「……今の、まさかレオナのマネなんだゾ?」


「エボリューション、かぁ」

 サウナのような蒸し暑さのオンボロ寮の談話室に、ため息交じりのエリィの声が溢れた。テーブルに突っ伏したエリィの頭のてっぺんにぴょこんと生えている特徴的な髪は、茹だるような暑さのせいか萎びた植物のように下を向いている。

「抽象的過ぎて難しいよね。あたしたち一年生は常に進化しているから今回のフェアリーガラのテーマとして適役だ、って言われたら「なるほど」とは思うけどさ」
「僕たちですら悩むんだから、自分の心が生まれたばかりのオルトクンにはなおさら難しい、よね」
「だから、エースが言う通り、自分たちが力になってあげようよ」
「だな。同じ学年の友人が困っていたら手を貸すのが優等生だ」
「この暑さとおさらばできるんなら、オンボロ寮を貸すことくらい仕方ねぇんだゾ」
「素直じゃないなーグリムはー」
「ふなぁ!? おまえはモフモフするのをやめろ!」

 ナイトレイブンカレッジの魔法石を取り戻し、なおかつフェアリーガラを成功させ春を呼び込むために、ショーに出演するべく選ばれたオルト、シルバー、エース、ジャックの四人はヴィルとクルーウェルの厳しいレッスンに励んでいる。その中で、オルトが自分なりの『エボリューション』の表現に悩んでいることを聞きつけ、オンボロ寮に集まったのがフェアリーガラに出ない一年生たち。デュース、エペル、エリィ、ユウ、グリムだったのだ。
 エースがオルトを探しに行っている間、残されたメンバーは暑さを紛らわそうと常に話題を探していた。といっても、同級生がこれだけ集まれば自然と話題は生まれるものだが。

「でも少し意外、かな。エリィサン、こういうことは「自分がやりたい」って率先して手を挙げると思ってた」
「挙げた! 挙げたんだよ、あたし! セベクやシルバー先輩みたいに妖精族の知識はないけど、ジャックと一緒にショーを成功させる役目をやりたいですって!」
「エリィは相変わらず積極的だな。僕は自分に白羽の矢が立たなくてホッとしている。大勢の前に立つ緊張感はVDCでもうこりごりだ」
「でも、エリィサンがここにいるってことは却下された、んだよね?」
「そう〜」

 エリィはすっと立ち上がると、ぱっちりと開いている目を鋭く細め、腕を組んでみせた。

「『エリィ。お前、自分の立場を考えてからものを言え。お前が目立ってはいけない理由は、お前が一番理解してんだろ。サバナクローを面倒ごとに巻き込むんじゃねぇ』」
「……今の、まさかレオナのマネなんだゾ?」
「ふふふ。案外、似てたよ」
「やった! マジフト部エペルのお墨付き!」
「確かに、エリィは人間であることに加えて男装もしているからな……それで、却下されたってわけか……」
「あ、そんな顔しないでよデュース! その代わり、寮長はこう言ったんだ。『お前はそのバカみたいなポジティブ思考を使うべきところで使え』ってね」
「エリィのポジティブ思考……」
「うん! あたしの強みは、どんなことも前向きに捉えること! 決して諦めないこと! 下を向かないこと! 勝つためには手段を選ばないこと!」
「途端に物騒になったんだゾ」
「そして、いつも笑顔でいることだから! だから、ショーに出るみんなを応援して、困ったことがあれば一緒にアイディアを考えてやれってことだと思う」
「なるほど。さすがレオナサン。エリィさんの得意分野をわかってくれてるんだね。部活でも、いつも部員が動きやすい割り振りをしてくれるんだ」
「さすがは群れの司令塔だよね! というわけで、オルトが来たらみんなで力になれるように頑張ろうね! みんなで春を迎えよう!」
「ああ!」
「それにしても、エース遅いね」
「どこで道草を食ってるんだゾ」
「オルトを探すのに時間がかかっているんじゃないか?」
「オルトクン、思い詰めてないといいけど……」

 確かに。エリィは壁掛け時計を見上げた。オルトを探してくると言ってエースが出ていってからというもの、かれこれ一時間弱経過している。こうなってくると自分たちも探しに行ったほうが早いかもしれないが、行き違いになってしまったら時間のロスだ。
 それならば、今は自分たちにできることをやる。例えば、先にアイディアをいくつか考えておいたら話は早く進むかもしれない。
 エリィはソファーの背にかけてあるストールと花冠を見やった。引っ掛けたり壊してしまってはまずいからと、エースが置いていったものだ。エリィはそれらにそっと手を伸ばした。
 花冠は頭に、そしてストールは肩にかける。そして、丹田に意識を集中させてまっすぐに立ち、談話室をステージに見立てて一歩、また一歩と歩いてみせた。

「エリィ、何をしてるんだ?」
「エースが置いていった衣装を借りて、ショーに出る気分を体験しようと思って。ほら、エボリューションのいい案が浮かぶかもしれないでしょ?」

 表情には向日葵のような満開の笑顔を咲かせて。ウォーキングは体幹を揺らがさず、一方で軽やかにスキップするように楽しげだ。
 エリィは部屋の端までウォーキングを披露すると、腰を折って頭を下げてみせた。小さな拍手がオンボロ寮の談話室に咲いた。

「うまいうまい。エリィ、やっぱり運動神経がいいね」
「えへへ。そうかなぁ。やっぱり少しだけショーに出てみたかったなぁ。……デュース?」

 エリィはソファーに座っているデュースの前にしゃがみ込むと、下から顔を覗き込んだ。スペードのスートが描かれている頬は薄く色づき、目の輪郭はどこか朧げだった。

「ボーっとしてどうしたの? 暑い?」
「な、なんでもない!!」
「ふーん? それならいいけど、熱中症になる前に水分補給だよ?」
「あ、ああ。気をつける」
「あたし、冷蔵庫から飲み物取ってくるよ!」
「ぼ、僕も手伝おう!」
「ありがと!」

 エリィは花冠とストールを脱ぐと、デュースと一緒に談話室を出ていった。その足音が遠ざかり、聞こえなくなったところで、三人分の小さな笑い声が談話室に響いた。

「デュースのやつ、エリィに見惚れてたんだゾ」
「ふふ。わかりやすい、かな?」
「エースがいたらからかってただろうね」

 あの二人に春が来るのは、一体いつのことになるのやら。知らないのは当人たちばかりである。



2022.06.13
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