純白色の記念写真


「結婚記念日? じゃあ、写真屋で記念撮影でもしてきたらどうだい?」

 ペリーラからそんな提案を受けたのが、三日ほど前のことだった。秋の匂いがコトブキムラに漂い始めたころ「もうすぐ結婚記念日だな」とルテアに話しかけたところを聞いた台詞だった。

 おれとルテアは、彼女が十五歳の誕生日を迎えたその日に夫と妻という関係になった。とはいっても、籍を入れたわけでも、実際に式を挙げたわけではない。イチョウ商会のみんなの前で夫婦になることを誓いあった、ただそれだけだ。それももう、二十年近く昔の出来事である。
 最近の結婚事情はというと、家族や知人を招いて神前式を挙げたり、揃いの指輪を贈りあったり、ペリーラが言うようにとびきりの和装を身に纏って写真を撮るという文化が流行りつつあるようだ。おれとルテアが結婚した頃にはなかった文化である。商人として様々な方面に意識を向けることを心がけているゆえに、流行の把握はしていたものの、それをおれとルテアが実際に行うという考えはまるで浮かんでこなかった。提案されたときはルテアも不思議そうに首を傾げていたほどだ。
 しかし、その日の夜に。

「ギンナンさんと写真……」

 羨望を含ませたルテアの独り言を聞いてしまっては、決行せずにはいられなかった。

 翌日の朝、その足で写真屋の店主――ゲンゾウの元を訪ねて「結婚記念日の想い出を残したい」旨を伝えると、ゲンゾウは出来上がった写真を店に飾ることを条件に了承してくれた。なんでも、イチョウ商会のおれとルテアはコトブキムラの正式な住人ではないものの、ムラの住民たちの間ではおしどり夫婦として有名らしい。その写真を飾ることができたら、同じように夫婦の写真を残したいと思う客が増えるかもしれないという算段だった。その代わり、代金は衣装の賃借料のみでいいとのこと。
 おれとしても、悪くはない提案だった。おれとルテアの仲睦まじい姿を改めて知らしめることができたら、イチョウ商会の印象が上がるだけではなく牽制にもなる。おれがルテアに注ぐ愛は誰にも負けない自覚があるし、ルテアの目に映っているのはおれだけだという自信もある。それでも、ルテアに接客を任せると鼻の下を伸ばしてしまう男性客は少なくないのだ。おれとルテアの間には誰も入り込むことができないのだと、釘を刺すいい機会である。

 それから二日後。おれとルテアはそれそれ、写真屋の衣装室で撮影のための衣装を着つけてもらっていた。
 おれの衣装は、いわゆる紋付羽織袴というものだ。黒漆色の羽織には白い紋が入り、袴は髪色よりも濃い薄墨色だ。仕事休みの日に着ている着流しとはまた違う格調高い和装に、自然と身が引き締まる。
 着付師が髪型を整えている様子を鏡越しに眺めながら、ルテアはどのような装いで現れるのだろうと考えると、年甲斐もなく胸が高揚する。普段着の黄花玉簾柄の着物でも、イチョウ商会の制服でも、ルテアの可愛らしさに変わりはないが、華やかな衣装を身に纏った彼女は普段とは違う魅力に溢れているに違いないと確信がある。
 頭のてっぺん付近の癖っ毛をようやく落ち着かせることに成功した着付師は、やりきったという表情でおれを撮影場へと案内する。引き戸を開けると、同時に正面の部屋の引き戸も開いた。ルテアが着付けをしてもらっている衣装室の戸だ。

「……ルテア」

 ルテアは、純白の着物に身を包んでいた。打掛けから帯に至るまで、どこを見ても汚れ一つない白で統一されている。いわゆる白無垢という和装だ。結い上げられた髪は綿帽子で隠れていて、唇に引かれた紅と、おれを映す薄氷色の瞳だけが、今のルテアにのせられた唯一の色だ。

「ギンナンさん……いかがでしょうか?」
「ああ……今日はお嬢さん、なんて言えないな。おれの奥さんはこんなにも美しい」
「……ありがとうございます。わたしの旦那さまも、とても素敵です」
「ありがとう。……ん? よく見たら打掛けの柄はイチョウの葉なのか?」
「はい。さすがですね、ギンナンさん。イチョウはたくさんの実をつけることから、夫婦円満を表す幸せの象徴としてこの白無垢に刺繍されたと、着付師のかたに教えていただきました」
「なるほど。いろんな意味でおれたちにピッタリというわけだ」
「ふふ。はい」

 おれとルテアが見つめ合いながらクスクスと笑っていると「ごほん!」とわざとらしい咳払いが聞こえた。
 当然のことではあるが、おれもルテアも公私をしっかり分ける姿勢を持っている。仕事のときは商人としての顔を崩すことはないが、そのぶん私生活においては少し気を緩めるとすぐに二人の世界に入ってしまう。いい年をして、と自覚はしているがそれをなおす気はさらさらなかった。

「さて、そろそろ撮影に入りたいのだが」
「ああ、そうですね。店主、どーぞよろしくお願いします。妻を美しく撮ってくださいね」
「まあ。わたしよりも、主人を素敵に撮ってくださいな」
「心配するな。これ以上ない一枚を撮ることを約束しよう! さあ、奥方はこちらの椅子に、ご主人はその隣に立って」
「こうか?」
「そうそう。ああ、それからうちはポケモンの撮影が売りでね。よかったらポケモンも一緒にお願いしたい」
「だ、そうだ。おいで」

 おれが声をかけると、撮影部屋の隅で様子を見守っていたおれたちのポケモン――コリンクと、リオルと、イーブイが、ぱっと表情を輝かせて駆け寄ってきた。夫婦写真というよりは家族写真だが、きっとより良い写真になることだろう。

「さあ、撮りますよ。目線をこちらへ。いい表情を頼みます」
「いい表情か……出会ったばかりの頃のルテアに言われた通り、表情を作ることは苦手なんだ」
「まあ、そんなに昔のことを覚えていらっしゃるのですか?」
「ルテアとのことは全部覚えている。記憶力がいいことは知っているだろう?」
「ははは! 表情を作る必要はありませんよ」
「え?」
「普段通りで大丈夫です」

 普段通り。首を傾げつつも、視線を落とす。椅子に腰掛けているルテアもまたおれのことを見上げており、目が合ったその瞬間――花が綻ぶように、微笑んだ。その姿を映したおれの瞳も、同じように綻んでいく。

「はい、こちらを向いて!」

 そして出来上がった写真を見て、おれはその言葉の意味を知った。ただ隣りにいるだけで、おれたちは他の誰にも作ることができない同じ笑顔を咲かせることができるのだ。



2022.04.17

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