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約束の日がきた。
日を追うごとに、時が流れるのが早くなっている気がする。
私とカカシさんはピリッとした緊張感を纏って、火影執務室に立っていた。今日は数日後に控えた満月の日に、向こうの世界へ帰るか帰らないかの返答を伝えにきたのだった。

「どうするかは決まったか……」

火影様は神妙な面持ちで私を見つめる。
部屋の中はとても静かで、壁にかけてある時計のチッ、チッ、と秒を刻む針の音がいつもよりも大きく聞こえた。

「向こうの世界へ帰らさせてください」
 
私が出した答えは、「帰る」だった。
昨晩カカシさんにはきちんと話をしてきた。ごめんなさいと謝ると、彼は「最初からその覚悟だったから、謝らないでよ」と困ったように笑っていた。

この世界に残ることが許されたとしても、向こうの世界に残された人達はどう思うだろうかと考えたら、私は私の気持ちだけを優先することはやはり許されないと思った。

こちらの世界を去れば、たしかに彼は悲しみの淵に流されるだろう。しかし、感情は一時だ。例えば一昨日の花火のように恋がとてつもない大きさで燃え上がり、それが消えてしまったとしても、煙になって、気づけば時に痛みとともに攫われて、何もなかったように元に戻るだろう。
大なり小なり心に傷を負わせてしまうのは気がかりだが、こういうのは決まって時が解決してくれると相場がきまっている。
そして、次の恋に出会う時には、その傷を教訓に強くなっているものである。恋を失うというのはいつもそういうものだ。

こういう考え方をするあたり、私は自分勝手だなぁと落ち込むが、カカシさんは私の決断に対して「それが最善だと思うよ」と背中を押してくれた。

「本当にいいのか?」
「はい、きちんとカカシさんともお話ししました」
「そうか……」

さみしくなるのぉ、と火影様は小さく呟く。その声に、急に帰ることが現実味を帯びてきて決心が揺らぎそうになった。
私は「本当にお世話になりました」と深くお辞儀をして後戻りできないよう退路を立つ。
それから火影様は当日の段取りや、どうやって向こうの世界へ帰すのかを説明してくれた。
忍術は無学の私はなんのことやらさっぱりだったが、ここへ十九時までにくればいいことはよくわかった。それから、カバン一つ分くらいであれば向こうへ物を持っていけることも。
話を聞いている間、カカシさんは一言も喋らず、静かに隣に立っているだけだった。

「それでは四日後の晩、儀式を執り行う。残りわずかではあるが、カカシと水入らずで過ごしてくれ」
「はい」

一連の話が終わると、火影様は下がってよいと私達に指示をした。
私はここまでで言いそびれたことを伝えるために、「あの、火影様」と呼びかける。

「どうした」
「失礼ながら、実は一つお願いがありまして……」
「ん?」

ゴクリと唾を飲み込み、私は気持ちを落ち着かせる。
それから「カカシさんの影分身も一緒に飛ばしていただけないでしょうか」と一息に言った。

「なに?!」

火影様は目を見開くと、私からすぐさまカカシさんへと視線を移した。
取り繕うようにカカシさんが私のお願いを詳細に説明する。火影様はそれに黙って耳を傾けた後、表情のない顔でしばらく何かを考えているようだった。そして、やおら口を開く。

「まぁまず無いと思うが、術が向こうで解けなかったら死ぬんじゃぞ。ナルト達はどうする」
「……ナルト達のことは、オレに何かあった場合ガイに頼んであります。それに暗部には優秀な木遁使いもいます」
「しかし写真眼をこの里で使いこなせるのはうちは一族が滅びかけた今、お前だけだ。このことがどういう事を意味するかわかるか」
「……それは」

淀みなく喋っていたカカシさんの表情が曇る。
私にはよくわからないが、それだけカカシさんはこの里にとって必要な人物なのだろう。
なんの利益ももたらさない私とは土台が違う。ここへ始めて来た時、王子と姫なんて笑われたけれど、彼が王子なら私はただの一般市民。とても一緒になれる相手ではない。

「まぁこちらも策は考える。お主達の希望はなるべくワシも叶えてやりたい」
「ありがとうございます……」
「とにかく、あまり無茶なことは考えないように」

そう言った火影様は、もう私達の方を向いていなかった。


その帰り、私達は写真屋へ先日の旅行の現像と焼き増し写真を受け取りに行った。
互いに一部ずつ持っていられるように二枚ずつ焼き付けてもらい、お揃いでアルバムも買った。
帰るなりさっそくアルバムに写真を挟みこんで、二人できゃっきゃとはしゃぎながら思い出を振り返った。

「写真なんて好きじゃないからこんなに撮ったのなんて初めてかもしれないな」
「でもこれ、ほとんどマスクしてるじゃないですか」

確かにマスクを外している時もあったはずなのに、カカシさんはなぜか写真の時だけマスクをしていて。何十枚と一緒に撮ったんだから一枚くらいあってもいいのに、と必死に写真の山を探してみると、本当に一枚だけマスクをしていない写真を見つけることができた。
私がこっそり、彼がうたた寝をしているときに撮った写真だった。目をつぶってしまってはいるものの、私の彼を愛おしむ気持ちが伝わってくるような写真だった。

「つい癖でね。まだあと何日かあるから、その間はマスク外して写るよ」

それからは、何気ない毎日の中で私たちはたくさん写真を撮りあった。台所に立っている後ろ姿や、洗濯機にタオルを放り込む横顔、それから一緒にご飯を食べている最中の顔まで。
もう帰ると分かると、そんな何気ない一コマが宝物のようだった。もう二度と過ごすことの出来ない、この平和な二人の空間。
帰ってしまえば、当たり前だった後ろ姿も、幸せそうな寝顔も、ぼーっとしている時の間抜けな横顔さえも、もう見ることはできない。だから、私たちは目に焼き付けると同時に、たくさんフィルムに焼き付けた。

私達は朝から晩までずっと一緒にいた。途中から仕事もしていたから、こんなにそばにいたのは初めてのことだった。どこへ行くのも一緒で、数分でも離れるのが惜しくて、ずっとくっついていたくて仕方なかった。
何もすることがなければ、お互いの存在を確かめるように何度も身体を重ねた。例えもう会うことが出来なくても、忘れてしまわないように──と。


とうとう帰る日の前日になると、私達はあえて特別なことはせずにのんびりと過ごした。
特別にしないことで、別れを強調しないようにした。
その日はとてもよく晴れていたので、涼しくなった夕方を見計らって私達は散歩に出た。
街以外はどこがどうなっているのかわからないため、カカシさんの後についてふらふらと歩いていくと、人影のない早咲きのコスモス畑へとたどり着く。
コスモスというと背丈の高い花をイメージするが、ここのコスモスは花は大きいけれども膝下半分くらいの高さほどしかなく、とても可愛らしい印象を受けた。
色とりどりのコスモスが入り乱れ、花弁を空に向かっていっぱいに開いていて、夕日と相まってこの世の場所ではないかのように幻想的だった。

「綺麗……まるで天国みたい、」

ここを知っていてわざわざ連れて来たのかはもう彼に聞きはしなかったが、カカシさんのことだからそうなのだろう。彼は何も言わずに、目だけをニコリとさせていた。
私とカカシさんは花の少ないところに腰を下ろすと、辺りをぼーっと眺める。
九月に入ってから、夕方になるとすっかり涼しくなっていた。日の入りもだいぶ早くなり、すでに空の向こうが燃えるように赤くなっている。あと三十分もすれば日没だろうか。

「あっ」

突然カカシさんが左で小さく声を上げた。「どうしたんですか?」と尋ねると、彼はそっと私の手の甲に指を伸ばして何かを掬い上げ、彼の掌に移すような動作をした。
そのまま優しく掌を上げて私の方へ見せると、背中に黒い点々のある赤いてんとう虫が彼の掌の上を一生懸命に歩いていた。虫がそんなに得意ではない私は、思わず「うわぁ」と声をあげる。

「そんなに驚かないでよ。実はてんとう虫ってさ、幸運の象徴らしいんだよ」

カカシさんは慈しむような声色で言う。てんとう虫はとことこと彼の掌を歩いて指先まで辿り着くと、羽を広げて静かに飛び立っていった。

「へぇ、知りませんでした」
「こんなタイミングで見るなんて、何かいいことがあるかもしれないね」

てんとう虫の飛んで行った方を見て、彼は呟く。
この状況でどうしてそんな事を言えるのだろうと不思議だった。明日、私たちは離れ離れになると言うのに。
私を励ましているつもりなのだろうか。それとも自分に言い聞かせているのだろうか。私にはわからなかった。
私は何も返事をせずに、あぐらをかいている彼の膝に頭を乗せて横向きに寝転ぶ。
膝枕の高さからみる世界は、花の隙間からもうほとんど暗い水色に変わり始めた空が垣間見えて、本当に知らない世界へ行ってしまったような気がした。まるでおとぎ話の世界に迷い込んだようだった。

ゆっくりと目をつむり、周囲の音にそっと耳を傾ける。
冷たい風が吹いて耳の表面をさらい、ゴォと耳元で鳴ってゾクゾクする。真っ暗なまぶたの裏で、怪物が耳元で吐息を漏らす姿を想像した。
そして、この悲しい現実が全て夢だったらよかったのになぁと、ほんの少しだけ涙で瞳を潤した。


次に目を開くとすっかり水色の世界だった。確かブルーモーメントと言っただろうか。胸が切なくなるような色をしていた。
空にはチラチラと沢山の星が見え始めている。気づかないうちに眠ってしまっていたようだ。

「起きた?」
「あれ、私やっぱり寝てました?」
「いきなり寝息が聞こえてびっくりしたよ」

あぁ、この世界は夢じゃなかったんだと私はゆっくりと起き上がって、伸びをした。隣には相変わらず優しい表情のカカシさんがいて、私を穏やかな瞳で見つめている。明日はこの瞳が悲しみに染まると思うと耐えられず、私はすぐに彼から視線を外して体育座りになって空を見上げた。
空は、いつもよりも星がたくさんあるように見えた。ここが街から離れた所だからだろうか。それとも空気が澄んでいるからだろうか。スパリゾートに行った帰りに見た時よりも多いように見える。今にも星が落ちて来そうなくらいだ。
なんとなく星と花畑が鏡写しになっているように思えて、私はまるでその中の一部になっているような気になった。どうしてだか、あの星空からこちらを眺めているもう一人の私がいるような気がしてならなかった。
ふと、私は空に手を伸ばす。今夜なら星が掴めそうな気がした。しかし、当たり前だが何も掴めやしない。

「忍術で星を掴んだりできないんですかね?」
「んー、それは難しいかな」

困ったように彼は笑う。私は何を言っているんだろうと急に自分のしたことが恥ずかしくなって、話題を変えることにした。

「そういえば、カカシさんは私のどこを好きになってくれたんですか」

耳元の椿のピアスを指で確かめながら訊ねる。ずっと気になっていたけれど、恥ずかしくて聞けなかったことだったが今なら聞ける気がした。
随分唐突だね、とカカシさんがまた困ったように笑うと、私の表情を伺うように「色々、って言ったら怒る?」と顔を覗き込んだ。

「色々……ですか?」
「そう。どこ、とか限定しちゃうとなんだか好きって気持ちに理由を付けてる気がしてね。その理由が消えたら、まるで好きじゃなくなるみたいであんまり限定したくないんだ」
「そうなんですか……」

思ったように彼の答えを引き出せなくて、私はついしょんぼりしてしまう。
すると彼は取り繕うように、口を開いた。

「確かにきっかけはあるよ?カナがここへ来た時に目が覚めたのがオレの所で良かったって言ってくれたこととか、とってもいい子な上に感情表現が素直でなんだか放っておけない所とかさ。でも、それって好きの理由かって言われたらそうじゃない気がするんだよねぇ」

カカシさんは一呼吸置いて続ける。

「つまりは、いろんなきっかけがあって気づいてたら好きになってたし、カナだから好きになったわけで。だから、好きな所は『全部』が答えかな。でも、そう言うとなんか薄っぺらいだろ?」
「薄っぺらいだなんて、そんな……!ごめんなさい、私こそ変なこと聞いて……」

彼は静かに首を横に振って哀しく笑った。
まずいことをしてしまったかとオロオロしていると、再び彼が遠くを見ながら口を開いた。
空はだんだんと水色から濃紺へと染まり始めている。

「父親を亡くして、友を何人も失って、もう大切な人なんて要らないって思ってた。失うのが怖くて、自分のそばには誰もいて欲しくなかった。だけど、実際側に誰もいなくなったカナの寂しそうな姿を見て、それがどんなに辛いことなのかよく分かったんだ。そして、誰かが寄り添ってくれることの喜びを思い出させてくれた。カナには感謝しかないよ。だから、どこが好きとかいう概念は無くて、存在自体が特別で大切なんだ」
「……カカシさん、私やっぱり──」

やっぱりここにいます──唐突にそう口から出そうになったところで、彼は「カナ、帰ろう」とかぶせるようにはっきりと言って立ち上がった。
「家に」なのか「元の世界に」なのかは明言しなかったが、私は両方なのだろうと解釈した。彼は勘のいい人だから、多分きっと。

「はい、」

少し間をあけて返事をすると、彼がそっと私へ右手を差し伸べる。私はそれに掴まると、ゆっくりと立ち上がった。
そのあと地面につけていたお尻のあたりの土を手で払っていると、視界の端で星が流れた気がした。

「あれ、もしかしてまた流れ星見えました?」
「さっきからチラホラ流れてるよ」
「え!それならまたお願いしないと!」
「ふふ、オレもこないだの願い事は叶いそうにないし、また新しいお願いごとでもしようかねぇ」

叶いそうにない、ということはカカシさんも私と同じお願いごとをしてくれたと言うことだろうか。だとしたらとても嬉しい。
私達はキョロキョロと流れ星を探して、見つけると揃ってお願いをした。
またいつか、彼(カナ)と巡り会えますように──と。

無事に心の中で三回唱え終えて、前みたいに顔を見合わせて微笑み合っていると、突然こめかみの辺りがズキンとして視界が歪んだ。クラっとしてその場に座り込むと、頭の中に映像が流れてくる。
何度も見た夢の映像だった。音は聞こえないが、もう一人の私が必死に何かを叫んでいる。

「どうした?!大丈夫か?!」
「急に頭が痛くなって……でもすぐおさまりそうなんで大丈夫です」

私の言った通り、頭痛はすぐにおさまった。カカシさんは私の背中をさすって心配そうにしていたが、私が一人で立ち上がれるのを見ると、胸に手を当てて大きく息を吐いていた。

「少し身体が冷えたから、家に帰ってあったかいものでも食べようか」
「はい!」

私が歩き出すと、カカシさんは私の腰に手を回して支えるように歩調を合わせる。
その腕の温もりを感じながら、先程の頭痛と、夢の映像は一体なんだったのだろうかとぼんやりと考えた。帰りたくないという私の心が見せたものなのだろうか。
考えても答えが出るはずもなく、私は考えることを放棄すると、「今晩は何を作りましょうかねぇ」と明るくカカシさんへ話しかけた。


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