銀杏色の誇り


 茜色に染まった空を、ムックルの群れが飛んでいる。巣へと帰っていくのだろうか。そろそろイチョウ商会も店じまいの時間である。売り上げの計算はもちろん、今日は月末の棚卸しも行わなければならない。ソノオ通りの人通りもまばらになってきた。店番をしているルテアと変わり、先に棚卸しを始めていてもらおう。
 そう思ったギンナンがルテアに声をかけようとしたとき。

「ツイリさん、遅いですね」
「ん? そーいえば、まだ帰ってきていないね」

 正門のほうを見ながら、ルテアがぽつりと漏らした。
 今日の配達はツイリが担当している。場所は紅蓮の湿地だ。コトブキムラから少々距離はあるが、一日で帰ってこられない距離ではないし、オヤブンポケモンの縄張りを避けて行ける道筋を記した地図だって渡してある。
 今回の配達に特別な危険はないはずだが、想定外の事故やポケモンが出現する可能性はゼロではない。文を飛ばしてくれるひこうポケモンに様子を見てきてもらおうかと、ギンナンとルテアが相談をしていたとき。

「ギンナンさん……ルテアさん……」
「おや? 帰ってきたよーだ……!?」

 消え入りそうにか細い声のほうを向いたギンナンとルテアは、目を見開いた。二人の目に映ったのは、ぼろぼろの状態で戻ってきたツイリだったからだ。イチョウ商会の制服の上着を着ておらず、さらしが露わになっている。リュックは背負っていない。彼女が使役しているヤンヤンマは体力を消耗しきっており、戻ってくるなりぺたりと地面に落ちてしまった。
 すかさずルテアが「ツイリさん、こちらを」と、予備の上着を羽織らせる。ツイリは「ありがとうございます」と礼を言うと、蒼穹色の瞳が見る見るうちに潤んできた。

「ごめんなさい……リュックが……制服が……うわぁああぁん!!」

 人目をはばからず大声をあげて少女のように泣くツイリの声が、茜色の下に響き渡った。


* *


「追い剥ぎか……」

 ギンガ団本部の二階。深紅色で統一された執務室に鎮座している警備隊長のペリーラは、神妙な顔つきでツイリを見上げた。

「確認するけど、あんたから制服やリュックを奪っていったのは背丈がそう変わらない女だったんだね?」
「はい……ヤンヤンマを使って抵抗したんですけど、あの女のユキノオーがとても強くて、負けてしまって……最初は荷物だけ奪われたんですけど『あんたが着ている服、うちに丁度よさそうだね。もーらい!』って制服まで……」
「ペリーラさん、心当たりはあるかな?」
「ああ。大ありだね。イチョウ商会以外にもギンガ団やコンゴウ団、シンジュ団も金品を盗まれたり畑を荒らされたりしたことがある。おそらく、ツイリを襲ったのは野盗三姉妹――ショウチクバイさ」

 ペリーラは立ち上がり、執務机脇の黒板に掲示されている三枚の顔写真のうち、一枚を指の関節でコンコンと叩きながら言った。
 野盗三姉妹のショウチクバイとは、その名前の通り人や荷車を襲って金品や物資を奪っている野盗の女三人組だ。姉妹と名乗ってはいるものの、彼女たちに実際の血の繋がりはなく、あぶれ者同士が集まり共に行動するようになったことで名乗るようになったのだという。
 三人は元から悪事を働いていたわけではなく、それぞれの居場所で生きていた。長女のオマツはギンガ団、次女のオタケはギンガ団の調査隊やコンゴウ団、そして三女のオウメはギンガ団の畑作隊やシンジュ団に属していた。しかし、各々の理由から組織を脱退した彼女たちは、生きるために三人集まり、ムラや人間たちを襲うようになったという。

「あいつらはかつてギンガ団の一員だった。だから、イチョウ商会が襲われたのはあたしたちの責任でもある。申し訳ない。タキ、すぐに見張りを強化するように伝えておくれ」
「はっ!」
「イチョウ商会の。我々もあいつらに縄をかけるために努力するけど、あんたたちも十分警戒してほしい」
「どーも。助かります、警備隊長殿」

 ペリーラが話している間、またツイリの手が小さく震えだしたことに気が付かないギンナンではなかった。
 行商の中で野生のポケモンや盗賊に襲われたことはゼロではない。そのときのために、イチョウ商会はみな自分のポケモンを所持しているのだ。
 しかし、自身の実力以上の強さでねじ伏せられた上に、理不尽にも衣類や所持品を剥ぎ取られたツイリの恐怖は彼女にしかわからない。

「ツイリ、怖かっただろう。しばらく配達はやらなくていい。店番を任せても大丈夫か?」
「はい……すみません、リーダー」

 ギンナンにとって、商会とは家族のようなものだった。一部ヒスイの外で行商を行っているメンバーもいるが、彼らとは定期的に文を飛ばしあい、報連相を欠かさない。ギンナンがイチョウ商会という大きな集団をまとめ上げているのは、彼の商人としての腕と強いリーダーシップはもちろんのこと、部下のことを想う広く深い心があるからこそなのだ。
 ギンナンはツイリの頭をポンと撫で、眉を寄せて彼女の悲しみに同調する。そんな二人を見ていたルテアの口から、感情の籠もらない言葉が零れ出た。

「ゆるせませんね」
「ああ。若い子を狙うなんて、野盗の……」
「ギンナンさんをかなしませるなんて、ゆるせません」

 声も、その眼差しも、薄氷のような冷たさを帯びていた。しかしその冷たさはすぐに解け「わたしに考えがあるのですが、聞いていただけますでしょうか?」と、ルテアはいつものように微笑んで見せた。
 それは刹那の出来事だった。しかし、どこにでもいるような女の中に巣食っている『化け物』の存在をペリーラは確かに感じ取り、親友と呼べる彼女の心を密かに憂いた。


 * * *


 紅蓮の湿地の金色の平野。荷車の傍でパチリパチリと焚火が燃えている。火の番をしているルテアとリオルは、薪を火にくべながら揺れる炎の先を見ていた。
 溶け込むような暗闇が、一瞬だけ揺らいだそのとき。闇の中から現れた人影が、ルテアの前に飛び出してきた。

「いいカモ見つけた!」
「あら? あなたは……?」
「うちは野盗三姉妹のオタケ。あんた、イチョウ商会の女だね? その荷物を置いていきな。悪いようにはしないからさ」

 名が知れていることを自覚しているからか。それとも自身の実力に自信があるのか。野盗三姉妹の次女――オタケは自ら名乗りを上げた。
 漆のような黒髪を三つ編みにして、顔には隈取りにも似た化粧を施している。そして、身に纏っているのは恐らくイチョウ商会の制服だろう。恐らくというのは、袖や裾が無造作に破られ原型をほとんど留めていないからだ。
 なるほど、とルテアは確信する。外見だけを見ると、確かにツイリと身丈が変わらず年齢も近そうである。

「ツイリさんを襲ったのはあなたで間違いないようですね。リオル」

 ルテアの呼びかけに答えたリオルが前に進み出る。感情を受け取りやすいリオルは、ルテアの心に生まれた『怒り』に共感して小さく唸る。
 イチョウ商会の制服は、その団体に属することが認められた者が着ることができる大切な装束だ。まだ十三だった頃にギンナンから拾われ、イチョウ商会の仕事を手伝いながら商売というものを学んでいたルテアでさえも、正式に一員と認められ制服を渡されたのは世間的に大人とみなされる十五の誕生日を迎えてからである。
 それに、制服はその団体の印象を決める顔ともいえる。正しく着用しなければ悪印象を与えかねない。そのため、ギンナンは入会した者にはまず制服の着こなしから指導する。野盗が易々と袖を通し、あまつさえ袖を破いたりボタンを開けたりして着ていいものではないのだ。
 ルテアから冷たく、静かな怒りの気配を察知したオタケは、モンスターボールに手を伸ばした。

「なんだ? やる気か? いっとくけど、うちのユキノオーを倒せるのはオマツくらい……っ!?」

 次の瞬間、オタケの周りに群青色の半透明な壁が現れた。オタケを取り囲むように六面を塞いでいるそれは、叩いても蹴ってもびくりともしない。

「なんだこれ!? 出せ! 出せよ!」
「あらあら。こまりましたね。それではそこから出ることも、ポケモンを出すこともできませんね」
「なんだって!?」
「それはすきまなく、四方をふさいでいるかべ。いわば、あなたはでぐちのないはこに閉じ込められた状態です。その状態でポケモンを出してしまえば、ポケモンともどもおしつぶされてしまうでしょう。それにいずれ、なかの酸素がなくなってしまうかもしれませんね」

 オタケは体中から血の気が引いていく感覚を覚えた。
 この女を敵にしてはいけないと、本能が警告している。慈悲深い笑みを携えて相手を油断させておきながら、その実は他人に対する憐れみなど一切ない。とんでもない――化け物だ。

「もう二度とイチョウ商会をおそわないと、やくそくしてくださいますか?」
「そ、そんな約束誰がするもんか……っ!」

 なけなしの強がりを見せた、次の瞬間。雷雲が立ち込めているわけでもないのに、落雷がオタケに落ちた。もちろん、群青色の壁に阻まれてオタケ自身に直撃したわけではない。しかし、オタケが恐怖を募らせるには十分だった。

「わ、わかった! わかったよ! あんたたちには手を出さないからここから出せ!」

 ルテアがリオルを見やる。オタケの恐怖を言葉の裏付けとして波導の中に受け取ったリオルは、小さく頷いて見せた。
 そして『リオルが』波導を解くと、オタケは一目散に駆け出した。

「ち、ちくしょ〜〜!!」

 オタケが再び闇の中へ帰っていった時を見計らい、荷車の中から人影が現れた。ギンナンとツイリだ。さらにギンナンの背後から出てきたロトムは、どこか得意げな顔をしている。

「お力添えいただきありがとうございます、ギンナンさん。ロトム。ただ、制服を取り返せず申し訳ありません」
「いいや、深追いして相手に刺激を与えるほうが危険だ。気にしなくていいよ、ルテア。『自分が囮になる』と言い出したときはどーなることかと思ったが、上手く行ってよかった。これに懲りたら、この制服を着ている限り大丈夫だろう」
「ふふふ。そうですね。イチョウ商会に手を出したらどうなるか、わからなかったほど愚かではないでしょう」

 ルテアはすっかり元の調子に戻っている。まるでギンナンから邪悪な感情を浄化されたかのように、穏やかな声色だ。
 まるで天気の話でもするかのような口振りで笑いあっているギンナンとルテアを見て、ツイリは頼もしさと同時に小さな恐れを覚えていた。「あの夫婦は絶対に怒らせないようにしよう……」と、ひそかに誓う程度には。



2022.06.30

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