悲しみはあめのように


「これあげる」
「いらない」
「まだ何あげるか言ってないじゃん」
「さっき購買にいるのを見たよ。どうせその手の中にあるのはハッカだろう」
「ユリ・ゲトー……」
「スプーン曲げでもしろって?」

 人の部屋に勝手に上がって来た名前がベッドに背を預けて床に座り、タネをばらすマジシャンの様に手の平を上にして拳を開けば、中には思った通り白いドロップが乗っていた。しかも二個も。
 名前は不服そうな顔をして脇に置いた鞄から取り出したドロップ缶にしぶしぶとハッカを戻した。

「ドロップ買う度に私にハッカ味を押し付けるのやめなよ、もう高校生なんだしいつまでも好き嫌いしてないで」
「だって好きじゃないんだもんハッカ。歯磨き粉みたいにスースーするし、ミントってイヤ」
「じゃあドロップを買わなければいい」
「やだ、ドロップ大好き」
「面倒な奴だね」
「面倒で結構」

 自分と同じく非呪術師を親に持つ幼馴染の彼女の大好物は、ドロップのいちご味。それを食べるためにドロップ缶を買うのは良いが、その度に私に缶の中にあるハッカを全部押し付けてくるのはいい加減に止めて欲しい。
 呪霊の後味を払拭するのにミントの清涼感が良い、とうっかり漏らしてから彼女はぽいぽい私にハッカだけを寄越してくる。たいして好きでもないハッカをこうも食べさせられるとこっちまで嫌いになりそうだ。
 小さい時なんか、ハッカは呪霊を取り込んだ私に効く薬だとでも思ってるのか、問答無用で口に突っ込んできたりもした。

「市販の別ないちごキャンディで我慢できないのか」
「えー。ドロップ缶の安っぽいいちごが好きなの。あと、缶を振って、どの味が出てくるかなーってワクワクするのも好き」
「安っぽい味でワクワクできるなんてほんと変わり者」
「そんな変わり者と幼馴染やってる傑も変わり者」
「じゃあ幼馴染をやめようかな」

 なんて適当な冗談を返すと名前はまん丸く目を開いた。
 ここでそういう純粋な反応をされるとこっちも上手く次の言葉を返せなくなってしまう。ただの冗談だったのに、みるみるドロップ缶を握る彼女の目に薄い水がたまっていく。
 これには驚きで心臓が口から飛び出そうになる。
 まさか泣かせようとはこれっぽっちも思っておらず、向かいに座っていた腰を上げた。慌てて隣に移って私も彼女と同じように床に座った。

「なにも泣くことないだろう」
「幼馴染やめるなんて言わないでよ。傑がいなかったら、誰が私のハッカ食べてくれるの?」
「気にするのはそこ?」
「傑がいなかったら五条のバカがもっと付け上がって、硝子と私が五条のしりぬぐいをさせられる!」
「泣くか悟をこき下ろすか、どっちかにしたら。ずっと幼馴染でいるから、ほら、泣きやんで。今さら君の前からいなくなったりしないさ」
「冗談でもいなくなるとか言うなばか! 責任もってハッカ食べて!」
「もがっ」

 どさくさにまぎれて謝罪をする口にハッカを突っ込まれた。
 さっきと同じ、二個も。
 間違って丸飲みしないように両頬にドロップを分けると頬袋に餌をため込むハムスターになってしまった。それを指さして笑う彼女の表情は明るく、泣きそうになっていたのは演技だったんじゃないかと疑いたくなる。

「うひょついたひゃ」
「とっとこハムゲトー、なに言ってるのか分からない」
「んぐぐ」
「でもほんと、幼馴染やめたりしないでよね」

 横で彼女がぼそりと呟いた言葉はちゃんと私の耳に届いた。
 だから返事の代わりに口の中のハッカを奥歯で噛み砕いて飲みこんでみせる。

「ほら、食べてあげたよハッカ」
「ありがと」
「たまには私もいちご味を食べたいなあ」
「考えとく」

 ハッカのミント味が鼻から抜けてスースーする。
 まだこの突き抜ける味には耐えられるけど、そろそろいちごの甘い味が恋しい。






「私の前からいなくならないって言ったじゃない」

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって、どんな意味だったかな。
 全然似合わない坊さんみたいな格好でのっぺりした笑顔を貼り付けた傑を見ると涙が出てきた。昔は私が泣けばすぐに隣に来てくれたのに。あの時の傑はもうどこにも見えなくて、ただずっと私と相対したまま動かない。

「傑がいないから、ドロップ缶の中のハッカも全部自分で食べなきゃいけなくなった。どうしてくれるんだ、ばか」
「良かったじゃないか。私がいなくなったおかげで、君の好き嫌いがひとつ減った」

 風が吹いて私のスカートと傑の袈裟を揺らす。一瞬見えた彼の両手は人間の血で真っ赤に濡れていた。
 信じたくなかったけれど、さっき見てきた非呪術師の死体の山は傑がやったのだと分かって、本物の涙が両目から流れ落ちる。
 私のためにハッカを食べてくれた大好きな男の子は、もういない。
 右手に持ったドロップ缶がガラガラ音をたてる。
 スース―するハッカを我慢して全部食べて、甘いいちご味だけ残したドロップ缶。

「ねえ傑、今戻ってきてくれたら、特別にいちご味あげるよ」
「もう、いらないよ」

 子どもじゃないんだから。
 そう言って弱い人を見下すせせら笑いを引っ込めた傑の目に浮かぶ、またたきの悲しみ。

「そっか」

 私はドロップ缶を投げ捨てて腰に佩いた刀の柄に手をのばす。

「もっと早くにいちご味あげてたら、ずっと私のそばにいてくれた?」
「うーん、それはどうだろうね」
「………ばか」

 どうして、否定しないの。
 まるで、今も傑が私のそばにいてくれた未来があったみたいな言い方するの。
 傑のばか。