「ミステリーバッグには何が入っていたんだ?」


「子鬼ちゃんたち、お疲れ様! 明日もよろしく頼むよ!」
「お疲れっした!」
「また明日なー!」

 サムから見送られ、デュースとカリムはいつもとは違う装飾が施されたミステリーショップをあとにした。東方の新年を祝う文化である門松やしめ縄、鏡餅や和傘など、その文化を初めて見るデュースから見てもそれらがめでたく縁起のいいものであることがわかる。それくらい華やかで新年にふさわしい装飾だった。
 新年限定のセールが始まったミステリーショップのアルバイトとして選ばれて、二日目。品出しや商品の陳列、レジ打ち、フォーチュンクッキーの配布、ミステリーバッグを買うための列への誘導など、仕事は多く慣れる前に次の仕事が湧いて出てくる。体力に自信があるほうだとはいえ、デュースは早くもその身に疲労を感じていた。
 特に、ショップの人気商品が詰め込まれているミステリーバッグを買うために、無茶をする生徒たちが後を絶たないため、それを鎮静させるための仕事が一番堪えていた。さすがは我の強いナイトレイブンカレッジ生と言うべきだろうか。列に並ばずミステリーバッグを買おうとしたり、定員から奪ってでもミステリーバッグを手に入れようとしたりと、店内は無法地帯と化していた。ときには魔法と拳を使い、生徒たちの暴動を抑えながら同時に店員としての仕事をこなすのはなかなか骨が折れるのだ。
 早く寮に帰って、明日のためにも眠ってしまおう。デュースはそう思っていた。

「あっ! オレ、寄るところがあるんだ! ジャミルが迎えに来てくれるから、またな!」
「はい! アジーム先輩、お疲れ様でした!」

 カリムと別れたデュースは、雪が残る石畳の道を足早に進む。夜の空気は昼間よりも冷たく、襟元や袖口から冷気が入り込んでくる。鏡舎まで行けばハーツラビュルは直ぐなのに、今日は通り慣れたその道がやけに遠く感じる気がした。

「……ん?」

 鏡舎まであと少しというところで、街灯の下に小さな人影が見えた。その両手には缶を包むように持っており、腕にはミステリーバッグを提げている。
 その人影――エリィはぼんやりと曇り空を見上げていたが、デュースの靴底が雪を踏む音でその存在に気付き、パッと表情を明るくさせた。

「デュース! アルバイトお疲れ様!」
「エリィ。こんな時間にこんなところで、どうしたんだ?」

 デュースが問うと、エリィは打って変わって表情を曇らせた。

「あのね、今日のことを謝りたかったの」
「今日のこと?」
「うん。ミステリーバッグを買うためにズルをして、デュースやカリム先輩を困らせちゃってごめんなさい」
「お、おい!? エリィ」

 エリィはぺこりと頭を下げた。デュースは慌てながらも記憶を辿らせる。
 エリィが言っているのは、恐らく昼間のことだ。
 新年セール二日目の今日、エリィはレオナやラギー、ジャックとともにミステリーショップに来店した。一番の目当ては、もちろんミステリーバッグだった。エリィだけではなく、レオナも、ラギーも、みんな目の前の獲物を狙っていた。
 獲物を手に入れるため、レオナとラギーが率いるサバナクロー寮生たちはミステリーバッグの待機列に並ぼうとした。……『すでに並んでいる生徒たちを締め出してしまう』という方法で。
 きちんと最後尾に並ぼうとしていたジャックとエリィはあんぐりと口を開けてその様子を見ていたが、戦闘態勢に入ったデュースとカリムに対してレオナが「サバナクロー寮生ども! ミステリーバッグを一つ残らず確保しろ!」という掛け声を発したものだから、反射的にマジカルペンを取り応戦してしまったのだ。
 結局、サバナクロー寮生たちは本来の待機列に並ぶことになったのだが、ただでさえ忙しいデュースたちの手を煩わせてしまったのは確かだった。

「エリィは元々、きちんと列に並ぼうとしていたじゃないか」
「うん。でも、ボスの掛け声につい……」
「エリィもサバナクロー寮生だからな……」

 思わずくすりと笑ってしまった。女性である配慮から普段はオンボロ寮に部屋を借りているエリィも、闇の鏡に振り分けられた通り魂の素質はサバナクローだ。群れのボスたる寮長に従ってしまうのは、反射的、あるいは不可抗力だった。
 エリィは手の中にある缶をデュースに差し出した。よく見たらそれはホットココアだった。

「これ、どうぞ! あ、保温魔法を使ってるからまだ温かいはずだよ」
「あ、ありがとう……」

 ホットココアを受け取るために手を伸ばすと、必然的に指先同士が触れ合った。確かにホットココアは温かいままだったが、エリィの指先は氷に触れたように冷たかった。
 いったい、エリィはいつからここにいたのだろう。雪が解けずに残るほどの寒さの下で、暗がりの中をどれだけ一人で待っていたのだろう。
 その時間を考えると、デュースの胸の奥がキュッと締まった。

「じゃ、あたしもう行くね! デュースも風邪引かないようにあたたかくして、早く休んでね」
「! ま、待ってくれ!」
「どうしたの?」
「オンボロ寮まで送っていく」
「え? そんな、悪いよ」
「僕がそうしたいんだ」
「でも……」
「悪かったと思っているなら、僕のやりたいことを聞いてくれてもいいだろ?」
「……わかった」

 渋々といった様子でエリィは頷いた。
 二つ分の足音がオンボロ寮へと向かっていく。沈黙を破るように、デュースは缶のタブを開けた。乾いた音が小さく響き、夜の静寂の中に消える。開いた缶の口からは微かに白い湯気が立ち上った。
 缶を傾けてホットココアを口の中へと流し込む。熱い液体が喉元を通り、胃に収まったのがわかる。体の内側からじんわりとした温かさが広がっていく。
 デュースはそれをエリィに差し出した。

「エリィも、ほら」
「え?」
「体が温まるぞ」

 エリィは目をパチパチと瞬かせ、デュースの顔と目の前に差し出されたホットココアを交互に見ていた。エリィはなにをそんなに不思議がっているのだろう。
 デュースが首を傾げること、数秒。理解した瞬間に、デュースの首元から顔にかけて真っ赤に染まっていく。

「すすすすすすまない! 別に変な意味はなくて! エリィの手が冷たかったから! で、でも飲みかけなんて嫌だよな」
「……えへへ。別に嫌じゃないよ」
「え?」
「デュースがいいなら一口もらってもいい?」
「あ、ああ」

 ホットココアがエリィの手に渡る。少し青くなってしまっている彼女の唇が、先ほどデュースが触れたところに触れる。
 直視できなくて思わず目をそらしてしまった。こくり、とエリィが小さく喉を鳴らした音が聞こえてきた。

「ごちそうさま。はい、ありがと。あったかいね」

 デュースは手元に帰ってきたそれに視線を落とす。ここに、エリィの唇が触れていた。再び自分が口を付けてもいいのだろうか。
 思春期の男子らしい煩悩がデュースの頭の中を支配していると。

「温まってほしかったのに、ホットココアを分けてもらって、その上に送ってもらうなんて、逆に迷惑をかけちゃったね」

 エリィがそんなことを言うので、デュースは弾かれたように顔を上げた。

「迷惑なんて思ってない! それに、寮に直接帰るよりも温まったし、全然気にしてないからな!」
「へ? そうなの?」

 エリィは心底不思議そうにしていたが、デュースが言ったことは本当だった。あんなにも寒くて、手がかじかむほどだったのに、今や襟元に風を仰ぎ入れたいくらいに熱い。

「そ、そういえば! ミステリーバッグには何が入っていたんだ?」

 デュースは話題をそらすために、エリィが提げているミステリーバッグを指さした。袋の口はまだテープで留められていて、開封された形跡はなかった。

「まだ開けてないよ。そうだ! 一緒に開けてみようよ」
「ああ。エリィが欲しいものが入っているといいな。何が欲しいんだ?」
「えっとね〜、コスメセットもいいし、入浴剤のセットもいいし、アロマオイルセットもいいな〜!」

 女の子らしい望みだな、と顔が綻ぶ。普段は男装しているとはいえ、エリィも普通の女の子だということを改めて認識する。
 自分とは異性であることを再確認したのと同時に、先ほど間接的に触れ合った唇を思い出して、デュースは思わず顔を背けてしまった。こんなに簡単に自滅してしまうのだからどうしようもない。

「あ! 見て、デュース! こんなのが入ってたよ!」

 なんとかいつもどおりの表情に戻っていますように。そう願いつつ振り向いたデュースの目の前に、二枚の紙が差し出された。それには丸っこいフォントで『Sweets Buffet』と書かれている。

「これ、麓の街で人気のカフェの食事券だよ! 今は確か蜂蜜を使ったスイーツが食べ放題なんだよね! あたし、行ってみたかったんだー!」
「そうか! よかったな!」
「うん! ね、これペアチケットみたいだし、一緒に行こうね!」

 今度はデュースが目をパチリとさせる番だった。あまりにも自然に、当たり前のように誘われたから。嬉しいのに、何も反応ができなかった。
 デュースの反応を誤解したエリィは、しゅんと萎れる。

「……あ、甘いのが苦手だったら無理には言わないけど」
「! い、いや、そうじゃなくて……僕じゃなくてユウやグリムを誘わなくていいのか? ユウも女性だし、こういうの好きなんじゃないかと思って」
「……そう、かもしれないけど……あたしがデュースと行きたかったんだもん」
「! わ、わかった! エリィがいいなら一緒に行こう」
「ほんと? 一緒に行ってくれるの?」
「ああ。僕も甘いものは好きだし、ぼ、僕もエリィと一緒に行きたい」
「やったー! じゃあ、デュースのアルバイトが終わったら行こうね!」
「ああ」
「えへへ、楽しみだな〜!」

 ようやく、エリィの今日一番の笑顔が咲いた。周りを照らす明るい笑顔だ。その笑顔を見てデュースは実感する。「エリィのこの向日葵のような笑顔が好きだ」と。

「あ、オンボロ寮に着いちゃった」
「ほんとだ」
「送ってくれてありがと、デュース。早くハーツラビュルに戻って、休んでね」
「ああ。そうする」
「……さっきのこと、ユウやエースたちには内緒だよ?」
「わかってる」

 差し出された小指に、自分のそれをそっと絡める。自分と同じくらい温まっていた指先に安心しつつ、小指を解く。

「じゃあ、おやすみ」
「ああ。おやすみ、エリィ」
「あ」
「なんだ」

 扉の向こうに消えようとしたエリィは、踵を返してちょいちょいとデュースを手招いた。デュースが軽く屈むと、すぐ耳元に甘い息が触れる。

「その衣装、すごく似合ってる。かっこいいよ」

 硬直しているデュースを置いて、エリィはオンボロ寮の中に入っていった。
 煩いくらいに鼓動を刻む心臓を鎮める方法を誰か教えて欲しい。ついでに、ハーツラビュルに戻る前に頭の先から爪先まで赤くなってしまった熱を冷ます方法も知りたかった。

(……サバナクローに感謝しないといけないな)

 サバナクロー寮生たちが横暴しなければ、謝罪のためにエリィはデュースを待っていなかっただろうし、こうして二人で話す時間も、一緒にビュッフェに行く約束を取り付けることもできなかっただろうから。
 デュースは手元の缶に視線を落とし、ぐっと一気に飲み干した。

「っしゃ! 残りも頑張るか!」

 一日の疲れも、寒さも、この数分間が全て吹き飛ばしてくれた。この魔法のような感情の名前を、デュースはまだ知らない。



2022.01.13
- ナノ -