(寂しいのはあたしが弱くなったからじゃなくて)


 エリィは静かな談話室で錬金術の魔導書と向き合っていた。手元を照らしているのは溶けることがない蝋燭に点火された灯りだ。ノートに付けたままのマジカルペンのペン先は微動だにしない。滲み出たインクがノートに染みを作っていてもエリィは気が付かなかった。

「あれ? ここってどんな反応をするんだっけ。ねー、ユウ。おしえ……」

 顔を上げてルームメイトの名前を呼んでみたが、語尾は静寂の中に消えていった。時計の針が時を刻む音がやけに大きく聞こえる。いつもだったら、その音すら聞こえないほどに騒がしいのに。

「そっか、ユウとグリムは今日から豊作村に行ってるんだった。……あたしも行きたかったなぁ。今頃、エペルとセベクはソリを走らせてるんだろうな」

 豊作村で開催される『モルン山ケルッカロト』というソリレースの応援のため、レースに出場するエペルとセベクたちとともにユウとグリムは豊作村へと発った。お祭り事が好きなエリィはもちろん「あたしも一緒に行きたい!」と名乗りを上げたのだが、週明けに錬金術の追試が控えていることを思い出して泣く泣く断念したのだった。
 ユウたちがオンボロ寮を発ってからまだ数日と経っていない。それなのに、いつも使っている談話室がこんなにも広く、静かに感じる。
 エリィはインクで汚れてしまったノートのページを破るとぐちゃぐちゃに丸め、ゴミ箱に向かって投げた。ゴミ箱の縁に当たったそれは床に転がってしまったが、捨て直す気力すら湧かない。

(もうあっちの世界にいた頃の記憶はあまり思い出せないけど、いつも独りだった気がするのに)

 元いた世界で、微力ではあるが魔力を有していたエリィは大人たちから腫れ物を扱うように接されていたし、同世代の子供からは除け者にされていた。優しくしてくれる人が全くいなかったわけではないが、その優しさは魔力を持つエリィに対して媚びを売るようなものがほとんどだった。
 エリィはいつも一人だった。独り、だった。
 だから、冷たささえ感じるような静寂の中でたった一人で過ごすことには、慣れているはずなのに。

「弱くなったなぁ、あたし。独りなんて気にならないくらい強かったはずなのに」

 早く、ユウとグリムに帰ってきて欲しい。ユウは土産を買って帰るからと約束してくれたが、それよりも豊作村の想い出話を聞きたい。そして、この談話室が、明るく温かな笑い声で満たされることを、エリィは何よりも願っていた。
 さっさと問題を解いて眠ってしまおう。眠ってしまえば、寂しさから開放されるのだから。
 エリィがマジカルペンを握り直した、そのとき。玄関のドアを何者かが叩く音が聞こえてきた。

「? こんな時間に誰だろう……?」

 時刻は二十時。特別に遅い時間というわけではないが、来客があるような時間でもない。ほとんどの生徒は部活動後の食事を済ませて各寮に帰っている時間帯だ。
 ゴーストたちの悪戯だろうか。エリィは首を傾げながら玄関まで向かうと、扉を開く。
 エリィの目に飛び込んできたのは、見慣れた三人組だった。

「うーっす!」
「エース!?」
「こんな時間に悪いな」
「ジャックも!」
「エリィが一人で寂しがってるんじゃないかと思って、差し入れを持ってきたぞ」
「……デュース」

 デュースが差し出した購買部の袋からは、お菓子やら飲み物やらが顔を出している。どれもこれも、エリィのお気に入りに品ばかりだ。
 三人で購買部に行き、エリィが喜びそうなものを選んでいる姿を想像すると、鼻の奥がツンとする。
 エリィは誤魔化すように両手を広げ、三人に飛びついた。

「うわっ!」
「……ありがと、みんな!」
「エリィ、感激し過ぎて泣いてるんじゃないか?」
「泣いてない! でも、すっっっごく嬉しい!」
「だろ〜? オレたち優しいからな〜!」
「エース〜! そういうところ! 自分で言っちゃうところ! もー!」
「全くだ」
「えへへ。ねぇ、みんなちょっと中に寄っていってよ! 一緒に食べよう!」
「ああ。エリィがいいなら」
「つか、そのつもりでこんなにたくさん買ったんだし?」
「俺はすぐに帰るぞ。十時までにはベッドに入っておきたいからな」
「たから、ジャックは真面目かっての!」
「真面目……優等生になるには早く寝ないといけないのか」
「デュース。おまえもいちいち真に受けんなっての!」

 笑い声が寒空の下に響き渡る。外は雪が積もっているくらい冷たいはずなのに、部屋の中にいたときよりもずっと温かく感じるのはなぜだろう。
 答えは明白だった。

(寂しいのはあたしが弱くなったからじゃなくて……大切な人たちができたからなんだ)

 一緒に笑い、過ごしてくれる友人たちの存在が、エリィを変えた。それは独りで過ごしていたときよりも、ずっと大きな、エリィだけの強さだった。



2022.02.19
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