わがまま王子は朝からご機嫌だ。
なぜなら今日からホグワーツはクリスマス休暇に入り、変態わがまま王子の本性を隠す必要がなくなるからだ。
礼儀正しくルシウスに一礼してから帰っていく後輩達を見送り、自家用馬車に乗り込んだ途端、マリアの腰に手をまわしてくる。
マリアはその手を軽く払い、心の中でため息をついた。
「やはり家はくつろげていいな」
『さようですね』
家に着くなり、ルシウスはマリアを呼びつけ、あれこれと雑用を押し付けた。
そのためマリアはまったくくつろげていないのだが、家に帰ってきた以上はマリアはメイドだ。
クリスマスパーティに向けての準備を考えれば、荷物の整理をしながらルシウスの話し相手をすることなど造作もない。
『学校とは違ってお互い変に気を使わなくて良いですからね』
「おや。君は私に気を使っていたのかい?」
『ええ、それはもちろん』
そうでなければ、今頃マルフォイ家の評判は地に落ちている。
『正確にはアブラクサス様に、ですが』
「何を気を使うことがある。私と君の仲ではないか」
『外聞、というものがございます。ルシウス様も分かっていらっしゃるからこそ、あのような真面目な態度を取っていらっしゃるのではありませんか?』
「さすが私のことをよくわかっている――マリア、髪がほどけた」
ソファに腰掛けてマリアの姿を目で追っていたルシウスは、シルクのリボンを目の高さでひらひらと揺らした。
つい先ほどまでは、しっかりとしばられていたはずだ。
『そういうのは“ほどけた”ではなく“ほどいた”というのです』
「どちらでも同じことだ。直してくれ」
『……かしこまりました』
鏡台へ、と言っても動かないのは目に見えていたため、マリアはブラシを手にソファの後ろ側に回った。
「横へ」
『ですから、後ろからでないとやりにくいとあれほど――』
「私が君に、横へ来るよう言っているんだ」
『はいはい、わかりました!』
気を使ってルシウスを立てなくても良いという面では、家は楽だ。
ただ、ルシウスも回りの目を気にしなくて良い分、わがまま度がアップする。
学校に行く直前や、帰って来た直後は特にひどい。
「2人きりは久しぶりだな、マリア」
『昨日も一昨日もその前も、監督生の仕事をしている時は2人きりでしたが?』
「見回りではムードがない。私が肩を抱こうとしただけで君の鉄拳が飛んでくるからね」
『マルフォイ家の名誉のためです』
「愛の鞭、というやつか」
『ええまあ、そういうことでいいです』
「では家では何をしても」
『いいわけありません!』
すかさずキスをしてこようとするルシウスの顔をブラシで受け止め、マリアは今度こそ隠さず長い息を吐いた。
「どうしたマリア、ため息なんかついて」
『いえ、少々疲れが出ただけです』
「そうか。では今日は早めに休むと良い。なんなら私の膝の上で」
『結構です』
「では腕枕」
『間に合っています』
家と、学校と、どちらが楽だろうか――。
マリアはついてこようとするルシウスを自分の部屋に入れないようにするためにそれから30分ほどかけて説得し、ようやく安息を得た。
*
『ルシウス様、これは?』
「ああ、君に似合うと思ってね」
次の日、ルシウスは大きな箱をマリアに渡した。
クリスマスプレゼントだというその箱の中には、きれいな布が入っていた。
広げてみると、それはパーティ用のドレスだった。
「今年の流行の型を、マリアに合うよう少し変形させるよう命じたのだが、どうだろうか?」
『ありがとうございます。このような高価なもの、メイドの私が身につけて出席して大丈夫でしょうか?』
「誰も気にしまい。それよりも私の横に立つのであれば、それなりの身なりをしてもらわないと困る。いくらマリアが美しくてもね」
『ルシウス様のお隣には立ちませんのでご心配なく。使用人がずっと隣にいたのでは、何を言われるか分かりません』
「言わせておけばいい。じき何も言えなくなる。それより着て見せてはくれないのかね?」
『パーティは明日です』
「おや。おあずけとは。私を焦らすようになるなんて、なかなか粋な駆け引きをしてくれる」
『今日は準備で忙しいんです!』
「そんなものはしもべ妖精にやらせればいい。マリア、早く着替えなさい」
『……わかりました』
これ以上は何を言っても無駄だと悟ったマリアは、少しでも時間を無駄にせぬよう、急いでドレスに着替えた。
見事に縫製されたドレスは、マリアの身体にぴったりだった。
「私の目に狂いはなかったな」
ルシウスは満足そうだ。
髪型はこうしろだとか、装飾品は何を見につけていけだとか、細かく明日へ向けた注文をつけた。
『ルシウス様、ひとつ、質問をしてもよろしいでしょうか?』
「なんだ?」
『いつの間にサイズを確認したのです?』
「私を誰だと思っている。マリアのことで分からないことなどないのだよ」
『正直におっしゃってください』
「心外だね。本当のことだよ。毎日見ていればそのくらいわかる」
『普通は、見ても分かりません』
裾が広がっているとはいえ、それなりに体のラインが出るドレスなのだ。
ローブや制服のサイズとはわけが違う。
それこそ仕立て屋に採寸に行って作るオーダーメイドでないと、着こなすことは難しいだろう。
「私はマリアに関しては普通ではない。まあ少し不安な面もあったが、そこはたまに抱きついたときに――」
『ルシウス様』
「――なんだ?」
『気持ち悪いです』
大変申し上げにくいのですが、と前置きすることすら忘れた。
マリアはその日の夜、アブラクサスに許可を得てルシウスの記憶の一部を消したが、
サイズに関する記憶を消したせいで、ルシウスはマリアについてのことは望むだけで分かるという、なんだかよくわからない自信をつけてしまった。
*
『ルシウス様、先ほどからワインばかり飲まれていますが、お料理はお口に合いませんでした?』
「いや、マリアが作ったもの以外は食べる気がしなくてね」
『みんなで協力して作っていますから、どれも私の手が加わっていますよ』
「だが同時に他の者の手も加わっているだろう」
『ルシウス様、今日はそのようなわがままをおっしゃっている場合ではごぜいませんよ』
クリスマスパーティといえど、純血の名家のみが集まるこのパーティは、政治の場のようなものだ。
変なわがままを通して倒れられては困る。
かといってマリアがでしゃばって新たな料理を準備するような場面でもない。
「たかが1日だ。私は食事抜きのパーティくらいで倒れるほど軟弱ではない」
『しかし』
「それに、倒れそうになったらマリアが支えてくれればいい」
『ルシウス様』
「わかっている。大丈夫だ」
ルシウスは外交的な笑みを浮かべ、ブラック家の中枢メンバーの輪の中に入っていた。
昨日はああいったものの、ルシウスも本気で“メイド”としてのマリアを連れまわすつもりはない。
いや、つもりはあったのかもしれないが、そこまで常識知らずではない。
マリアは邪魔にならないよう、かつしもべ妖精ではできないような表の仕事をして1日を過ごした。
「マリアさん」
『ナルシッサお嬢様にベラトリックスお嬢様。――あ、もう“お嬢様”ではありませんでしたね』
「“レストレンジ夫人”なんて言うんじゃないよ」
「ふふ、ベラトリックスは照れているのよ。私も早く婚約しなさいって、見合い相手を次々に紹介されるの」
『あら。いい方はいらっしゃいましたか?』
「実はまだ見ていないの。できればルシウス先輩のような素敵な方がいいわ」
「シシー、あいつはおよし。どうも胡散臭い」
「そんなことないわよ。ね、マリア」
『ええ。紳士的で良い方ですよ』
外面は。
立場というものがなければ、ベラトリックスの意見に賛同したい。
ナルシッサにはもっとふさわしい男性がいるはずだ。
それにもしナルシッサとわがまま王子が結婚するようなことになれば、純血最大名家のブラック家にルシウス・マルフォイの本性が知られてしまう。
ナルシッサには悪いが、それだけは阻止しなければとマリアは思った。