「デュース、お誕生日おめでとう!」


 コツ、コツ、コツ。ローファーの底が鏡舎の床を踏む音が、かれこれ一時間ほど響いている。一日の授業が終わり、部活動に精を出す生徒が多い今の時間帯に鏡舎の人通りはまばらだが、通りかかる生徒はみんな不思議そうに、ハーツラビュルへと続く鏡の前で行ったり来たりするエリィを一瞥していく。

「エリィ?」
「なにやってるんだゾ?」

 ここにきて初めて声をかけられたエリィは立ち止まり、他の生徒と同様に不思議そうに首を傾げているユウとグリムを見やった。

「ユウ、グリム。ふたりとも何してるの?」
「自分たちはポムフィオーレ寮に行ってきたところだよ」
「エペルに薬草の本を借りたんだゾ」
「あ、そっか。宿題出てたもんね。おれにも見せてよ!」
「大丈夫だと思うけど、エリィはまだやることがあるんじゃない?」

 ユウはくすりと笑うと、エリィが後ろ手に持っている紙袋を指さした。

「デュースに誕生日プレゼントを渡しに行くんじゃないの?」
「う……」
「あ〜! 先月の休みにユウと二人で麓の街まで出かけてたときに買ってきたやつか! オレ様も行きたかったんだゾ」
「仕方ないよ。グリムは一応魔獣だし。猫ちゃんのフリをしてくれていたら連れて行ったんだけど」
「うぐ、それはオレ様のプライドが許さねぇんだゾ……」
「お土産にツナ缶買ってきたんだから許してよ」

 エリィはローファーの爪先の汚れを気にするふりをしながら、ユウとグリムの会話を聞いていた。無意識のうちに、紙袋の持ち手を握る手のひらに力が込められてしまう。
 ユウの言う通り、この紙袋の中にはデュースへの誕生日プレゼントが入っている。彼の誕生日である六月三日に間に合うように、一ヶ月ほど前からエリィが用意していたプレゼントはワイヤレスイヤホンだった。デュースが喜ぶ顔が見たくてユウに相談しながら何時間も悩んだ末に、陸上部であるデュースのジョギングの時間が楽しいものになるようにと考えて選んだものだった。

「渡しに行かないの?」
「行こうと思ってるんだけど、まだパーティー中かなと思ってさ」
「あ、そっか。毎年恒例のインタビューと、今年はパイ投げがあるんだっけ?」
「そうそう! ジャックやラギー先輩のときにはおれも見たけど、すごく楽しそうだったよね! いいなー、見たいなー!」
「だったら、なおさら早く行かなきゃ」
「パーティーの締めにパイ投げがあるんだよな? 早くしないと終わっちゃうんだゾ」
「うん。でもさ、サバナクローのおれが行ったら場違いかなぁって……それにほら、デュースも疲れてるかもしれないし……」

 誕生日の主役は、朝から晩まで大忙しなのだ。誕生日当日は専用の衣装を身にまとって過ごす決まりがあるのだから、知らない生徒からでもすれ違うたびに「おめでとう!」と声をかけられたり、顔面にクラッカーを浴びせられることもある。
 授業が終わったあとは寮へと戻り、誕生日を祝う盛大なパーティーが開催される。そのときにインタビューとパイ投げが行われることになっているのだが、祝われる立場とはいえ普段注目され慣れない生徒にとっては緊張感が漂う場面だ。
 デュースが緊張する側の生徒であることは間違いないし、今頃は疲れてへとへとになっているかもしれない。それなら、プレゼントを渡すのは翌日でもいいのではないか? と、エリィは悩んでいたのだった。

「エリィ、下向いてる」
「え?」
「らしくないよ?」

 エリィの頬はユウの手のひらに包み込まれて、そっと前を向いた。

「エリィ、今日デュースと話した?」
「ううん、あんまり。同じクラスだけど、デュースは今日ずっと誰かに囲まれてたし」
「おめでとう、言えないままでいいの?」
「……いやだ! 今日言いたい!」
「はい、行ってらっしゃい」
「単純なんだかめんどくせーんだかわからねぇやつなんだゾ」
「あはは! ありがと、ユウ! グリム!」

 エリィは自分が単純な性格でよかったと心から思った。誘導尋問だろうがなんだろうが、焚き付けてくれたユウとグリムには今度昼食を奢ろうと心に決めて、ハーツラビュルに通じる鏡を潜った。
 一日中休むことなく誕生日を祝われているデュースが疲れているかもしれない、という気持ちはまだ残っているけれど。エリィがナイトレイブンカレッジ生だということに違いはなく、他の生徒同様に我が強い。結局は、自分のやりたいことを通したかった。
 今、エリィが一番やりたいこと。それは──。

「デュース!」

 ──大切なマブの誕生日を精一杯祝うこと。

 ハーツラビュル寮の談話室の扉を、躊躇うことなく開く。そこにはハーツラビュル生たちの中に、イグニハイドのイデア・シュラウドが紛れている。そして、輪の中心にいるデュースは顔面に飛び散ったクリームを拭いながら、きょとんとした眼差しでエリィを見た。
 一日中我慢して言えなかった言葉が、エリィの中で膨れ上がって溢れ出る。

「デュース、お誕生日おめでとう!」

 そして、エリィの満開の笑顔が咲いたその瞬間。デュースもまた、今日一番の笑顔を咲かせたのだった。



2022.06.03
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