「誕生日おめでとう、エリィ!」


 いつもより念入りに髪をとかして。いつもより歯を丁寧に磨いて。制服ではなくこの日のために用意されたスタジャンを羽織る。
そして最後に、とびきりの笑顔を浮かべたら完成だ。

(今年の誕生日の衣装もかっこいいな! 去年はフォーマルな印象が強かったけど、今年はカジュアルだからこっちのほうがあたしらしいかも!)

 ナイトレイブンカレッジでは生徒の誕生日に、特別なお祝いを行う。所属している寮を挙げてのパーティーは毎年のことだが、去年は監督生のユウが誕生日の生徒にインタビューを行い、パーティーの様子を写真に収めた。そして今年は、魔法のバースデーダイスによって選ばれたプレゼンターが誕生日の生徒にインタビューを行い、仕上げに一年がよいものになるようにと願う――端的に言うと、プレゼンターから誕生日当事者へとパイ投げが行われるのだ。
 特にパイ投げは今年のバースデーイベントの目玉である。嫌がる生徒も少数いるが、ほとんどの生徒は楽しんでいた。投げられる側も、そして投げる側も、見守る側も、だ。魔法のバースデーダイスの選択次第では下級生が上級生にパイを投げるようになることも少なくはない。ナイトレイブンカレッジにおいて上級生の顔面にパイを叩きつけることを恐縮する下級生はほぼいない。ほとんどの生徒が下克上と言わんばかりに嬉々としてパイを投げつけるのである。
 そして、今日は八月五日。エリィの誕生日で、彼女が一日主役の日だ。

(魔法のバースデーダイスに選ばれたプレゼンターはユウとグリムだったっけ。楽しみだな! パイ投げはグリムがやるって言っていたけど、容赦ないだろうな〜)

 インタビューで言葉が詰まらないように、昨晩はオンボロ寮の談話室でユウたちと予行練習を行った。『転寮するならどこの寮?』という質問には、ハーツラビュルと答えた。ハートの女王が定めた法律を覚えなければならないのは大変だが、それ以外は真面目に生活をしていれば楽しいことばかりだとエリィは考えていた。なんでもない日のお茶会や、フラミンゴとハリネズミを使ったクロッケー。ポップな寮服もエリィ好みだった。
 そして『無人島に一人連れていくなら誰?』という質問には、もちろんデュースの名前を即答した。エリィにとってデュース以上に頼りになる存在はいない。彼と一緒ならなんでもできるし、どんなことでも乗り越えられると思っている。……ということをユウとグリムに熱弁したところ、「もう少しあっさり答えたほうがいいかも」「ただのノロケに聞こえるんだゾ」と苦笑されたのだが。当のエリィはきょとんとしていた。のろけたつもりは全くなく、デュースへの信頼をそのまま語っただけなのだが、そう聞こえたのなら気を付けようと念のため心にとめる。

(サバナクローでも昨日からパーティーの準備をしてくれているってジャックが言っていたし、放課後が楽しみだな。さ、そろそろ授業の準備をして……)

 そのとき、窓の外から「コンッ!」という高い音が聞こえてきた。建付けの悪い窓をどうにか開けると、夏の朝の生温い空気がエリィの頬を撫でた。
エリィの部屋がある二階から外を見下ろす。見慣れたオンボロ寮の庭に、この寮とは違う色の運動着の赤が目に飛び込んできた。

「エリィ」
「デュース!」

 デュースの姿を見付けたエリィは思わず声のボリュームを上げてしまったが、今の時刻を思い出して慌てて口を押えた。この時間に起きているのは誕生日当日ということで浮かれているエリィと、真面目に朝練をこなす一部の運動部員くらいだ。

「よかった。起きていたんだな」
「デュース、こんなに朝早くどうしたの? 陸上部の朝練?」
「いや、個人的に走っていただけだ。一番におめでとうって言いたかったから」
「え? 夜もメッセージもくれたのに」

 今日のためにエリィは早々に眠ってしまっていたが、朝起きたときエリィのスマートフォンにはたくさんのメッセージが届いていた。友人たちはもちろんのこと、永夜の都の片隅にある白夜の丘に住んでいる両親、そしてもちろんデュースからも。特にデュースからのメッセージは日付が変わったのと同時、つまり八月五日の午前零時に届いていた。デュースの所属は厳格なハーツラビュルだ。消灯時間が来たら直ちに電気は消えるし、起きているところを見付かろうものなら首を刎ねられてしまう。デュースはきっと、消灯時間を過ぎてもこっそり起きていて、日付が変わるのを待っていたのだろう。それなのに、デュースはこんなに朝早く、エリィの目の前に姿を現してくれたのだ。

「だって、直接言いたいだろ。それに、これも渡したかったんだ」

 デュースは大きく振りかぶると、その腕を勢いよく振り下ろした。

「誕生日おめでとう、エリィ!」
「わっ!」

 綺麗な放物線を描きながら手元めがけて飛んできた何かを、エリィは両手でキャッチした。閉じた手のひらをそっと開く。レモンイエローのリボンがかけられた小さな紙箱には、エリィが好きなティーン向けのメイクブランドのロゴが刻まれている。デュースを見やると、落ち着かない様子でエリィの反応を伺っているようだ。
 はやる気持ちを抑えながら、丁寧に包装を解く。中身だけではなく、この箱もきっとエリィの宝物になるだろうから。

「わぁ! リップだ!」
「ど、どうだろう? エリィが好きだって言っていたブランドだから喜んでもらえると思って……でも、色は僕がエリィに似合いそうなものを独断で選んだし、女子にプレゼントなんてしたことがないからもしかしたら……」
「デュース!」

 何重にも予防線を張ろうとするデュースの言葉を吹き飛ばすように、エリィは満開の笑顔を浮かべた。

「ありがとう! すっごく嬉しい! 大切に使うね!」
「! ……そうか。よかった」

 きっと、たくさん悩んでくれたのだろう。マジカメで流行りを調べたり、女子向けの雑誌を買ってみたり、会話の些細なところにもアンテナを張って、エリィが好むものを調べてくれたのかもしれない。そして実際にショップに行き、エリィの姿を思い浮かべながら何時間もディスプレイの前を行ったり来たりして悩んでいる、そんなデュースの姿が浮かんでくる。実際に贈られたプレゼント以上に愛おしい時間が、確かにある。それが何よりも嬉しかった。

「じゃあ、僕はそろそろ行く。またあとで」
「うん! 本当にありがとう、デュース! 大好き!」
「! ぼ、僕も好き、だ……っ!」
「えへへ、ありがとっ!」

 そう言った瞬間に、デュースはエリィに背を向けて外の階段を駆け下りて行ってしまった。今タイムを計ったら自己ベストを更新するのではないかと思うくらいの駿足だ。ネイビーの短髪から覗いている赤い耳元が、きっとデュースが勇気を出してくれた証拠だ。

「わぁ、かわいい……」

 リップは可愛らしいコーラルピンクだった。ピンクの中にもオレンジの色味が入っているため甘くなり過ぎず、健康的な可愛らしさがエリィらしい。
 エリィは迷うことなくリップを唇にのせた。男装している身なので、あくまでも薄く色づく程度だ。しかし、それだけでも気分が上がってしまうのだから、やっぱり『かわいい』は諦められない。今度麓の街へ出かけることがあれば、はっきり色がわかるようにつけていこう。

「そろそろ行かなくちゃ! ユウたちも起きてるかな」

 エリィはマジカルペンをポケットに差し込み、その隣にデュースからもらったリップも忍ばせた。まるでお守りが二つに増えたみたいに心強い。
 エリィは鼻歌混じりにオンボロ寮の階段を駆け降りていった。一年に一度だけの素敵な一日は、まだ始まったばかりなのだ。



2022.08.05
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