「ツムばっかりデュースに構ってもらえてずるい」


 魔法に満ちた世界――ツイステッドワンダーランドでは様々な不思議な出来事が起こる。特に、優秀な魔法士の卵でありながら個々の自我が強い問題児が集まるナイトレイブンカレッジでは、毎日のように問題が発生している。例えば、ゴーストの花嫁が花婿を探しにやってきたり、妖精たちの祭りであるフェアリーガラの会場に選ばれたり、ハッピービーンズデーでは目的を見失った場外乱闘が繰り広げられたり、と挙げはじめたらきりがない。小さなトラブルから大きな事件まで、様々なイレギュラーを経験してきた生徒たちは少しのトラブルくらいでは動じなくなっていた。
 しかし、今回の事件は今までとは毛色が違ったものだった。今回は『ナイトレイブンカレッジの生徒とよく似た、むしろナイトレイブンカレッジの生徒をデフォルメしたぬいぐるみのような不思議な生き物が空から落ちてきた』という、なにかの冗談とも思えるような珍事件が起こったのだ。
 『ツム』と名付けられた不思議な生物は、学園長により危険性はないと判断された。生徒たちはそれぞれ自分に似ているツムを彼らが帰るまでかいがいしく世話し、無事に学園には平穏が戻った。
 そんな出来事が起こったのも、数ヶ月前の話だ。
 ナイトレイブンカレッジが気に入ったのかなんなのか、ツムたちは再び来訪した。しかも前回とは違うメンバーで、だ。今回やってきたツムたちにも攻撃性や危険性は見当たらず、以前と同じように生徒たちは自分に似ているツムを引き取り、彼らが帰るまでの間、行動を共にすることにしたのだった。

「ツム〜! ツムが積んでツムツム〜! あははっ! かーわいい!」

 両手のひらの上で自分によく似たツムを転がしながら、エリィはご機嫌に声を弾ませていた。ハニーブラウンのショートカットのてっぺんにはアンテナのようにアホ毛がピョコンと立ち、スファレライトの瞳の中には向日葵のような虹彩が咲いている。そんなところまで、エリィ似のツムはエリィにそっくりだった。

「わっ! ツムのアホ毛がピンと立って……走り出した!」

 エリィ似のツムはエリィの手の中で楽しそうにしていたのだが、突然その動きがピタリと止まった。なにかを感知したレーダーのように真っ直ぐに立ったアホ毛が前方を指し示し、エリィ似のツムはその方向に向かって脱兎のごとく走り出したのだ。

「待ってー! きみが変なことをしたらおれが寮長に怒られちゃうー!」

 慌ててエリィ似のツムの行方を追いかける。向かっている方向から察するに、この先には学園裏の森がある。なにか用事でもない限り、生徒たちはほとんど足を踏み入れることがない場所だ。
 その小さな体のどこに力が隠されているのかと思うほど、エリィ似のツムは速かった。走って、走って、そしてようやく追い付いた。追い付いたというより、エリィ似のツムが森の中にいた人物――デュースに飛び付いたお陰で止まってくれた、と説明したほうが正しいが。

「エリィ」
「デュース! よかった! おれのツムを捕まえてくれたんだね!」
「ああ。抱きとめてやったら止まったぞ」
「助かった〜。ありがと、デュース。そっか。きみはデュースに気付いて走り出したんだね」

 エリィ似のツムは「えっへん!」というように自慢げに胸を張り、デュースの手のひらに体を擦り寄せてくつろぎはじめた。まるで小動物に懐かれているみたいだと笑いながら、エリィはデュースの隣に腰かけた。

「そういえば、デュース似のツムも来てるって聞いたけど?」
「ああ。寮のキッチンの照明を落としたり、トレイ先輩作のケーキに乗ったり、問題ばかり起こすんだ」
「あはは! 楽しそう! 今はどこにいるの?」
「あそこだ」
「あそこ?」

 デュースが指差す先に、ツムらしき生物の姿はなかった。ただ少しばかり更地があるだけで、ツムどころか小鳥や猫もいない。
 エリィが首を傾げて目を凝らしていると、突然茂みが揺れて、そこから勢いよく何かが飛び出してきた。その何かは小さなエンジン音を響かせてジグザクに走ったり、急カーブを曲がってみたりと不規則に動きまわっている。
 エリィはさらに目を凝らした。よく見たら、走っているのはミニチュアのマジカルホイールのような乗り物で、それを運転しているのが――デュース似のツムだったのだ。

「え、あれってマジホイ? 運転してるのってデュース似のツムだよね?」
「ああ。イグニハイド生が作ってくれたのを気に入ったらしい」
「そっか。まわりに迷惑をかけない場所でツムを走らせられるように、デュースはこんな人気のないところにいたんだね」
「ああ。……それにしても、あの走りかたは素質がある。一緒に峠を攻めてみてもいいかもしれない」
「とうげをせめる?」
「あ、いや、その……忘れてくれ。……そ、そういえば、触り心地がよくてついずっと撫でてたけど、嫌じゃないか?」

 失言を誤魔化すようにデュースはエリィ似のツムに話題を振った。エリィ似のツムはデュースたちが話している間ずっと、デュースの胡座の中にすっぽりとおさまり、されるがままに撫でられている。デュースの問いにふるふると体を揺すり、嫌ではないことを告げると、デュースもまた安心したようだった。

「そっか。よかった」
「……ツムばっかりずるい」
「え?」
「ツムばっかりデュースに構ってもらえてずるい」
「えっと」
「あたしも触って!」

 エリィが前のめりになり、デュースとの距離を詰める。真ん丸な瞳を微かにつり上げ、頬をわかりやすく膨らませる。するとデュースはゆっくりと両手を伸ばし、エリィの頬を両側から包んだ。

「こ、これでいい、か?」
「もっと! ツムみたいにむぎゅむぎゅして!」

 さらにリクエストを重ねると、デュースの両手がぎこちなくエリィの頬を撫でた。柔らかい頬をこねるようにしてみたり、軽く摘まんで伸ばしてみたり、端から見たら遊ばれているようにしか見えないスキンシップだが、エリィはご満悦だった。

「えへへー」
「い、痛くないか?」
「大丈夫だよ」
「そ、そうか。女の子に触れるなんてエリィが初めてだから、加減がわからなくて……嫌だったらすぐに言ってくれ」
「ありがと。でも、デュースにされて嫌なことなんてないから大丈夫だよ」
「っ、あの、それは……っ」
「あ!!」

 エリィが大きな声を上げると、デュースは飛び上がって両手を離した。

「す、すまない!!」
「違う違う! ツムが事故った!」
「ええ!?」
「こっちに飛んでくる!」

 スピードを出したまま小石に乗り上げ、デュース似のツムの体が宙に放り出された。反射的に立ち上がったエリィは、持ち前の運動神経でデュース似のツムの落下地点まで走る。エリィがたどり着いたのと、デュース似のツムが落ちてきたのはほぼ同時だった。
 エリィは顔面でデュース似のツムを受け止めた。そのとき唇にぬいぐるみが触れるような感触を覚えたが、安心感が上回ってしまい気に留める暇もなくその場にしゃがみこむ。

「っ、セーフ! 危なかったねぇツム! 安全運転しなきゃダメだからね!」

 デュース似のツムはお礼をいうようにその場で跳ねた。そこにエリィ似のツムがやってきて、なにか話しているような仕草をしたかと思うと、揃って小型のマジカルホイールのもとに向かう。まずデュース似のツムが小型のマジカルホイールに乗り、その上にエリィ似のツムが積み上がり、その状態のまま走りはじめた。

「あはは! 今度はあたし似のツムと一緒にドライブを始めたよ! かわいいー! 写真撮っちゃお!」
「……エリィ」
「ん? デュース、さっきから黙っちゃってどうしたの?」
「さっき、僕似のツムと……き、き……」
「き? ……ああ、キスしちゃったね! あはは、なんだか小動物としちゃった気分! それがどうしたの?」
「……」
「デュース、なんか怒ってる? ねぇ、デュ」

 その先の言葉は出てこなかった。エリィの唇が、同じくらい柔らかいもので塞がれてしまったから。頭の中が真っ白で、突き飛ばすことも、身を委ねることもできず、睫毛が長いなぁという場違いな感想が生まれる。
 閉じられた瞼が開き、すぐ目の前にあるピーコックグリーンの瞳と視線が絡んだとき、デュースはようやく我に返ったようで、勢いよく体を離した。まるで白い薔薇が赤く染まったような頬の色をしている。

「っ、あ! す、すまない……! 僕だってまだなのにツムに先を越されたと思ったらつい、って何を言ってるんだ僕は……」

 ようやく、エリィの中にもじわじわと実感が生まれてきた。「デュースにキスされたのだ」と。
 デュースとエリィは星送りの夜に両想いになった仲だ。学校ではいつも一緒にいるし、休日は麓の街に降りて手を繋いでデートをしたりもする。ただ、真面目で純粋を絵に描いたような少年と、恋愛に疎い少女が手を繋ぐ以上の仲に進展することはなく、今日に至る。
 黙り込んでしまったエリィの様子を伺うように、デュースは恐る恐る問いかける。

「エリィ、怒ってるか?」
「……怒ってる」
「うっ……そ、そうだよな。嫌だったよな。それこそ小動物に噛まれたと思って忘れて……」
「忘れられるわけないじゃん! だってデュースだよ! それに、嫌だったんじゃなくて……嬉しかった」
「っ、エリィ」
「でも……あたしだって初めてだもん。ちゃんと、言ってから、してほしくて」

 知らなかった。恋をして、唇が触れただけで、こんなに舞い上がった気持ちになったり、我が儘になったりしてしまうなんて。
 固く結んでいた手が、デュースの体温に包まれる。デュースの手は手袋越しにも関わらずこんなにも熱いし、少し震えていた。しかし想いだけは、はっきりと言葉として輪郭を作る。

「エリィ。もう一回、仕切り直させてくれ」
「……うん」
「……好きだ、エリィ」
「えへへ。あたしも大好き」

 そしてたった一瞬だけ、触れるだけのキスをした。それなのに、はちみつみたいに甘くて、レモンのように少し酸っぱい。まるで、デュースとエリィの恋そのもののように。
 恥ずかしさを紛らわすように笑いあっていると、耳をつんざくようなエンジン音が飛び込んできた。デュースとエリィに似たツムたちは、二人の事情なんてお構いなしにドライブを楽しんでいるようである。余計におかしくなってきて、デュースとエリィは同時に吹き出した。

「ツムたちに感謝かもね」
「だな」

 ツムたちが帰ってしまうときが来ても、きっと二人は今日という日を忘れはしないのだろう。



2023.04.21
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