「一生懸命走ってる姿が大好きだから」


 最近、エリィの様子がどうもおかしい。いつもだったら授業を真剣に聞いて魔法の勉強に励んでいるのに、最近はうたた寝をしていることが増えた。デュースの部活動がない放課後は一緒に課題に取り組んだり、特に理由もなく一緒にいることが多かったが「今日は用事があるんだ!」と、誰よりも早く教室を飛び出していくようになった。

「エリィは今日も用事なのか?」

 薄暗さと静けさに包まれたナイトレイブンカレッジを歩きながら、デュースはユウに問いかけた。腕にはブルームバースデーのためだけに用意された特別な魔法の箒が抱えられている。バラやカーネーション、アジサイやアネモネなど、涼しげな青い花たちがデュースの特別な一日を――誕生日を祝うように咲いている。ただ、デュースの傍には今、一番その日を祝ってほしかった人がいない。
 ユウはゴーストカメラの調節をしながら、ぎこちなく眉を下げた。

「う、うん。今日は朝早くからオンボロ寮を出ていったよ」
「そうか。……日付が変わったときに『誕生日おめでとう! 今日のパーティー楽しんでね!』ってメッセージは来ていたんだ。でも、ハーツラビュルで開かれたパーティーにも、バースデーロードのどこにも、姿が見えないんだ」

 誕生日は生まれてきたことと歳を重ねることを祝福されるのと同時に、まわりの人に感謝をする日だとデュースは認識していた。毎年違う方法で生徒の誕生日を祝うナイトレイブンカレッジに入ってからというもの、その意識は強くなった。だからこそ、エリィにとって『彼氏』という存在にあたる自分の誕生日に彼女の姿が見えないことが、気がかりで仕方がない。
 自分がなにか怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。それとも、自分のことはもう……好きではないのだろうか。ここしばらく、あまり考えないようにしていた小さな不安がみるみるうちに大きくなっていく。

「エリィはもう、僕のことが好きじゃないのかな」
「えっ? ちょっと待ってデュース、本気で言ってるの?」
「僕だって考えたくはない。でも……」
「とっ、とにかく! 今は飛ぶことに集中して? 自分もシャッターチャンスを逃さないようにするから、最高の一枚にしよう!」
「ああ……」

 プレゼンターとして選ばれたマレウスからのインタビューを終えた今、デュースはこれからブルームバースデーのために用意されたバースデーロードと呼ばれる道を飛ばなくてはならない。この特別な魔法の箒で堂々と空を飛ぶ姿をエリィにも見守っていてほしかったが、残念ながらそろそろ時間だ。
 ユウと別れたデュースは、指定された離陸地点で魔法の箒に跨がった。ここからは見えないが、この道の先にはきっとたくさんの生徒や先生たちがいて、デュースが空を舞う瞬間を待っている。そう思うと、どうしたって緊張する。
 目を閉じて深く息を吐き出し、意識を集中させる。魔力と風がデュースを囲むように渦巻き、足が地面から離れようとした――そのときだった。

「デュース!」

 名前を呼ぶ声がはっきりと聞こえた。ここのところずっと、デュースの頭の中を占めていた人の声が確かに聞こえたのだ。

「エリィ!?」

 デュースは箒から降りて、駆け寄ってきたエリィを見つめた。太陽のように眩しい笑顔を咲かせたエリィが、確かにここにいる。いつもと何も変わらず、ここに。

「今からバースデーロードを飛ぶんだよね? 邪魔してごめんなさい! でも間に合ってよかった〜!」
「どうしたんだ? 朝早くからオンボロ寮を出てたんじゃ……」
「うん! 注文してたこれ、取りに行ってたんだ!」

 エリィはリボンがかけられた箱をデュースの目の前に差し出した。それが何かなんて、聞くまでもなくわかる。
 今日は数えきれないほどの人が、デュースの誕生日を祝うためにプレゼントを用意してくれた。例えばジャックは飲み物をくれたし、エペルはマジカルホイールの改造パーツをくれた。それぞれに優劣をつけることはできず、どれもがデュースにとって大切な贈り物になった。しかし、どうしても『自分の彼女』という存在から贈られるものが一番嬉しいと感じてしまうのは仕方のないことだった。
 プレゼントを受け取ったデュースは、逸る気持ちを抑えながらゆっくりとリボンを解いて、箱を開けた。

「ランニングウォッチ!? しかも僕がほしいと思っていたメーカーだ……! どうしてわかったんだ?」
「えへへっ! 陸上の雑誌を見てたとき、その時計が載ってるページを長いこと見てたみたいだからもしかしてと思ったんだ! 当たっててよかった! あたし、デュースが一生懸命走ってる姿が大好きだから、誕生日プレゼントは絶対これにしたかったんだ」

 当たっているにも何も、エリィからのプレゼントだったらなんだって嬉しいに決まってる。それなのに。
 思い返せば全てが繋がる。ここしばらく疲れたような顔で欠伸を噛み殺していたのも、放課後は用事があると言って一目散に教室を出ていっていたのも。学生にとって決して安くはない時計をプレゼントするために、アルバイトを増やしていたのだろう。鋭いとはいえないデュースにでも、簡単に察することができた。
 不安は瞬く間に跡形もなく消えてしまった。代わりに込み上げてくる想いごと、エリィを強く抱きしめる。

「直接言うのは遅くなっちゃったけど、誕生日おめでとう。デュース」
「ああ。ありがとう、エリィ。……最高の誕生日だ」
「えへへ。まだ誕生日は終わりじゃないよ。一仕事残ってるでしょ? 時計はあたしが預かっておくから、いってらっしゃい!」
「そうだな。いってくる!」

 エリィの声に背中を押されて、デュースは走り出した。しかし今日走るのは地上ではなく、空。魔法の箒の柄をしっかり握りしめて、前だけを見つめて。
 大空へと飛んだデュースが一度だけ振り向いたとき、そこには変わらずエリィがいて、デュースが好きな笑顔の花を咲かせていたのだった。



2023.06.03
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