「これからもよろしくね!」


 三月十八日。それはナイトレイブンカレッジの創立記念日であり、学園全体でセレモニーが行われる日である。今日という日を待ち望み、数日前から浮かれている生徒たちも少なくない。名門であるナイトレイブンカレッジに入学できたことを誇らない生徒はいないし、創立記念日を祝おうとしない生徒もまたいるはずがないのだ。
 オンボロ寮でも、朝からセレモニーの準備に追われていた。オンボロ寮に籍を置いている監督生のユウとグリム、そして部屋を借りているサバナクローのエリィ・ファーレイ。この二人と一匹がオンボロ寮で暮らしている生徒だが、談話室にはそれ以上の人数が押し寄せていた。エリィたちだけで飾り付けをするのは大変だろうと気を遣い、友人であるエース、デュース、ジャック、エペル、セベクの五人がオンボロ寮を訪れているのだ。

「ユウ〜。このタッセルはどこがいいと思う?」
「窓際の上のほうとかどうかな?」
「あ、いいね! そうしよっ!」

 エリィはティファニーブルーのタッセルを手に持って、ソファーに上がった。しかし、女子の平均ほどの身長しかないエリィがうんと背伸びをして腕を高く伸ばしてみても、届く範囲はたかが知れている。

「うーん、もう少し上かなぁ。ジャック、肩車して!」
「はぁ!? 何言ってんだ。俺がやるから貸してみろ」
「ありがと! 任せた!」
「ここでいいんだな?」
「うんうん、その辺り! あ、右が少し斜めに下がってる」
「こうか?」
「……うん、オッケー! ジャックみたいに背が高いと便利でいいなぁ」

 30cm以上高い位置にあるジャックの顔を見上げながら、エリィはにっこりと笑った。そのとき、ジャックの背後をふわふわと浮遊しているバルーンたちが視界に入ってきて、エリィはスファレライトの瞳を瞬かせた。

「すごーい!」
「ふん。魔法を使えば早いことだろう」
「みんなセベクみたいに魔法が上手なわけじゃないんです〜! ……って言っても、浮遊魔法くらい使えるようにならなきゃね」
「エリィもバルーンくらいの重さなら浮かせられるのではないか?」
「そうだね。ちょっとやってみようかな」

 まるで指揮棒を振るように、マジカルペンを優雅に操りバルーンに魔法をかけているセベクの隣に立ち、エリィも自らのマジカルペンを取り出す。魔法石にありったけの魔力を掻き集め、バルーンが浮いているイメージを頭に強く思い描く。すると、バルーンは僅かに浮かび上がり、エリィの膝の高さ、肩、頭上を超えてカーテンレールの脇まで上昇していく。

「むむむ……!」
「エリィサン、頑張って!」
「あと少し……!」
「赤はもう少し上だよ。黄色はその奥が見栄えがいい、かな?」
「……エペル、なんだかヴィル先輩みたい」
「は!? やめてけれ!」
「あっ、落ちちゃった」

 エペルの大声と突然の訛りに驚いたエリィの集中力は切れて、バルーンは床に落ちた。ぽすん、ぽすん、と転がっていくバルーンをエリィが慌てて追いかけていくと、それはソファーに腰掛けている人物の足元で止まった。

「なーにやってんの。ほい」
「ありがと! エース! ……ねぇ」
「ん?」
「もしかして、飾り付けサボってない?」
「いやいや、まさかそんな。オレはここで全体のバランスを見てんの。あ、デュース。フラッグの綴りが違うぞー」
「えっ!?」

 エースは窓に飾り付けられている『HAPPY ANIBERSRY』の文字を指しながら悪戯に笑うと、暖炉の上で指揮を執っているグリムの背後に向かって忍び足で近づいていった。また何か悪戯を思いついたな、とエリィは思ったが、今はそれよりも困っているデュースに手を貸すのが先だ。

「あたしも直すの手伝うよ、デュース」
「助かる。僕が飾り付けするから順番に手渡してくれるか?」
「了解! えへへ。オンボロ寮の飾り付けを手伝いに来てくれてありがとうね。おかげで素敵な創立記念日になりそう」
「ああ。年に一度の記念日だからな。みんなで盛大にお祝いしよう」
「うん!」

 今度こそ正しい順序で並んだ『HAPPY ANNIVERSARY』の文字を見上げながら、エリィは満足そうに笑った。残すところは、まわりにペーパーファンを飾るだけだ。

「オマエたち、飾り付けは終わったか〜? ちゃっちゃとしないとパーティーが始まるんだゾ」
「そういうお前は何をしていたのだ?」
「オレ様は指示出ししてやってるんだゾ!」
「グリムは爪が鋭いからバルーンは持てないよな」
「にゃはっ! そういうことだ!」
「なんか納得いかねー」
「まあまあ。これで飾り付けは最後だよ。はい、ユウ」
「自分?」
「もちろん! 最後はオンボロ寮の監督生に任せた!」

 エリィは最後の飾り付けのペーパーファンをユウに託した。ユウはいわば、オンボロ寮の寮長のようなものだ。彼女無しでこの寮は成立しない。ならば、飾り付けを完成させるのに彼女以上の適任はいないのだ。
 ユウが最後の一つのペーパーファンをメッセージフラッグのまわりに飾り、手を離すと、談話室の中に小さな歓声が起こった。

「できた!」
「やった〜!」
「これで準備が整ったな」
「僕たち、一度寮に戻ってからまた来るね」
「うん! みんな、本当にありがと!」

 エースたちがオンボロ寮を出ていくと、とたんに静寂が訪れた。反して、談話室の中は色とりどりのアイテムで賑やかに飾られている。
 高いところの飾りは、ほとんどがジャックとセベクがやってくれた。デュースは不器用ながらも細かい飾りつけをやってくれたし、エペルはテーブルにコンフィズリーなどのお菓子を並べてくれた。エースは……半分近くサボっていたが、全体のバランスを見ていた他にもソファーに腰掛けながらバルーンを膨らませたり、絡まったガーランドを解いたりしてくれていた。
 エリィたちだけではこんなに素敵な飾りは完成しなかった。全部、友人である彼らがいてくれたからだ。改めてそう実感したエリィの胸に、温かな感情がこみ上げてくる。

「エリィ? どうしたの?」
「うん。……ここが、あたしの居場所なんだなぁって嬉しくなっちゃったんだ」

 魔法という力が異端だった元の世界で、エリィはいつも孤独だった。子供からは除け者にされ、大人からは腫れ物を扱うようにされ、誰かと喜びを共有し、分かち合うというような経験をしたことはなかった。そんなときに、自分を励ますために浮かべていた笑顔は、ただ顔の筋肉を痛めつけるだけだった。
 しかし今、エリィは本来いるべき場所に帰ってきたのだと強く実感していた。本当の両親と、自分を受け入れてくれる学園、そして友人たち。彼らに囲まれてあるべき姿を取り戻したエリィは、太陽よりも明るく、向日葵よりも上を向き、周りまでも巻き込んで晴れやかな気持ちにしてしまう。そんな笑顔で、今日も笑うのだ。

「これからもよろしくね! ユウ、グリム!」
「うん。こちらこそ、よろしく」
「仕方ねぇ。二人まとめて面倒見てやるんだゾ」

 ――来年も、再来年も、こうしてみんなで創立記念日を祝うことができますように。友人たち全員で肩を組んで写真を撮ったエリィの胸の中に、小さな夢の蕾が芽生えたのだった。



2022.03.18
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