骨を噛む

 不死川玄弥はかつて己の姉弟子だったものの一部を、右手の人差し指と親指を使って慎重につまみ上げた。
 力加減を間違えればそのまま白い粉になりそうな、それ。
 生前は張りのある瑞々しい皮膚としなやかな筋肉に覆われ、熱い血潮が張り巡らされていた彼女の左手の小指。
 荼毘に付され、乳白色の細い欠片となった基節骨。
 それを目の前に翳し月明かりに透かした後、玄弥は夜空へと軽く放り投げ、落下する彼女を大きく開けた口の中で受け止めた。
 飴玉を転がすようにころころと舌の上で遊ばせ、姉弟子はたいそう身体の小さな女だったのだなと触覚を通して在りし日の姿を思い浮かべる。
 玄弥と名前は情事も挟まない様な初心な関係だったが、戯れの中で彼女の指を食んだ時を思い起こした。


 岩柱の屋敷の裏に聳える山から梟の鳴き声が聞こえる。風にあおられた葉同士がせめぎ合い、重なり合い、離れていくざわつきも。
 師に隠れて同じ布団にくるまった名前と玄弥は、夜というだけで感覚が研ぎ澄まされるように変質した自分たちの体質に苦笑する。

「冷えるね」

 少女は少年の肩が隠れるまで掛布団を引き上げてやりながら、その内側に潜り込むように身を丸めた。せっかく布団に収まったばかりの少年の肩が揺れて、またすぐに端の方から布団がずり落ちてしまう。
 ただ少し素肌が触れ合うだけで初心だな、と微笑ましい気持ちでいた少女のなだらかな背面に、少年の節の目立つ大きな右手が珍しく積極的に添えられた。

「寒いんだろう」

 出会った当初の、手負いの猫のような怯えた鋭さは鳴りを潜め、姉弟子を思いやる繊細な力加減を学んだ少年は―不死川玄弥は生まれて初めて肉親以外の少女を懐に受け入れる。
 年下の男の子だった彼の体は、今や一回りも二回りも、少女より大きく逞しい。かつては呼吸の未熟な玄弥を鍛え励ましていた名前も、腕の中にすっかりおさめてしまう。

「ありがとう」

 かじかんだ少女の鼻先に重なる玄弥の肋骨に守られた心臓は、駆け足になる度に彼と彼女の年の差を少しずつ埋めていった。
 早く大きく、もっと強く、彼女よりもずっと。もう二度と大切な人を失わないように。
 玄弥はじゃれ合いにまぎれて少女の左手の小指にやわく歯を立てた。いつかこの約束の指を永遠に自分のものにしたかった。


 それなのに、名前はその指先に相当する肉体の儚さのままに、鬼との戦いの末に三日前の夜、この世を去った。
 故人である玄弥の母も体が小さく、しかし器量良しの働き者であった為、彼女に感じていた慕情の中に知らず、鬼に成り果てた母への懺悔をひとしずく滲ませていたかもしれない。今となっては、詮無い事だ。

 彼女の小指は、ざらつきはするがひっかりの無い、舌触りの良い骨だった。
 彼女自身も他者との諍いを好まず、調和を重んじる生来の繊細さを持ち合わせた、優秀な呼吸の使い手であった。反面、女性という肉体の殻に限界を突き付けられ、越えられない壁にもがき苦しみ心を病む事もしばしばあった。

「私が死んだら、私を食べて」
「なんでそんな」
「玄弥くんの丈夫な体に私の丈夫な肺、一つになればきっと柱にだってなれるよ」

 亡くなった人間の遺灰や遺骨を薬とする風習もあると蟲柱に聞いたが、玄弥は死んで一つになるよりも、生きた彼女と一つになりたいと願っていた。もうその願いは永遠に叶わないが。

 玄弥は自嘲まぎれに人並み外れた顎の力で奥歯を噛みしめる。
 がりり、彼女の骨が軋む。
 ぱきん、彼女の骨が、玄弥の口内でささやかに爆ぜる。