わがまま王子は人望が厚いというのは、前述した通りだ。
談話室の中でも特に質のよいソファに長い足を組んで座り、本を読んでいる彼の姿に憧れる後輩も多い。
手に持っている本は禁書の棚から借りてきたのであろう難しい魔法について書かれた本で、マリアには到底理解できないものだ。
スリザリンという寮柄、闇の魔術に興味を持つ生徒は多く、ルシウスの元に話を聞きにいく生徒も少なくはない。
自分が本で得た知識を余すところなく後輩達に伝えていくルシウスの姿は、マルフォイ家の跡取りとして申し分ない。
ただ、ルシウスにも好き嫌いがあるらしく、お気に入りの後輩とそうでない後輩に対する扱いは少し違う。
「セブルス、君はこれについてどう思う?」
こうやって自分から話しかけるのは、お気に入りの証拠。
興味がない相手に対しては、聞かれたことに対して答えることはあっても、自分から話を振ることはない。
ちなみに今話題に上がったセブルスという子は、入学当初から既に多くの闇の魔術を知っていて、すぐにルシウスのお気に入りになった生徒だ。
「マリア、君は?」
しまった。
関わりあいを持たないよう、少し離れたところに座っていたというのに。
小ぶりのテーブルを2つ挟んだ先から、ルシウスが微笑している。
「こちらへ来て話に混ざったらどうだ?」
『いえ、私は結構です』
「先ほどから君の熱い視線を感じていたよ。何かマリアなりの見解があるのではないかな?それとも私に見惚れていたか――」
『……そうですね。ルシウス様の博識さに感服しておりました』
人が多い時間帯の談話室で何を言い出すのだ。
幸いマリアが微笑みながら軽く流したため大事には至らなかったから良いものの、下手をすればルシウスの変態っぷりが露呈するところだった。
ルシウスのことだから、タイミングや口調には気をつけているのだと思う。
だから、誰もが軽い冗談だと思っている。
まさかあれが地で、先日調子に乗りすぎたばかりにマリアに殴られているとは誰も思うまい。
マリアは話題が広がらないうちにと、読んでいた詩集を片付けて談話室を後にした。
*
「マリア先輩!」
マリアがあてもなくを散歩していると、中庭に差し掛かったあたりで女の子達に囲まれた。
こういうことはよくある。
彼女達からしてみれば、ルシウスと同じ屋根の下で暮らすことができるマリアはうらやましくて仕方がないのだろう。
「ルシウス先輩って紅茶は何を飲んでいるんですか?」
「お茶請けの好みとかってあります?」
「アクセサリーを贈るなら、何が喜ばれるかしら?」
次々浴びせられる質問に、マリアは微笑みながら次々と答えていく。
紅茶も食べ物も服もアクセサリーも、どれもマルフォイ家にはもともと一級品しか置かれていないため返事に困ることはない。
彼女達も、名のある職人を出せば、「やっぱり」「さすがね」と言いながら勝手に納得してくれる。
問題は、ルシウスの行動に関する質問だ。
「今年の夏は何をなさっていたんです?」
この手の質問は非常に困る。
何せ、1つ1つにマリアが“ルシウス・マルフォイとして当たり障りのない答え”を用意しなくてはいけない。
まさか、四六時中マリアにちょっかいを出し、口説いていただなんて言えっこない。
「ルシウス先輩って家でも常に紳士的なんですか?」
「メイドっていっても、ルシウス先輩のことだから何もやらせてくれないんじゃないですか?」
「ありそう!ルシウス先輩が女性に仕事をさせるだなんて考えられないわ!」
「ねー!“君の手が荒れてしまうだろう”とか言ったりして!」
最初3人しかいなかった女の子達は、いつの間にか10人近くに増えていた。
中庭に丸くなって座り、ちょっとした女子会のようになる。
『ルシウス様は次期マルフォイ家の当主よ?きちんと私に仕事(という名のわがままな要求)をおしつけ……じゃなかった、与えてくださるわ』
「へー、意外ですねー。仕事って例えばどんなのを?」
『家事全般ね』
「やっぱり寝起きとか見れたりするんですか?」
「バカね、一緒に寝るわけじゃないんだからさすがにそれはないわよ。ルシウス先輩は朝から完璧な状態で出てくるに決まっているわ」
「そうよね。でも“君のキスで目覚めたい”とか言われてみたいわ」
「良いわね!あとあとー、“一緒に寝なさい。これは命令だ”とかーー」
「「「キャーー、言われたーーーい!」」」
……毎日のように言われてる。
なんて、口が裂けても言えない。
きゃっきゃと楽しそうに盛り上がる後輩達を前に、マリアは努めて愛想のよい笑顔を振りまいた。
「マリア、こんなところにいたのか」
「「「ルシウス先輩!」」」
突然の本人の登場に、黄色い声で騒いでいた女の子達は急に大人しくなった。
もじもじしながら、互いに肘をつつきあっている。
「こんなに美しいレディ達に囲まれてうらやましい限りだ」
『みんなルシウス様のファンみたいですよ』
「ほう。それは嬉しいね。一人ひとりとじっくりと話がしたいところだが……すまないがこれから監督生の仕事なんだ」
残念そうに言ったルシウスは「またいずれ」と彼女達に笑顔を送った。
女の子達が、カァッと一斉に赤くなる。
何人かの勇気ある子が、「頑張ってください」と声をかけたが、ルシウスは振り返ることなく来た道を引き返した。
*
「私に何も言わずに出歩くのはよせ」
女の子達の姿が見えなくなってから、ルシウスが低い声で言った。
どうやらご機嫌斜めのようだ。
歩調も心なしか速い。
「返事はどうした、マリア」
『なぜ散歩に行くだけでルシウス様に断りを入れなくてはならないんです?』
家とは違う。
学校では、それぞれがそれぞれの時間を過ごしている。
全てを報告しろというのは無理がある。
ルシウスだってそれはわかっているはずだ。
『何か気に入らないことがあるならちゃんと言って下さらないとわかりません』
調子に乗っているルシウスも面倒だが、不機嫌なルシウスも扱いに困る。
なんというか、こちらも調子が狂う。
『ルシウス』
名前を呼び、肘の辺りのローブを軽くつまむ。
ルシウスはため息をついて回廊の柱に背を預け、マリアはその脇に立った。
『どうなさったんです?あなたらしくない』
「ただの嫉妬だ」
嫉妬なんて、本当にルシウスらしくない。
しかもマリアが話していた子達は、みんな女の子だ。
もしかしてあの中にルシウスのお気に入りの子でもいたのだろうか。
「君が談話室から出て行った後、マリアについて聞かれてね。どういう関係なんだと」
『ああ……』
そっちのほうかと、マリアはほっとした。
男女限らず、マリアとルシウスの関係を気にしてくる者は多い。
この手の話を聞くたびに、マリアは不思議で仕方がない。
どうもこうも、主人とメイドであり、学友だ。
見ればわかるだろう。
「マリアに気があるようだったから、手を出さぬよう釘を刺しておいた」
『そうですか。ありがとうございます』
マリアがお礼を言い、ルシウスがようやく表情を崩す。
ご機嫌取りも慣れたものだ。
マリアが女の子達にルシウスのことをよく聞かれるように、ルシウスもマリアのことをよく聞かれる。
そのたびに、ルシウスはこうして不機嫌になって報告をしてくる。
迷惑なことだと言っておけば、ルシウスは悪い顔はしない。
『ちなみに、誰ですか?』
「マリアが知る必要はない」
ルシウスが手の甲でマリアの頬を撫でた。
ハッとしたがもう遅い。
既にマリアの退路は絶たれていた。
「マリアは私のものだ」
『存じております。が、正確にはアブラクサス様のものです』
「ホグワーツを卒業すれば、正式に引き継げる」
『あら。そうなんですか?では卒業までに家を出る算段を立てねばなりませんね』
「可愛いことを言う。私はあの家が気に入っているが、マリアが望むならどこにでも越してやろう」
『どうしてルシウスがついてくるんですか』
「私と一緒になるのだから、当たり前であろう」
『何を寝ぼけたことを言ってるんです』
「相変わらずマリアは照れ屋で困る」
ダメだ。
こうなったらもう何を言っても無駄だ。
ご機嫌取りをするのではなかったと、後悔の念が押し寄せる。
「先ほど中庭で話をしている声が聞こえたのだが――」
頭が痛くなりこめかみを押さえていたマリアの手を取り、ルシウスはマリアの耳に口を寄せた。
「今日は私と一緒に寝なさい。これは命令だ」
『お断りです!』
本気でこの人にこんなセリフを言われたいと思っている人はいるのだろうか。
マリアは昼間質問攻めにあった後輩たちの事を思いながら左右に目を走らせ、きゅっと拳を握った。