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翌朝──と言っても昼だったが、味噌汁のいい匂いで目が覚めた。
ベッドに横になったまま窓の方を見るとすっかり明るくなっていて、そのまま部屋の中へ視線を移すとそこは私の部屋ではない。カカシさんの部屋だ。
起き上がると身体の上にかけられていた掛け布団がするりと落ちて、下着も身に付けていない胸元が露わになる。私は急いで掛け布団で鎖骨の辺りまで隠し、頭の中を整理する。
私が悪夢を見て、彼に泣きついて、そのまま一晩共にして、そのままキスをしてそれから──つまりは一線を越えてしまった昨晩のことは夢じゃなかったということだ。


昨晩はお互い好きあっていたということに感情が昂っていたからそのままの勢いで関係を持ってしまったが、本当にこれで良かったのだろうか。現に今、隣にはカカシさんはいないし、私はかつて感じたことのないくらい気まずさを感じている。
もちろん大好きな人とだからものすごく嬉しかったし、後悔はしていない。
しかし、この後どういう顔をしてこの部屋を出て行ったらいいのだろうか。私には見当もつかない。
夜、泣きすぎたのか頭と目の周りが重い。きっと腫れているんだろうな、カカシさんと顔を合わせたくないな──腹の底から深いため息をついて下着を探そうと布団をめくると、すぐ隣にパジャマと共に軽く畳まれて置かれていた。おそらくカカシさんが気を使ってここへ置いていってくれたのだろう。
軽く畳まれている、という点に猛烈に恥ずかしくなって消えてしまいたくなる。
こちらへ来てから買ったからくたびれてはいないが、なんの変哲もない色気のない下着を見られ、わざわざここへ隠すように置いてくれたことを想像するともうダメだった。

憂鬱な気持ちで掛け布団に身を包んだままモゾモゾと下着を身につけると、不意に扉がノックされた。
驚きのあまり、「きゃ!」と小さな叫び声を上げてしまう。

「あ、カナ起きた?入っても平気?」

扉の向こうで、穏やかなカカシさんの声がする。
この姿を見られては困ると、私は慌てて上擦った声で返事をした。

「カ、カカ、カカシさん!おはようございます!今着替えてるのでちょっと待っていただけますか?!」
「あぁ、ごめんごめん。入らないから安心して。昼ごはんそろそろ出来るから起こそうと思って来ただけだから」
「わかりました!すぐ行きます!」
「ゆっくりでいいよ」

そう声をかけられると、カカシさんの足音が遠のいて行く。
ほっと胸を撫で下ろすと、パジャマに袖を通して暴れる胸の鼓動を深呼吸で整えた。
ドア越しのカカシさんの声は、いつもと同じだった。
二人の間では初めての夜だったのに、あっさりベッドから出てご飯を作ってくれているし、いつもと変わらない様子だし、まさかこれは「昨日はごめん」パターンなのではないかと悪い考えが頭を過ぎる。
いやいや、あんなに今まで誠実だったカカシさんがそこらの軽薄な男と同じようなことをするだろうか。それだったらもっと前に手を出されていたはずじゃないか。
答えの出ないことをぐるぐると考えながら、私は洗面台に向かい身支度を整えた。

「おはようございます」

やっぱり目が腫れていたので、外に出る予定もないけれどしっかり化粧をしてからダイニングに顔を出す。
カカシさんは料理に使った調理器具を洗っているところだった。
私の声に顔だけ振り返ると「おはよう」と柔らかく微笑む。
いつも通りだけれど、どこかやっぱり気まずさが拭えなくて、チラッと彼の目を見るとすぐにテーブルへ視線を移して席に着く。
昼ごはん、と言っても朝昼兼用なのか焼魚にご飯、それから煮物に卵焼き二切れ、そして味噌汁と少し豪華な朝ごはんと変わらないラインナップだ。
私に合わせてくれたのだろう。

「もう片付け終わるから先食べてて」

背中越しに彼はそう言うと、ジャッと勢いよく蛇口を捻ってシンクの中のものを洗い流し始めた。

「昨日帰ってきたばかりなのに作らせちゃってごめんなさい」
「そんなの気にしないでよ」

似たようなことを前も言っていたなぁと思い出す。私がここへ住むことになった初日のことだ。

「あとは私が片付けますから、一緒に食べませんか?」
「じゃ、お言葉に甘えちゃおうかな」

あの時から変わらないようでいて、私たちの関係は確かに変わっている。
すみませんというばかりだった私は、謝るだけでなくそれなりに彼を気遣えるようになった気がするし、カカシさんもそんな私に当たり前のように心を開いてくれていた。
前は私に気を遣わせないよう気遣いしてくれていたが、最近はラフに接してくれているのがわかる。
これが距離が縮まったということなのだろうか。彼が席に着くまでの間、お椀から立ち上る味噌汁の湯気を眺めながらこれまでのことをしんみりと思い出す。

「おまたせしました」
「いえいえ」

カカシさんが着席すると、私達は揃って両手を合わせて「いただきます」を唱える。
ほぼ同時に箸を持つと、彼も私もまずお椀を手にとり、熱い味噌汁を食道へ流し込む。いつものほっとする味だ。
それから、私達は静かに食事を取った。互いに無言だった。
一緒に食べましょうと言ったのは私なのに、何を話したらいいのかわからない。カカシさんを前にとりあえず言葉を発そうとするが、うっかり昨晩のことを思い出してしまって喉のあたりで声が溶けて無くなってしまった。
その度に私はご飯を口に運び、次の一手を捻り出そうと頭をフル回転させる。

「お腹空いてた?」

突然カカシさんが私に問いかける。
無言でぱくぱくご飯を食べ進めるものだから、そう思われて当然だろう。

「……そう!そうなんですよ〜!なんかすっかりお腹すいちゃって!」

私はあははと笑うと、追加でご飯を口の中へ放り込んだ。

「良かった、昨日あんな感じだったから食欲無いかと思って」

私は全身に緊張がはしる。
彼は昨晩のことをどう思っているのだろうか、それだけが気がかりだった。
途端に口の中の食べ物の味が分からなくなる。
もぐもぐと口を動かしたまま、にっこりと作り笑顔を向けるとカカシさんは弱ったような顔をした。

「なんか、いざこうなると照れちゃってダメだなぁ」
「……え?」
「昨日はごめんね」

ごめんね、というフレーズに頭が真っ白になる。
これはやっぱり、私が思っていた最悪のパターンか。だって、「昨日はごめん」なんてその後には「つい勢いで」だとか「本気じゃなかった」なんて悪い言葉が続くとしか思えない。
そんな、嫌だ──私はまた涙の前兆が鼻の奥と目頭に感じられた。

「泣いてるカナを見たらいてもたってもいられなくて。やっぱり好きなんだなぁって思っちゃったらつい勢いで」

ネガティブすぎる妄想も束の間、私の前にはその真逆の、私を好きと言って照れ臭そうに笑うカカシさんがいた。

「そういうのはせめて、ああいう流れに任せてじゃなくてちゃんとカナに気持ちを伝えてから、って思ってたんだけど……」

拍子抜けして私は持っていた箸を落としそうになる。
すんでのところで持ち直し、お茶碗と箸を一度置く。この状況と彼の言葉を飲み込むために、彼が用意してくれていたコップのお茶をゴクッと飲み込んだ。

「昨日は本当に嬉しかったよ」

今までに見たことのない笑顔だった。
照れ臭さと喜びが入り混じって、困っているようにも、満面の笑みのようにも見える不思議な笑顔だった。
私はそれを見て、全身がくすぐったくなった。
いつもカカシさんはどこか余裕があるようで、大人だと思っていたのに今目の前にいるカカシさんは本当に恥ずかしそうで、どこか頼りなさそうだ。
私はそんな彼を情けないだとか、男らしくないだとかなんてマイナスの感情は全く抱かず、むしろその余裕のなさが嬉しかった。
そんなに臆病になるほど、私のことを想ってくれていたことが本当に嬉しかった。

「三代目にバレたら怒られちゃうかな……そうだ、今日は天気もいいしどこか出掛けない?あ、でもまだ疲れてる?」

彼は笑顔で問いかける。
私はようやく昨晩のことや、お互いに気持ちが通じ合ったということへじわじわと実感が湧いてきて、一人余韻の中に浸った。
椅子に座っているはずの身体がふわふわと浮くような心地がして、口元は緩み、目はとろんとしてくる。
胸の奥から喜びの気持ちが溢れてきて、頭の中でファンファーレが流れてくるようだった。

「……カナ?どうしたの?」

よっぽど変な顔をしていたのだろう。
今まで笑顔だったカカシさんの顔が急に青ざめ、「もしかして嫌だった?」と私の様子を伺う。
ようやくここで多幸感から現実に引き戻され、慌てて彼の不安を打ち消した。

「いえ、そんな!嫌なんかじゃなくて、その……昨日のことが夢じゃなかったんだ、って思ったら嬉しくてふわふわしてしまって……」
「本当に?」
「本当です!私もずっと……カカシさんのこと素敵だなって思ってましたし……」
「良かった」

カカシさんはまた変な顔で笑うと、彼もコップを手に取ってゴクゴクとお茶を飲み干していた。

それからは、若干の面映さはあるものの、普通に話ができるようになった。
──と、ここで私は一つ大事なことを忘れていたことに気づく。

「えっ?!うそ?!今日平日ですよね?!」

頭が真っ白になり、思わず席から勢いよく立ち上がる。
──遅刻だ。
時計を見るとすでに11時を回っている。これじゃあもう間に合いようがない。
鼓動がバクバクと速まり、息が浅くなる。
やってしまった、どう言い訳をしよう、のんびり朝ごはんを食べている場合じゃないと「ごちそうさま」を言いかけて食器を下げようとする。
その瞬間、彼の左手が伸びてきて、「落ち着いて」と私の右手首を優しく掴んだ。

「なんですか?!大遅刻なんで、手短に……」
「体調が悪いようだから休むって言っておいたよ」

だから大丈夫、と微笑むと私はやっと深く呼吸ができるようになった。
手に持っていた皿や箸を力なく再びテーブルに置くと、ふにゃふにゃと椅子に座りなおす。

「あ、ありがとうございます……」
「いやぁ、起きてきた時に言うべきだったね。ごめんごめん」

起きてからまだ少ししか経っていないのに、緊張しっぱなしですっかり疲れてしまった。
私は背もたれに身体を預け、深呼吸をする。

「死ぬかと思いました……」
「遅刻くらいで死にそうになるなんて真面目だね」
「だって、私はまだ信用も浅いですし……」
「ま、いーじゃないの。いずれにせよあのまま仕事になんて行けないでしょ?」
「それは……」

想像して、思わず顔が熱くなる。
彼の言う通り、あの後出勤するのは無理があっただろう。起こせば無理にでも行くと言いそうな私の性格を見越して、あえて起こさず、伝えなかったに違いない。
本当にカカシさんは私のことをよくわかってくれている。

「せっかく平日休みになったことだし、少しここから離れたところでこっそりゆっくりしようよ。ね?」

カカシさんは悪い顔をしながら言った。
仕事をずる休みするなんて、向こうの世界でもしたことがない小心者の私は、得も言われぬ背徳感に胸を鷲掴みにされながらも、戸惑いが隠せない。

「バレないですかね……?」
「バレたらオレのせいにしていいよ。オレ、口は上手い方だからさ」
「えぇ……でもこの世界でやっともらった仕事なのに、クビにでもなったら……」
「心配しすぎだって!なんかあったらオレが三代目に口利きするから」
「そんな、不正な……」
「もう休んじゃったんだから同じでしょ?家に篭るのか、こっそり楽しむかだったら絶対後者の方がいいじゃない」

悪魔のような微笑みで、彼は私を見つめる。
意思の弱い私は、その魅惑的な表情につられて、つい首を縦に振ってしまう。
「そうこなくっちゃ」とカカシさんは満足そうに言うと、器に残っていた朝食を平らげ、鼻歌を歌いながら空になった食器を流しへ持っていった。
私が洗うと言ったことなどもうすっかり忘れているようで、いそいそと食器を洗い始めていた。

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