「今度こそ満点をとってみせる!」


 チャポン、チャポン。水が入ったバケツを大食堂の厨房まで運んでいるエリィの瞳には、強い意志を宿した炎が燃えていた。

「今度こそ……っ! セベクとグリムと寮長から、今度こそ満点をとってみせる!」

 今回、選択授業の一つであるマスターシェフを受講することにしたエリィだったが、どうも上手いこと高スコアをとることができずにいた。とりわけ、エリィは料理が不得意というわけではない。人並みに料理をするし、レシピを与えられたら大体のものは作ることができる。
 しかし、今回のマスターシェフのテーマは『魚の魅惑』。その名の通り、魚料理をメインとしたレシピを教えられ、授業は魚を捌くことから始まった。十代では魚を捌いた経験がある学生の方が少ないだろう。ほとんどの学生が魚を捌くところから苦戦し、スコアを伸ばせずにいた。
 さらには、今回の審査員のメンツだ。並外れた審美眼と妥協を許さないストイックさを持つヴィル・シェーンハイトとデイヴィス・クルーウェルは審査員にいないものの、夕焼けの草原第二王子のレオナ・キングスカラーや、実家が有名なリストランテを経営しているアズール・アーシェングロット、目利きをさせたら右に出る者はいない商人のサムが審査員として名を連ねている。高品質の食材、積み重ねた料理スキル、飾り付けまで妥協をしないセンスが揃わなければ、彼らから高得点をとることは難しい。
 エリィが闘志を燃やしている審査員は三人。同じ一年生のセベク・ジグボルトとグリム。そして、所属しているサバナクロー寮長のレオナ・キングスカラーだ。
 エリィは本来人当たりがよく明るい性格ではあるが、自他ともに認める負けず嫌いでもある。「味はともかく魚が上手く捌けていないな。4点」「オレ様もっとこんがり焼いたほうが好みなんだゾ。6点」「使用人に出される飯かと思ったぜ。2点」と言われては、エリィの性格上ショックよりも「今に見てろ!」と闘志が湧いてくるものなのだ。
 どんなことをしても、次こそは、必ず。エリィはよいしょっとバケツを持ち上げて、調理台の上に置いた。

「……」

 バケツの中では、つい先程オクタヴィネル寮から調達してきた魚が泳いでいる。スーパーに並んでいる加工済みの魚を買うときとは違う気持ちが、エリィの心に小さな罪の意識をのせる。

「お魚さん、命をいただきます」

 バケツの中からすくい上げた魚をまな板の上に横たえると、水を奪われた魚は当然暴れ出す。そこで、最初に教えられた通り手で魚の目を覆い、大人しくなったところで一思いに包丁を入れる。
 エリィが魚を捌いている様子を両隣から見ているのは、今回マスターシェフを一緒に受講することになった二人――デュースとジャミルだ。

「ふう」
「すごいじゃないか。初めてのころに比べたらだいぶ上達したな」
「えへへ! ありがとうございます、ジャミル先輩! 先輩ほどうまくは捌けないけど、骨にくっついている身のほうが多い! なんてことにはならなくなってきました!」
「僕も頑張らないといけないな。少し見ていていいか?」
「どうぞ〜!」

 ジャミルが自分の調理台へと戻っていく一方で、デュースはその場に残ってエリィが魚を捌く様子を観察している。ときおりメモを取っているところが、真面目なデュースらしかった。

「エリィも家族に手料理を食べさせたくて受講を決めたんだったっけ」
「うん! デュースもだよね?」
「ああ。僕はサバカレーを振る舞うつもりだ。エリィは?」
「おれは……」

 わざとらしく一人称の『おれ』を強調したエリィは、手元から視線を上げずに会話を続ける。

「アクアパッツァかな」
「へえ。洒落たものに挑戦するんだな」
「うん。ほら、アクアパッツァって見た目が華やかだからママも食欲がわくかなって思ったんだ」
「え?」
「おれのママ、おれがいなくなってから食が細くなって、必要以上に何かを食べようとしなくなったんだって」
「そういえば、エリィに付き添って白夜の丘に行ったときに会ったエリィの母さんは痩せてる……というよりも、やつれていたな」
「うん。ママは十五年以上おれのことを心配して、この世界から祈りと愛を送ってくれていた。ママのユニーク魔法の『捻れた世界より愛を込めてフォー・マイ・ディアレスト』、あれは自分の生きるチカラを愛に変えておれを危険から守ってくれる魔法だから」

 エリィが生命に関わる危険に曝されるとき、必ず強運にも似た不思議な力が彼女を守っていた。箒から落ちかけたときに突風が吹いて軌道が変わるような些細なことから、元いた世界が滅んだときに時空を超えてこの捻れた世界に召喚されたような禁術に匹敵することまで。それらは全て、エリィを生かすために彼女を手放してしまった母親の愛が顕現したユニーク魔法のお陰だった。
 エリィが危険から守られるたびに、その代償として母親自身の生きるチカラ――精気といえばいいのか、それは削られていった。十分な休息と栄養を摂っていれば問題のない消耗でも、実の娘を手放してしまった母親の心は悲しみに沈み回復が追いつかないほどすり減っていたのだ。

「だから、今度はおれが返したいんだ! 少しでもママが喜んでくれるなら何でもする。もちろん、パパも!」
「エリィ……」
「ママは魚料理が好きなんだって。だから今回のマスターシェフの受講を決めたんだ。ママ、喜んでくれるといいな」
「ああ! 喜んでくれる! 絶対だ!」
「えへへ、ありがと。デュース」
「うっうっ……詳しい事情はよくわからないけど、二人ともお母さん思いのいい子なんだねぇ」
「シェフ! 改めてよろしくお願いします!」
「もちろんだよ! 僕が責任をもって教えるからね!」
「はい! デュース、一緒に頑張ろうね!」
「ああ!」
「それから、絶対にセベクやグリム、寮長から満点を取ってやるんだ! やるぞー! おー!」
「そこは妥協しないんだな」
「当然でしょ!」

 ニヤリ、とエリィは挑発的な色を口角にのせて笑った。母親への恩返しはもちろんのこと、審査員たちを見返してやることも忘れていない。どうやら、今回のマスターシェフ審査員たちの胃袋は、まだまだ膨れそうである。



2022.01.23
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