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「じゃ、忘れ物はないかな?」
「はい、大丈夫です!」

結局カカシさんの誘いのまま、私は少しだけ変装をして支度を整えた。
カカシさんは髪が目立つから帽子をかぶっていつもと違う普通のマスクを。私も彼と同じマスクをして髪をサッと纏める。
玄関前で荷物の確認を済ませると、カカシさんが先にたたきに並べられた靴へ足を伸ばす。
すぐに履き終えると、玄関を出ると思いきやくるりとこちらを向いた。どうしたのだろうとじっと彼を見上げると、つまみ上げるように自分のマスクを下げた。
お次は私の方へ手が伸びて、スッと私のマスクも下される。そして、彼がニコッとしたかと思うと、顔が近づいてそのままキスをされた。
触れるだけのキスだったが、私達は一度離れて見つめ合うとまた重ね、数秒して離れるとまた重ねるのを何度も繰り返した。荷物を持っていない方の宙ぶらりんの手は、いつの間にか彼の掌にしっかりと握られていた。
うっとりと彼の瞳を見つめると、優しく彼が微笑む。
これから出かけるというのに、このまま家で彼とくっついていたい気分だ。
最後に額に唇を落とされると、カカシさんは私の手を握る掌の力をキュッと強めて「じゃあ行こうか」と少しだけ名残惜しそうな顔で言った。それから互いのマスクをなおして、ドアの方へ向きを変えた。
私もまだ夢心地ながら、急いで靴を履いて彼の後に続く。

アパートの階段を降りて外に出ると、私達はいつものように横並びになって歩いた。今までと違うのは、繋がれた右手だ。通りに出てすぐ、さりげなく彼が私の右手を握ってくれた。
彼の指が私の手に触れた瞬間、私は鳩尾の辺りがふわふわとして鼓動が早くなるのがわかった。
昨晩と同じくらいにドキドキして、マスクの内側で変な汗をかいてくる。おまけに夏ということもあって、髪を纏めたヘアゴムのあたりにじりじりと汗が滲んで痒くなってきた。とても平常心でなんていられない。
手を繋ぐなんて、付き合っていくうちにいつのまにか当たり前になってしまうことだけれど、付き合いたてというのはどうしてこれだけでこんなにも心が満たされるのだろう。
こうして歩いているだけで、今までと同じ世界のはずなのに、まるで私たちが世界で一番幸せなカップルのように思えてくる。
しかし、照れくささから話は弾まない。ただただ彼の体温を感じながら、私達は黙々と目的地へ向かった。


「この世界にもこんなところがあるんですね……」
「ここはお隣の湯の国から運んできた天然温泉を使った温泉施設なんだ。平日は空いててね」

たどり着いたのは、少し街から外れたところにある比較的新しいスパリゾートだった。
繁華街から出て、のどかな街道をしばらく歩いた先にあるので、確かにここなら職場の人たちにはバレなさそうだ。
受付を済ませて館内着を受け取ると、男と女に分かれた脱衣所でそれぞれ着替える。
着替えながら女湯の入り口にある大きな案内人板を眺めていると、内湯や露天風呂以外にも足湯、岩盤風呂、砂風呂、温水プールなどたくさん楽しめるところがあるようだった。向こうの世界となんら変わりない。
この世界のカップルも、こうやってデートに来るものなのだろうか。

館内着は甚平のようになっていて、髪を上げているとなんだか子供っぽくて恥ずかしい。マスクで蒸れた顔を少しだけ直し、鏡で変なところがないかを確認すると、ようやく脱衣所を出る。

「お待たせしちゃってすみません」

カカシさんはいつもの黒いマスクをして、男性脱衣所の前にあるベンチにボーッとした表情で座っていた。
着替え終わったらそれぞれの脱衣所入り口の前にあるベンチのところで待ち合わせ、という話だったが、だいぶ待たせてしまったようだ。
見慣れないラフな甚平姿でさえ、なんだかかっこよく見える。

「そんな慌てなくて大丈夫だよ。時間はたっぷりあるし」

優しく目を細めると、彼は館内着のポケットから簡易パンフレットを取り出し、私に向かって広げる。

「どこから回りたい?」
「じゃあ、まずは外の足湯からで」
「オッケー。あ、ちなみに砂風呂は館内着砂塗れになるし汗でびしょびしょになるから、内湯に入る前がいいかも」
「砂風呂、入ったことないんでいってみたいです」
「もちろん。じゃあいこうか」
「はい」

再び私たちは手を繋いで館内をゆっくり歩く。
平日だから空いている、とカカシさんも言っていたが人はまばらだ。
老夫婦や私達と歳の近そうなカップルあるいは夫婦が多く、落ち着いた雰囲気だった。これならゆっくりくつろげそうだ。

足湯は庭園のような作りになって、すっきりと晴れ渡った空と青々とした緑の生い茂った山を正面に迎えたとても気持ちの良いところにあった。
日向に出ると、足元に敷き詰められた小石調のタイルから伝わる熱や、太陽の日差しが真っ直ぐに当たって肌に熱が篭る。
カカシさんはキョロキョロとあたりを見渡すと、足湯沿いに設置されているパラソルの影になる場所を陣取ってくれた。
足先からそっと湯に浸け、ゆっくりと日陰に腰を下ろす。
湯は程よいぬるさで、風はからりとして妙に心地よい。ふと隣を見ると大好きな人がいて、まるで天国にでもいるようだ。

「こういうとこ来るのなんて久しぶりです。心が洗われますねー」
「いいでしょここ。なかなかの穴場なんだ」

足湯に浸かっている間、私は少し不思議な気分だった。
知らない世界にきて、こうして恋人が出来て向こうの世界と変わらないデートをしている。でも、ここは本来私のいた世界じゃない。
大好きな人と恋人になれてこんなに幸せで嬉しいのに、心のどこかで素直に喜べない自分がいた。
いつか、そう遠くない未来に彼と別れなければならない日が来る──そう思うと、お腹のあたりがモヤモヤとして、喉のあたりが詰まる感覚がした。

いつの間にか険しい顔をしていたのか、「どうした?暑い?」とカカシさんが私の顔を覗き込む。
私はすぐに笑顔を作って、「いえ、とても気持ちいいです!ずっとここにいたいくらいです!」とはしゃいで見せた。

「そりゃよかった」

カカシさんは、安心したようにそう呟いた。

私はふと遠くの空を眺める。緩やかに流れていく雲は真っ白で眩しい。あの雲はいったいどこへ行くのだろうか。この世界をよく知らない私には見当もつかない。
いつまでこんな日々が続くんだろう──私は雲の流れる先を目で追いながら、終わりの日のことを想像した。


***


「本当にいいの?」
「いいんです、私はオレンジジュースで十分ですから」
「じゃあオレもお茶にしようかな。すいませーん」

足の裏がふやけるまで足湯に使った後、私たちは館内施設を堪能し、ひとっ風呂浴びると、そのまま食事処で夕飯を食べて帰ることにした。
温泉の効能なのか、しばらく涼んだ後だというのに身体がまだポカポカしている。
カカシさんもいつもマスクをつけているのに、暑いのか今は下ろしている。おまけに額当ても外して、完全に家にいる時と同じようにリラックスしていた。
暑いから冷たいものが食べたくなって、私達は揃って冷やし中華を頼んだ。本当はお酒も飲みたいところだが、この前の一件があってからアルコールは控えているのでオレンジジュースで我慢をした。
料理を待っている間、他愛もない会話をする。

「今日はとっても楽しかったです!」
「本当に?なんかあんまり派手なとこじゃないけど……楽しかったなら良かった」
「私も温泉好きなので」
「向こうにも温泉ってあるんだ?」
「ええ、砂風呂とかはなかなか珍しいですけど、温泉は向こうでも人気ですよ!」
「初めてって言ってたもんね」

だんだん最初の緊張もほぐれてきて、いつの間にかいつも通りの二人に戻っていた。

「カナは向こうでどんなデートしてたの?」

突然、カカシさんが話題を変える。
デート──そう言われると、特別なものに聞こえるが、彼氏がいた頃にそんな大層なデートをした覚えもなく。

「うーん、普通に映画見に行ったり、電車に乗って遠くに出かけてみたり、街をプラプラしたり、どちらかの家でゴロゴロしたり……ですかね?」
「デンシャ?」
「電気で動く長ーい乗り物です」
「へぇ、そんなのがあるの。凄いね」

そうか、この世界に電車や車はない。映画館や電気だってあるからなんとなくあるような気がしていたが、彼にとっては聞いたこともないものなのだ。確か、地名を出した時も首を傾げていたっけ。
「見てみたいなぁ」なんてカカシさんが何気なく言うものだから、私はつい悲しくなる。

「もしそうなったら私が観光名所を案内しますね!」

その悲しさを振り切るように、私はなんの根拠もなくそう胸を張って笑って見せた。そんなことなんて、あり得もしないのに。
カカシさんは一瞬驚いたような顔をしていたが、すぐに表情を戻すと、「よろしく頼むよ」と微笑んでいた。
ちょうど飲み物と料理がやってきて、私たちは揃っていただきますをした。虚しい嘘をついてしまったな、と胸を痛めながら私は静かに箸で麺をすくって口へ運ぶ。
冷やし中華は器も麺もキンキンに冷えていて、つるりと喉を通ると、胸の奥がどんどん冷たくなって、ずっしりと重くなっていくようだった。


温泉施設を出たのは、夜の9時頃だった。
たくさんお湯に浸かって、お腹いっぱいに食べてすっかり眠くなっていた。私は目を擦りながらカカシさんと手を繋いで歩く。
あちこちから虫の音が聞こえる静かな街道は、私たちの他に人影は無い。
二人ともマスクを下ろして、夏の夜風にあたりながら歩いた。
ふと空を見上げると、チラチラと沢山の星が輝いている。
向こうではなかなか見ることのできない光景だ。

「星が綺麗ですね」
「あぁ、月も綺麗だな」

私達は立ち止まって、そろって顔を天へ向けた。

「そういえば、カナがこっちに来てしばらくしてだったかな。三代目がね、カナのことを昔の書物に登場した巫女なんじゃないかって言ってたこともあったな」
「え?巫女ですか?」

カカシさんは、書物にあったというお話を教えてくれた。
月がこの世に近づくとき、異世界より巫女ががやってきて幸福をもたらす──そんな言い伝えだそうだ。
あまりに壮大な話に、私は思わず吹き出してしまいそうになる。

「凄いですね、そのお話。まるでSFみたい」
「ま、言った後に普通のお姉ちゃんだろうって言って笑ってたけど」
「その通り、私はしがない普通の会社員ですよ」
「普通の会社員が、こんなところに来るのも変な話だけどねぇ」

あはは、とお互い顔を見合わせて笑うと、そのまま彼は私の身体をグイッと引き寄せて軽くキスをする。

「もっと早くこうしてればよかったなぁ」

繋いでいた手を離すと、優しく髪を梳くように撫でてくれた。私は突然の彼の行動にドキドキして、つい目線を逸らしてしまう。
カカシさんはそのまま私を抱きしめると、「オレはいつも大事なものに対して臆病になりすぎる。バカだよなぁ」と泣き出しそうなか細い声で呟いた。
離れることが悲しい、寂しいと想うのは私だけではない。彼もまた同じなのだ。
珍しく弱った彼の姿に、私はどうやって励まそうかと頭をフル回転させて思案する。

「大切に想ってくださって、ありがとうございます」

そうだ、私ばかりクヨクヨしてはいけない。ようやくここで気づけた。
抱きしめられた腕の間から、彼の表情を見つめる。
暗くてよくは見えなかったが、堪えているような顔をしていた。

「私は本当にカカシさんの家で目覚めたことを幸せに思っています。そして、こうしてそばにいられることもすごく嬉しいんです。とっても幸せなんです。だから、そんな悲しい顔しないでください」
「カナ……」
「どちらの世界で生きていたって、別れはいつかあります。それがどのタイミングになるかは誰にもわかりません……だから、私達は……」

口を衝いて出た自分の言葉に、思わず泣き出しそうになる。話の筋も通ってないし、めちゃくちゃだが、精一杯の言葉だった。
カカシさんを悲しませないように言った筈なのに、まるで自分に言い聞かせているようだった。

「そうだね。悲しいことばかり考えてちゃダメだね」

震え始めた私の声に気づいたのか、カカシさんが優しく語りかける。
今ある幸せを、ありのまま受け入れる──それが私達には必要なはずだ。
最後まできちんと言うことは出来なかったが、なんとなく彼に伝わっているような気がした。

「ありがとう、カナ」

カカシさんは私の額に唇をつけると、再び横並びになって歩き出す。私も彼に合わせて歩み始めたその時──

「あ、流れ星」
「え?」

不意にカカシさんが空を指さした。
指先の示す方向を目を凝らして見ると、一つ、二つと空を滑り落ちていく星があった。流れ星なんて、いつぶりに見るだろうか。
次こそは、と狙いを定めてじっと空を見つめると、とびきり大きな星が視界の左下の方向へ流れて行った。私はぎゅっと目を瞑って、心の中で三回お願い事を唱える。

──カカシさんとずっとそばにいられますように、と。

唱え終わってまぶたを開くと、まだ星は流れていた。三回唱えるのに成功したようだった。
嬉しくなって、つい口角を上げてカカシさんを見ると、彼もまた口元を緩めて私を見つめていた。

「お願いできた?」
「もちろんです!カカシさんはお願いしましたか?」
「したよ。秘密だけど」

ふふ、と微笑みあって私達は再び歩き出す。
私は同じ願い事だといいなぁと思いながら、彼の左手をキュッと握った。


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