと変わっていない。
そして最後は、スマートフォンだ。
ベッドの上に座ったままポカンとした表情で取り乱す私を眺めていたカカシさんの方へ近寄ると、「ちょっといいですか」と枕元へ手を伸ばす。

「あった!」

スマートフォンは枕の下に隠れていたが、無事に見つかった。
随分日が経ったから電池が入るかなとボタンを押してみると、何故だかパッと画面がついた。画面右上のバッテリー残量をみると、まだ半分以上残っている。
おかしい、もう三ヶ月近く経っているのに──そう思って、ロック画面に表示されている日付を確認すると、私は目を疑った。
画面には、私が向こうに飛ばされたであろう日付と同じ日付が記されていたからだ。

「どうして……?!一日も進んでない……」
「どうかした?」

焦ったり、ほっとしたりとその前もアップダウンが激しかったせいか、私の頭は真っ白になって何も考えられなくなる。
不思議そうな顔で私を見つめている彼に、とりあえず今起こっている出来事をそのまま伝えると、カカシさんは「そうなの。不思議だねぇ」とのんびりした声で言ったあと、隣に座るよう促された。

「まるでこっちの世界にカナがいなかったから、わざわざ時を止めてたみたいだ」
「そうなんですかね……もう何がなんだか……」
「まぁでも、ちょっとそれは考えすぎかもしれないからここへ座って落ち着こうか」

私は動揺したまま、とりあえず彼の隣に腰を下ろす。
けれど、全然落ち着くなんて気分になれなくて、今すぐ立ち上がって私の身に何が起こっているのかを確かめたくて仕方がなかった。
そんな私の様子を察して、カカシさんはそっと私の腰へ手を回す。それから、その手でポンポンと子供を落ち着かせる時のようにリズムをとって、「怯えさせるようなこと言ってごめんね」と私を宥めた。

「そんなことしても多分、落ち着きません」
「でも、慌てても何も解決はしないよ」

毒気の全くない彼の正論に、私はぐぅの音も出ない。

「何もかもが変で、もう頭がどうにかなりそうです。これが今まで私がいた世界が夢だった、ってことならわかるんですけど……こうして隣にカカシさんの分身もいらっしゃいますし……」
「こっちではオレ一人しかいないんだからわざわざ『分身』ってつけないでちょうだいよ。なんか悲しくなっちゃうから」
「あはは、すいません」

お茶目な彼の発言にひと笑いすると、何故だかストンと気持ちが落ち着いた。
本当にカカシさんは不思議な空気感を持っている。向こうでは当たり前すぎて気づいていなかったが、私の部屋で朗らかに笑う彼をまじまじと見ると、改めて異質とも言えるその魅力に気づかされるのだった。
一時とはいえ、こんな男性と恋が出来た自分を、私は少し誇りに思った。

「それよりさ、さっきの話からすると今日は休みなんだよね?」
「はい、四連休です」
「ってことは、オレが帰るまではずっと一緒にいられるってことか」

嬉しそうな声色で言った。
向こうを出てくる時、火影様はこちらの世界にはどう頑張ってもカカシさんは三日間しかいられないと言っていた。
つまり、最終日は一人ぼっちになる。私は少し不安になった。彼がいなくなって、間髪入れずに仕事に行ければ悲しさも紛れそうなものだが、丸一日あいてしまうとなると、きっと私は涙が枯れるまで泣いて過ごすのだろう。
数日後の自分を想像して悲しくなっているのに気づかれないように笑顔を作って見せると、彼はウキウキした表情で「そうときたら、出掛けなくっちゃね」とベッドから立ち上がった。
私達は、テキパキと身支度を始める。


彼がシャワーを浴びている間、私はスマートフォンのカレンダーを確認する。確か何かしらの予定を入れていたはずだった。
案の定、翌日に友人達との約束が控えていた。どうしようかとしばらく考えたが、苦渋の決断の末、カカシさんを優先することにした。
まだ朝の九時だったがすぐに電話をかけて、急遽行けなくなった旨と心からの謝罪を述べ、丁重にキャンセルをさせてもらった。それでも、うっかり街中で出くわしてしまったら彼女達を傷つけてしまうであろうことは覚悟の上だった。


身支度を整え終えると、私達は近くのカフェで朝食をとることにした。
さぁ朝ごはんを、といつも通り冷蔵庫を開くと、そこには酒とデザートくらいしか入っていなかったからだ。
向こうでは料理を作って随分と家庭的アピールしていた割に、いざ家へ連れてきたら部屋は散らかっているわ冷蔵庫はすっからかんだわで、今にもカカシさんを元の世界に返したくなる。いや、決して帰って欲しくはないが。

外に出ると、ようやく元の世界へ帰ってきたことを認識した。
まさに新緑と呼ぶにふさわしい木々の葉の色や、アパート前の植え込みのツツジかサツキかわからない濃いピンク色の花が綺麗に花を開いているのを見て、今年の夏はもう過ごし終えたたはずなのに、時間がそっくりそのまま巻き戻されたようで変な感じがした。
アパートの前の細い住宅街の道を抜けると、大きな通りに出る。道の向こうにはコンビニが朝でも明るく光り輝いていて、手前の幹線道路を車がビュンビュン走り抜けていく。カカシさんのいた世界と比べると、随分温かみのない世界だなと思った。

「わ、なんだあれは」
「あれは自動車です。ガソリンでエンジンを動かして走ります」
「みんな動かせるの?」
「十八歳以上の人で、講習と試験を受けて免許を取得できた人だけが運転できるんです」
「へぇ。カナの世界はすごいな」
「忍術を使える方がよっぽど凄いですよ」
「うーん……そうかねぇ」

カカシさんは何故だか少し寂しそうな顔をしていた。
そのまま通りを歩いて横断歩道のある所まで行き、道を渡った先にあるカフェへと入る。
店員は「いらっしゃいませ」と愛想よく声をかけて私達を案内してくれたが、その場にいた周囲の客は珍しいものを見るように皆ジロジロとカカシさんのことを見ていた。
ここで私は、前の世界の感覚のまま何も考えずに彼を連れてきてしまったことを後悔した。
なんせ、今の彼は木ノ葉のベストこそ着ていないものの、初夏にマスク付きタートルネックの長袖トップスに、足元は包帯のような脚絆をぐるぐる巻いた緩めのパンツ、そしてサンダル姿だ。これでは悪目立ちが過ぎる。おまけに額当てもしたまま連れてきてしまった。
ただでさえ身長が高くて銀髪というだけで目立つのに、沢山のオプションを付けたままであれば、それは注目の的にならざるを得ないだろう。

私もカカシさんも若干の居心地の悪さを感じながらサッと食べ終えると、そろそろ十時半を回る頃だったので、ついでに洋服を買いに駅の方へ向かった。
カカシさんは、着るものはなんでもいいけれど、窮屈な服は好まないと言うので、ビッグシルエットのゆるい白のTシャツと、同じようなパターンのネイビーのオープンカラーのシャツとインナー、それからリラックス感のあるシルエットの黒いストレートのパンツ、ついでに下着を購入した。サンダルでも違和感のない組み合わせだ。
どれもなんの変哲もない安くてシンプルな服だったが、スタイルの良い彼にはどれもとてもよく似合った。
そのほかには私のお願いでマスクは外してもらうことにして、額当ては医療用の眼帯へと付け替えてもらった。
とりあえず購入後、そのまま白いTシャツと黒のパンツを着てもらい、元着ていた服を置きに家へ帰る。
その途中、すれ違う女性の大半はカカシさんを凝視していた。私は再び自分が誇らしくもなったが、同時に彼と容姿のレベルを比較されているようで恥ずかしさのほうが勝っていた。



「まー、凄い人。今日お祭りでもあるの?」
「……えっと、これが日常なんです」

私は彼との約束の通り、この世界を案内するべく電車へ乗って観光地へ出かけることにした。
どこへ案内しようかと考えたが、彼は全くこの世界のことを知らない人だということを前提に、外国人を案内するようなコースでプランを組んだ。まずは定番の下町と、東京スカイタワーだ。
彼はホームに到着した電車を見て、とても驚いていた。私が長い乗り物と言ったから、もっと小さくて細長いのを想像していたと言う。車内へ入ると、モニターがついていることや、クーラーで涼しいことにさらに驚いて、珍しく落ち着かない様子でキョロキョロと辺りを見回していた。
しかし、それよりも驚いていたのが、周囲の人の視線だ。

「……ねぇ、なんかオレ、もしかして目立ってる?」

右から小声で彼は耳打ちする。
それまで混んでいたため車内で立っていたが、途中で一度人がたくさん降りたので空いた席に座ると、彼は途端に自分に向けられていた視線に気づいたようだった。
連休とあって、車内は学生くらいの年齢の女の子の集団や、若い女性のグループがたくさん乗っていて、その子達の視線は一斉にカカシさんに向いていた。

「目立ちますよ、この世界じゃ銀髪は少ない方ですから」
「やだなぁ、なんかマスクもしてないからそわそわするし」
「こちらの世界では正体隠す必要ありませんから、堂々としちゃってください!」

カカシさんは弱ったように「えぇ……」と呟くと、私の右手をそっと握った。こちらの世界では外で手を握られるのは初めてだったので、私は付き合いたての頃のように胸が高鳴った。
まるで、初めてのデートのような気がした。

電車は麗かな日差しの中、ビルや住宅街の中をまっすぐに走り抜けて私たちを運んでいく。


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