「あっちの世界に彼氏とかいた?」


「で、エリィはどうなんだよ」
「えっ?」
「だから、恋話!あっちの世界に彼氏とかいた?」

 エリィはカトラリーを回収していた手を止めて、しゃがみ込んでいるエースを見下ろした。ゴーストに説いた自身の結婚観について、先ほどまで囃し立てられていたエースの耳元はまだ微かに赤かったが、調子を取り戻したのか悪戯っ子の表情に戻っている。

「お、おいエース……!」
「オレたちのことはちゃっかり聞いてたんだし、エリィのことも話してもらわなきゃな〜」

 止めようとするデュースの声を無視して、エースはエリィに詰め寄った。
 ゴーストのお姫様とイデアの結婚会場として飾り付けられたままの食堂の片付けを任命された一年生組は、自身の恋愛観や過去の恋愛についてを話しながら──いわゆる恋話をしながら飾りの撤去作業を行っていた。
 エースはミドルスクール時代にガールフレンドがいた期間があるものの、恋愛は面倒で今は友達と遊んでいる方が楽しいという結論に至った。不良だったデュースは女の子どころか同性からも目が合うだけで逃げられていたらしく、その結果お姫様に自己紹介しただけで硬直する初心男子になってしまった。ジャックは狼の獣人属という性質から、ひとりの人を見つけたら一生添い遂げる気持ちで恋愛をしたいという。エペルは、地元では同世代の子がいなかったため恋愛のれの字すらなかったようだが、興味がないわけではないようで周りの話には耳を傾けて相槌を打っていた。セベクは恋愛よりもマレウス様という予想通りの答えだったが、意中の相手ができたら文をしたためる……つまりはラブレターを送るつもりだという。

「あたしは……」

 その場にいる全員が固唾を呑み、聞き耳を立てた。今は気の知れたメンバーばかりなので一人称が元に戻っているものの、エリィは普段は男装をしており今もシャンパンゴールドのタキシードを身にまとっている。しかし、エリィはれっきとした女子だ。男子校のナイトレイブンカレッジに通う身として、女子の恋の話が聞けることは貴重であり、興味を抱かないわけがなかったのだ。
 唯一、デュースだけが自分の中の気持ちと葛藤していた。聞きたい、でも聞きたくない。その答えを知りたいようで、知りたくない。背中を向けていても、エリィの声を拾おうと聞き耳を立ててしまっていた。
 エリィは考え込むように目を閉じていたが。

「残念ながら、彼氏どころか好きな人もできたことがないんだ!」

 あっけらかんと明るい声を出して、エリィはそう言い切った。その瞬間、自分の中で戦っていたふたつの気持ちがすうっと消えていき、デュースは無意識に安堵の息を吐いた。

「そうなのか?意外だな」
「ちょっとー、ジャック!意外ってどういう意味の意外?」
「エリィはいろんなことに対して積極的だから、恋愛に対してもそうだろうなと思っただけだ」
「うん!エリィさんはいつもにこにこしてるから、とっても人に好かれそう!統計的にも笑顔は大事だって証明されてるよ!」
「あたしがいた世界は魔法が衰退してる世界だって、前に話したじゃん?だから、魔法を使える人間は距離を置かれるか、腫れ物を扱うようにされるか、媚を売られるか、差別されるか……って感じだったからさ。あっちじゃ本当の友達もいなかったし、彼氏なんてそんなの考えたこともなかったんだ」
「そう……だったんだね」
「やっぱり、エリィがいた世界と自分がいた世界は全然違うところなんだね」
「だから、あたしもエースの意見に賛成!みんなと一緒に遊んだり騒いでる方が、今はずーっと楽しい!それに、魔法の勉強だってもっとやりたいから、彼氏とかそういうのはまだいいかな」
「そうだぞ!僕たち学生の本分は学業だからな!」
「そ、そうだな!勉強は大事だ」
「でもさ、普段はそうやって男装してっけど、まわりは男ばかりなわけじゃん?好きになりそうなやつとかタイプなやつとか、ひとりくらいいたりして〜?」

 話をすり替えようとしたデュースは、さらに深掘りしようとするエースを横目で睨んだ。
 どうして自分がここまで落ち着かないのかわからない。でも、どうしても、エリィの恋愛の話を聞くと胸の中がざわざわして、落ち着かなくなってしまうのだ。
 きっと、エリィはいつもみたいに笑い飛ばすのだろう。「そんな人いるわけないじゃん!も〜!」なんて言って、エースの背中をバシンと叩くのだろう。その場にいる全員、質問したエース自身すらそう思っていた。

「……内緒」

 しかし、返ってきたのは秘密を孕んだ悪戯な微笑みだった。鳩が豆鉄砲を食ったように、全員の動きが停止する。エリィは何事もなかったかのように、鼻歌を歌いながらテーブルクロスを畳んでいる。
 ハッと我に返ったエースはさらに追撃をかける。

「えっ!?何だよその反応!?」
「エリィ、好きなやつがいるのか?」
「気になるんだゾ!」
「僕たちが知ってる人、なの?」
「お前たち片付けが進んでないぞ!!!!」
「そうそう!セベクの言う通り!早く片付けないと朝になっちゃうし、エースの勇姿鑑賞会ができなくなっちゃうよ!」
「うえっ!?くそ、忘れてなかったか……!」
「オンボロ寮の部屋はいつでも貸し出すよ〜」
「ユウ!お前ー!」

 エースからそそくさと逃げてきたユウは、エリィの隣にピッタリと寄り添って小声で耳打ちする。

「エリィ、面白がってわざと曖昧に言ってるでしょ?」
「えへへ。本当に好きな人ができたらユウに真っ先に相談するから、相談に乗ってね?」
「ふふ。もちろん」

 小鳥が囀るようなふたりのくすくすと笑う声が、ふたりの約束を密やかに閉じ込めた。
 ナイトレイブンカレッジでできた友人たちの中でも、同性ということもあってユウはエリィにとって特別だった。そして、それはユウにとっても。
 そしてエリィは、もうひとりの『特別』にひっそりと近付いていく。どこか明後日を見ているようなデュースの横顔を、覗き込むように声をかける。

「デュース」
「うわっ!?」
「あ、突然話しかけてごめんね」
「い、いや。大丈夫だ」
「……」
「な、なんだ?」
「なんか元気ないなーと思って。お姫様に振られたのショックだった?」
「振られたのがショックと言うよりは、あそこまでまともに女性と話せないと思ってなかったから、不甲斐なさはあるな……」
「でも、あたしとは喋れてるよ?」
「それはそうだろう。エリィはマブだからな!マブは関係ない!」
「そっか!よかった!デュースと喋れなくなったら悲しいもんね」
「そ、そんなことはならない!絶対に!」
「えへへ。ありがと!さ、早いとこ片付けちゃお!あたしはタキシードを着ただけで、ゴーストと戦うのもお姫様への求婚も何もできてないから、片付けくらい頑張らなきゃ!」
「それをひとりで運ぶのは無理だろう。僕も手伝う」
「うん!ありがと、デュース!」

 マブ。その言葉はエリィだけでなく、デュースの心の荒立ちを鎮めて気持ちを楽にしてくれた。
 そう、マブなのだ。デュースとエリィの関係はその一言に尽きるが、それには一言では語り尽くせないたくさんの思い出が詰まっている。きっと、ゴーストの花嫁に振られ、ビンタされ、タキシードまで着て結婚式を阻止した今日という日も、ふたりのマブとしての思い出の一ページになるに違いないのだ。

「あのふたりは進まないね」
「だな。なにかとマブって言ってるけど、それが縛りになってるっていつ気付くんだろな」

 ウェディングケーキがのった台を押して厨房へと運んでいくデュースとエリィを見て、エースとユウは密やかなため息を吐き出した。
 ふたりがマブという関係から進展するのは、きっと、もう少し先のお話。



2021.07.02
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