わがまま王子の様子がおかしい。
具体的にどこがどうおかしいのか、マリア自身にも分からなかったが、学校が始まってからのルシウスにときどき違和感を覚える。
そしてその違和感は、ルシウスの周りにいる人達からも時折感じられた。
「マリア」
『はい。なんでしょう?』
「最近よく私のことを見ている気がするが」
『自意識過剰です』
「気のせいなわけあるまい。私がマリアのことで間違えることなどありえない」
『お気遣いありがとうございます』
マリアはルシウスの言葉を遮り、立ち上がった。
談話室で何を言い出すのだ。
あと約半年で学校生活が終わるというのに、最後の最後でボロを出さないで頂きたい。
『実は呪文学でよく分からないところがありまして。ルシウス様ならご存知かなと』
「君でも分からないことがあるとは意外だ」
『ルシウス様のように非凡ではありませんから。資料が図書館にあるので、もしよろしければ見ていただけませんか?』
「もちろんかまわない」
ルシウスは紳士的な笑みを浮かべ、マリアに続いた。
*
「談話室では話せないようなことなのか?」
廊下に出るなりルシウスが聞いた。
『ルシウス様があのような反応をなさるからです』
「主人の私が使用人であるマリアの様子を把握していてもおかしいことはあるまい」
『ルシウス様の場合は度を越しているのです』
「あれだけの会話ではわかるまい。君のほうこそ自意識過剰なのではないかなマリア」
ルシウスはからかうように口角を上げた。
「もちろん私はマリアのことなら全て知っている。だからこそ聞いたのだ。それにマリアが思い悩んでいるなんて私は耐えられない」
『悩みなんてありませんよ』
「嘘はよくないマリア。今のマリアはいつもよりも瞬きが少ないし、髪のツヤも悪い。私のことを想って眠れないのだとしたらいくらでも添い寝に――」
『結構です』
腰に回された手をピシャリと叩き、マリアは周りを見た。
幸い廊下には誰もいなかった。
『昼間から人目につく可能性のある場所でこういったことをなさらないでくださいと何度も申し上げているはずです』
「では夜で人目がつかない場所でやり直すとしよう」
『そういう意味ではありませんとも何度も申し上げているはずです』
今晩の見回りは別の人に頼まなければならなそうだとマリアはため息をついた。
*
『ルシウス様はどうなんです?』
行くあてもないまま階段をのぼり、玄関ホールにさしかかった辺りでマリアは思い切って聞いてみた。
思えば突然自分から起きてみたり、吹雪の日に1人で出かけてみたりと、休暇中からおかしなところがあった。
『悩みでもあるのですか?』
「おや。私を案じてくれるのか」
『もちろん。マルフォイ家の大切な跡取りですからね』
「そうだな……どうすればマリアが私に振り向いてくれるのかを中心に悩みは尽きない」
『それは今に始まったことではないではありませんか』
「この私を手玉に取るとはさすがマリアだ」
『ルシウス様はそんなに簡単な方ではございません』
手玉に取れるようなら、何年間もわがままに振り回されたりなんかしない。
「ということは挑戦する気はあるということか。それは楽しみだ」
『絶対にできないと思っているからこその発言ですね』
「そんなことはない。たまには君のわがままに振り回されるのも一興だ」
『お願いは聞いてくださらないのにわがままは聞いてくださるんですね』
「願い事があるなら言ってみたまえ私にできることなら何でも叶えてやろう」
『ではまず、必要以上に私に触らないで下さい』
「不十分なくらいなのに?」
不満そうにするルシウスを見て、マリアはわずかでも期待を抱いた自分を恥じた。
この人はこういう人だった。
全てが自分基準なのだ。
願い事というのも、ルシウスの望みどおりのものでなければ叶える気などないだろう。
試しにNEWTの勉強をご一緒させてほしいと頼んでみたところ、間髪入れずに快諾された。
そして嘘ですと言う間もなく時間と場所を決められ、マリアの貴重な1人の時間が減ることになってしまった。
*
結局、違和感の原因が分からないままマリアは部屋に戻ってきた。
まさかルシウスの変人っぷりが寮生に知られたことが原因ではないかと考えると恐ろしいが、周りの人から感じる違和感はどうもそれではない。
もしそうなのであれば、もっと軽蔑した眼差しが突き刺さり、遠巻きにされるはずだ。
しかし、どちらかと言えば以前よりも尊敬の眼差しで見られている気がする。
ルシウスが何も言わないのだからこれ以上考えても仕方がない――。
マリアは気にせず宿題を始めようと思ったのだが、そうも言っていられないことが起こった。
それは机の片隅に寄せていた今朝届いた封筒の山の中にあった。
1つだけ質素な封筒がふと目につく。
差出人不明のものはめったに開けないのだが、マリアは何気なく手にとって広げた。
そこには目を疑うようなことが書かれていた。
『君はルシウス・マルフォイの秘密を知っているか――……何、これ?』
簡易的な挨拶すらなく、いきなり本題から書かれている。
マナーがなっていない手紙など読むに値しない。
マリアは手紙を捨てようとしたが、目は勝手に文面を追っていた。
乱雑な字はルシウスの様子がおかしくないか問う文章から始まり、交友関係――特にここ数ヶ月で増えたもの――について教えてほしいという旨を中心に書かれていた。
最後は“ルシウスに仕えるあなたに守秘義務があることはわかるが、主人のことを思うなら勇気を持って正直に知らせてほしい”という追伸で締めくくられている。
『誰かに秘密を握られた――?』
マリアは最悪の状況を想像して青ざめた。
あの変態っぷりが世に知られたとなると、マルフォイ家の面目は丸つぶれた。
お目付け役を任せられていたマリアの責任は重い。
アブラクサスに何と言って詫びれば良いのか分からない。
『――と、決まったわけじゃないですよね』
マリアは自分自身に言い聞かせ、手紙を持って部屋を出た。
*
「どうしたマリア。私が恋しくなったか?」
『この際そういうことでもいいです失礼します』
マリアはルシウスを押すようにして部屋に入り、ドアに向かって杖を振った。
さすがのルシウスも様子がおかしいことに気づき、表情を変えた。
「……マリア?」
『このようなものが届きました』
手紙を見せると、ルシウスの顔がみるみる険しくなった。
『悪戯のたぐいかと思われますが、身に覚えはございますか?相手の見当がつくなら――』
「つくなら今頃手紙の主は無事ではない」
『そうですよね。どうなさいます?このまま手紙のやり取りをして相手をあぶりだしますか?』
「君の身に危険が及ぶ可能性がある」
『それはどういう意味です?やはり何か身に覚えがあるんですか?』
「いや――」
否定はしたものの、顎に手をやり考え込むルシウスの眼光は鋭い。
確実に心当たりがある表情だ。
『ルシウス』
マリアはルシウスの手から手紙を取り上げ、目線を合わせた。
『私に隠していることがありますか?』
「私がマリアに?秘密を作るような間柄ではあるまい」
『では、一切ないと?』
「そうだな……あるにはある」
『それは私には教えて頂けないことなのですか?』
「今はまだ――しかしマリアが望むなら今から見せてあげても良い。君がまだ知らない私の夜の一面を」
『いえ結構です』
うまくかわされたと思いつつも、マリアはそれ以上追及することができなかった。
マリアはルシウスの従者なのだ。
明かされればその秘密を共有し、明かされなければ追及しない。
そういうものだ。
秘密にされたからといってなんということはない。
ただ、秘密らしい秘密を持たれたことがなかったからか、少しだけ、ほんの少しだけ、喉に小骨を引っ掛けたような感じがした。