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カカシさんが帰ってきた夜、嫌な夢を見た。
涙に溺れそうなほど顔がびしょびしょになって目が覚めると、うっすらとかいた汗のせいでパジャマがぴったりと貼り付いていた。起き上がって布団から出ると、もう夏が始まりかけているというのに窓から入る風が肌寒い。ちゃぶ台の上の時計は深夜3時を示している。
窓の外を見ると、月が消えかけていた。そろそろ新月だろうか。
それでも外は星や街灯のせいか、部屋の中よりは明るい。虫の音と樹々のそよぐ音しか聞こえてこないほど静かな街は、全体が紺青に光っているようだった。

ここからいなくなる夢を見た。いなくなる、というより元の世界に帰ったという方が正しいのか。
夢で私は今いるこの世界の服を着て、水面のような場所に立っていた。気づくと元いた世界の服を着たもう一人の私が向かい合うように立っていて、私は静かに私自身と対峙した。
ドッペルゲンガーだと思って内心焦っていると、その横に鬼のような恐ろしい形相の神様みたいな人が姿を現し、椅子に腰掛けたままこちらを見ていた。
ここは地獄?あれは閻魔大王?私は死ぬの?──そう怖くなりながら、立ち竦んでいると、何やら二人が会話を始める。しかし、私には一切聞こえない。
怖くなって逃げようとするが、周りを見渡しても水面のような地面が続いており、何も目印になるものもなくどこへ逃げたらいいのかわからない。
次第に脚が震え、後退りをすると、鬼神が私に何か話しかけてきた。
殺されるのか。私は半ば諦めの気持ちで鬼神を見つめると、鬼神は何か持っている変な形をした杖のようなものを振り、目の前が真っ暗になった。
あぁ、私は死んだんだ──そう思ってゆっくりとまぶたを下ろした。
しかし、何か音が聞こえる。スマホの目覚まし音だ。死んだはずなのにどうして?、とゆっくりと再び目を開けると、そこは元いた世界で。
呆然として服を確かめると、あの日着ていたパジャマを身につけていた。そして、両耳を触るとピアスもない。
あぁ、全ては夢だったのか──全てのことが夢だったことに気づくと、私は途端にカカシさんの優しい表情が脳裏に浮かび、声を上げて泣いた。
あの優しい声も、表情も、頭を撫でてくれた優しい手の温もりも、作ってくれた美味しいご飯も、全部手に入れることすら出来ないものだと気づくと、私はさらに絶望し、泣いて泣いて泣いて意識が遠のいていった。

そして、目が覚めるとこの世界にしっかりと生きていた。
これほど目が覚めて安心した夢は今までに無いだろう。思い返すとまた涙が溢れてくる。
私はしばらく窓のそばに立って、私がこの世界にいることを確かめるように眠りこけた街を眺めた。


少し涙が引いて気持ちが落ち着くと、たくさん泣いて喉が渇いていることに気づいた。水を飲もうと廊下に出ると、何故かキッチンの灯りがついている。
消し忘れたっけ、と思ってまだ少し残っていた涙をパジャマの袖で拭ってキッチンへ出ると、なんとそこにはカカシさんの姿があった。ダイニングテーブルに座って、本を読んでいる。
彼は私に気づくや否や、ハッとした顔をして本を投げ出し、席を立って私の方へ駆け寄ってくる。

「どうしたの?!そんな顔して……」
「え、あ……」

夢を見て、と言おうとした瞬間、また涙が溢れてくる。言葉が出ない。
きちんと訳を説明しようと、両手を胸の前で「大丈夫です」の意を込めて左右に振るが、私の涙は溢れるばかりで上手く伝わらない。それどころか、彼はどんどん困った表情になっていった。私たちはしばらく片や泣き、片や困りの状態で向かい合う。

私がようやく振り絞るような声で「だい、じょうぶ……です」と彼に伝えられたその時、それは突然に起こった。
カカシさんの両腕がそっと私へ伸びてきたのだ。
そのまま私の背中に優しく手を回され、私は彼の腕の中にすっぽり収められる。そして、彼の大きな左手は私の後頭部に添えられると、右耳を彼の胸板にぴったりつけるように上半身を抱き寄せられた。
あまりにも唐突な出来事に、私は思考が停止し、涙もピタリと止まった。
彼の胸の振動が、私の右耳から身体中に伝播していやにドキドキする。静かな息づかいですらもありありと感じられ、彼と私の距離がゼロになった事を理解した。私はどうしていいかわからず、ギュッと目を瞑る。
カカシさんはそんな私に、「話せるようになったらでいいから、何があったのか教えて」と声をかけてくれた。

その彼の言葉に、初めて会ったときの光景がまぶたの裏に浮かぶ。
あの日、突然目の前に現れた私に慌てながらも、私を泣き止ませてくれたカカシさん。何回泣いても私を落ち着かせてくれて、この世界で一人ぼっちで寂しい私を傍に置いてくれて、面倒まで見てくれて。
それから素敵なプレゼントまで買ってくれて、また泣いたらこんな風に優しく抱きしめてくれるなんて。
これは任務だから、彼が優しい人だからって今までこの気持ちを抑え込んできた。気持ちに気付いても、そんな風に思ってはいけないと律してきた。
でも、こんなことまでされてしまったら──私は、決心をして、ゆっくりと目を開く。
彼の顔を見て話そうと、一度彼の身体から離れるように腕で軽く距離を取ろうとする。

「カカシさん、私──」

静かにそう呟くと、不意に後頭部にあった彼の左手が離れた。そして、あたたかな熱がそっと私の右頬を包み込む。
何が起こったのかわからないまま、私の顔はその熱に誘導されるように彼の方へ引き寄せられて行く。
全てがスローモーションのようなのに、思考が追いついていかない。どんどん視界の中の彼が近づいてくる。
何が起こっているのかを理解する頃にはもう、彼の唇が私の唇に触れていた。優しく触れるだけのキスだった。
三秒ほどして離れると、彼は私の頬に手を添えたまま哀しい顔をしていた。瞳の中がゆらゆらと揺れていて、潤んでいるようだった。いつもは覆っている傷のある方の目も少しだけ開いていた。
余韻に浸りながらぼうっと私は彼を見つめると、彼は「ごめん」と口を開く。

「ごめん、こんなことして。卑怯だよな……」

カカシさんは力なく笑った。
見たことのない悲痛な面持ちに、何も言葉が出ない。彼は続ける。

「でも、こんなことしちゃうくらい、カナのことが気になっちゃって仕方ないんだ。もっと、カナの悲しい気持ちも、寂しさも、楽しいことも全部わかってあげたいし、ずっとそばでカナを見ていたい」

その言葉に、私は胸の奥がギュッと締め付けられる思いがした。その上喉の奥がジリジリ焼けるような感覚までして、目と鼻の奥がツンとしてくる。
目頭には熱が篭り、視界がだんだんぼやけてきた。

「好きなんだ、カナのことが」

そう告げられると、私の頬は再び涙で濡れ始めた。

「……帰るまでなんて都合が良すぎるのもわかってるけど、せめてここにいる間だけでも、カナの恋人として傍にいさせてもらえないかな」

ひどく臆病な声でカカシさんは言った。
こんなに望んでいたことなのに、彼も私を好きになってくれたというのにどうしてこんなに哀しいのだろう。
こんなに嬉しいことなんてないはずなのに、どうして私はこの幸せを捨てて、別の場所へ帰らないといけないのだろう。
私の涙は止まらなくなり、嗚咽が漏れ始める。

「……そんなこと……帰るまで、なんて言わないでください……また泣いちゃうじゃないですかぁ……」
「……ごめん」
「私だって……、ずっと……ずっと、そばにいたいのに……」

しゃくりあげながら私は精一杯そう伝えると、堰を切ったようにわんわん声をあげて泣いた。言ってしまったら終わりが決まっている事をはっきりと認めてしまったような気がして、哀しくて悔しくてたまらなかった。

こんな大人らしからぬ私を、カカシさんはずっと無言で抱きしめていてくれた。
再び彼の左手は、私の頭を優しく撫で、ぴったりと私の頭に顔を寄せると、耳元で「ごめんね、傍にいるから」と宥めるように囁き続けてくれた。

私が完全とまではいかずも少しだけ落ち着くと、カカシさんは「座りな」と言って、一度離れてダイニングテーブルの椅子へ座るよう誘導する。
この頃になると私は少しずつ冷静さを取り戻しており、彼にめちゃくちゃなった顔を見られたくなくて俯く。
彼は私の隣の席へと腰を下ろす前に、コップにまだ少し温かいお茶と、ティッシュとそれから氷嚢を準備してくれた。
まるであの日を思い出すようだった。
その優しさが嬉しいはずなのに、また泣いてしまいそうになるから私は少し無愛想に「ありがとうございます」とだけお礼を言った。
私は用意してもらったお茶を、ゴクッと喉に通す。口の中がカラカラで、あっという間に飲み干してしまう。
そしてティッシュで静かに涙と湿った鼻を押さえると、氷嚢を手にとりまぶたへあてがう。ひんやりとしていい気持ちだ。
こうして一つ一つ自分を落ち着かせている間にも、頭の中には初めて出会った日のことが鮮明に浮かぶ。
たった一ヶ月程度の話なのにもかかわらず、随分と遠くのことのように感じた。

「……なん、で……カカシさんは起きてたんですか……」

声を出せるようになると、私は疑問に思っていた事を尋ねた。
まだカカシさんの方を見て話せないので、視線はテーブルに固定したままだ。

「んー?あぁ、早く寝ちゃったから変な時間に目が覚めてそれきり眠れなくて。温かいお茶でも飲んで眠くなるまで読書してようかなーって」

いつものような優しい声色でそう答えると、「お茶、おかわりする?」とコップを持ち上げて尋ねた。私はコクリと頷く。
カカシさんはすぐに立ち上がると、コップに並々とお茶を注いで再び目の前に置いてくれた。
私はすぐにそれに手をつける。お茶は先ほどよりもぬるくなっていた。
再びカカシさんが私に尋ねる。

「カナは何で泣いてたの?」
「……怖い夢を見たんです」
「夢?お化けでも出てきた?」

先程よりも数倍優しい声で、まるで泣いている子供を落ち着かせるような雰囲気でそう言った。
恥ずかしさにいたたまれなくなるが、私は首を左右に振ると、ようやく彼を見て返事をする。

「この世界でのことが全部夢だった、って言う夢を見たんです。すごく変な空間で、元の世界の服を着たもう一人の私が目の前に立っていて、その横に鬼みたいな怖い顔をした神様みたいな人がいて……その人が持っていた変な形の杖みたいなを振ったら私は夢から覚めて元の世界に戻っていて……」
「鬼?」

静かに聴いていたカカシさんは、眉間にシワを寄せて聞き返す。

「はい、額のところから二つの角のようなものが生えていて、すごく威厳のある神様のような雰囲気で……でも怖い顔をしていて……」
「その神様ってのは他に何か特徴は?」
「いえ、夢なのであんまり覚えては……」
「そうだよなぁ、ごめんごめん」

カカシさんはそういつものように笑ったが、何かを考えるような顔をしてしばらくどこかを眺めていた。珍しく険しい顔だった。


私がすっかり落ち着くと、カカシさんは「もう遅いから眠ろう」とコップと氷嚢を流しに片付けて私を寝室に誘導する。
キッチンとダイニングの部屋の電気を消すと、背中に手を回され、私はゆっくりと暗い廊下を歩く。
たくさん泣いたからか、まだまぶたが熱を持っていて重い。通るようになった鼻を少し鳴らしながら進むと、カカシさんは彼の部屋の前で立ち止まった。
何故だろうと彼を見ると、「今日は傍にいようか?」と照れているような、気まずそうな何とも形容し難い表情をしていた。
それに私は笑顔で「お願いします」と応える。
傍にいるということ──それがどういう状況になるかは、理解した上での返答だった。


背中に手を回されたまま、彼の部屋へ入る。久しぶりの彼の部屋は、あの日と何ら変わりなかった。
彼の部屋の方が賑やかな通りに面していたが、窓が開いていてもとても静かで、まだしっかりと闇の中にあった。私の部屋より風の通りがいいのか、より肌寒さを感じる。一瞬肩をすくめると、カカシさんが気を使って窓を閉めてくれた。
彼のベッドに寝るよう言われて先に横になると、何故かカカシさんはなかなかベッドに入ってこない。
それどころか、ベッドの向かいにある机の椅子に腰掛けて、私をじっと見つめている。

「寝ないんですか?」

不思議に思ってそう尋ねると、「いやぁ……」と眉尻を下げて困ったように笑った。

「……一緒に寝るとは言ってなかったなぁと思って、横に行っていいのか迷っちゃってね」
「私はそうだと思ってましたけど……」

私がそう返事をすると、カカシさんは「そっか」と安心したように呟いて、椅子から立ち上がりゆっくりと私の隣へすべりこんだ。
枕が一つしかないので私に使うよう言うと、彼は片肘をついて私と向かい合うように横向きの体勢になる。そして、優しい眼差しで私を見つめた。外の青白い光が彼の顔の陰影を照らし出し、とても綺麗に見えた。
狭い一人用の掛け布団の中では彼の体温がすぐに伝わってきた。寒い部屋の中で、とても心地よい。安心感のようなものに包まれて、先程まで哀しみに溢れていた心までじわじわと温まるようだった。
私は彼に微笑み返す。すると、彼の左手がそっと頭に伸びてきて、優しく髪を撫でてくれた。
嬉しくて口元がつい緩む。それと同時に、自分の胸の鼓動が大きくなるのがわかって急に恥ずかしくなった。

「……なんか、ドキドキしちゃって全然眠れなさそうです」

彼に胸の音を指摘されたら恥ずかしいので、先に自分から言ってしまおうと思い、はにかみながらそう言うと、「やっぱり?オレも」とカカシさんもニヤッと笑った。
私達はお互いに照れていることがわかると、ふふふ、と笑い合った。
カカシさんは、私になんて余裕だと思っていたのに、同じように緊張しているのがなんだか可笑しく思えた。同時に、それほど私のことを真剣に好きでいてくれているのかと思えて、くすぐったい気持ちになった。

照れながらもまた見つめ合うと、今度は静寂が流れる。
すると、だんだんとカカシさんの表情から微笑みが消えた。左手は私の髪の上を滑らせたまま、彼はまっすぐ私の瞳を見つめる。
私もそんな彼をじっと見つめ返すと、カカシさんは撫でる手を止め、そっと上半身を起こして左手で私の右頬を包んだ。その状態で、私達はまたしばらく見つめ合う。おそらく数秒のことだったと思うが、口から心臓が飛び出るのではないかと思うほどドキドキして、私にはとても長い時間に感じられた。

そして、彼の手に顔を引き寄せられたかと思うと、優しく唇を落とされた。
ついばむようにして一度離れると、彼は切なそうな目で私を見つめる。その瞳に、胸の奥がズキンと痛むような心地がした。
再び唇が触れる。今度は唇同士を滑らせるように重ねると、彼の左手が頬から離れ、私の右手を探した。
指先同士が触れて、そっと彼の大きな手に指を絡められる。彼はその手を私の顔の横あたりへ持っていき、私に覆いかぶさるさるような体勢へと移った。
私の左頬は彼の右手に包まれ、いつしか深い口づけへと変わっていった。
私は、ただされるがまま彼に身を委ねるだけだった。泣くほど心を焦がした、大好きなカカシさんにこんな風に愛してもらえるなら──と。
例えそれが、元の世界に帰ってしまう短い間であっても、彼が本当に私のことを好きになってくれのことであれば構わない。後悔はしない。そう思った。

「カナ、大好きだよ」

唇同士の隙間から漏れ出た切ない声で、彼はそう囁く。
そんな彼をうっとりと見つめて「私もです」と微笑むと、私は左手を彼の頬へと伸ばし、自ら口付けをした。

彼の表情を照らす窓から差し込む光は、少しずつ色温度が変わり始めている。
ずっと聞こえてきていた虫の音も、いつしか聞こえなくなっていた。

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