桃色のいつくしみ


 わたしの意識の半分は、未だ夢と現実の狭間をゆらゆらと漂っている。冷たくもなく熱くもない人肌と同じ温度に包まれて、安心して深く息を吸うことができる。羊水に包まれた赤んぼうは、きっとこんな気持ちなのだろうとぼんやり思考を紡ぐ。
 ふ、と開いた瞼を数回瞬かせる。朝が来たということよりも早く、ギンナンさんから抱きしめられているということに気付く。すぅ、すぅ、と柔らかな寝息が頭上から降ってくることに安心して、わたしはギンナンさんの胸元にすり寄るともう一度瞼を落とした。
 結婚してから二十年近くが経っても、ギンナンさんは毎日わたしを抱きしめて眠る。まるで、怖いもの全てから護るように。わたしが消えてしまわないように。愛しているということを全身で伝えてくれるように。
 そんなギンナンさんのことが、本当に、だいすき。

「……そろそろ、朝餉の支度をしないといけませんね」

 この体温から離れることを名残惜しく思いながら、上半身を起こす。ギンナンさんを起こさないように、ゆっくりと、静かに。

「ん……」

 喉の奥で低く唸った声が聞こえたと思ったら、わたしの腰にギンナンさんの腕が回された。驚いて見下ろすと、ギンナンさんはまたすぅ……と、寝息を立て始めた。
 ギンナンさんは年齢よりも童顔で、商人として侮られないようにと貫禄を出すために髭を蓄え始めたのだけど。でも、童顔であるということを差し引いても。

「……ふふ、かわいい」

 一回りも年上のギンナンさんのことを可愛いと思うなんて、変かしら? ツイリさんが聞いたら「かわいい? リーダーが?」と言って、とろんと垂れた目をこれでもかというくらい見開きそうだ。
 でも、どうしたって可愛いと思ってしまうのだから仕方がない。これはきっと、ギンナンさんの妻であるわたしだけの特権だ。

「……だいすきです。ギンナンさん」

 普段は帽子の下に隠れている銀灰色の髪を撫でる。ところどころ元気よく明後日の方向を向いている髪は、下に流れていくと毛量を増して、指の隙間を通る硬めの感触が心地良い。分けられた前髪は、ギンナンさんの端正な顔立ちを隠すことなく知らしめる。
 血管が薄っすらと透けた広い額に唇を落とす。すると、同時に背中をぎゅっと抑え込まれるように抱きかかえられた。わたしの体は、また布団の中に逆戻りしてしまった。

「きゃっ」
「朝から積極的だな?」
「ギンナンさん……! 起きていらっしゃったのですか……?」
「ああ」
「いつから……?」
「ルテアがおれの腕の中で身じろいだあたりから」

 つまり、わたしが意識を浮上させてからほぼ全部だ。そんなに早くから、一連の動作と独り言を聞かれていたなんて……。
 照れ隠しに視線を落としていると、切りそろえられているわたしの前髪をさらりと掻き上げられて、反射的に上を向く。触れるだけの柔らかなぬくもりが、額に降ってくる。
 きっと、今のわたしの頬は桃色に染まってしまっているに違いない。

「……!」
「おやおや? 自分が先にしたというのに、照れているのかな?」
「す、するのとされるのでは全然違い、ます」
「はは。本当に可愛いな……ルテアは」

 囁くように名前を呼ばれるだけで、有り余る幸福に溶けてしまいそうになる。
 わたしはこんなに幸せでもいいのかしら? 今までに何度も自問してきた。
 けれど――ギンナンさんの微笑みが、きっとその答えなのだとわたしをいつも安心させてくれる。

「どーする? そろそろ起きるか?」
「……もう少し、このままで」
「ああ。ルテアが望むとおりに」

 骨ばった手がわたしの頬を撫でる。うっとりとして瞼を落とすと、額ではなく唇に重ねられた柔らかなぬくもりを感じて、わたしはまた幸せに溺れてしまうのだ。




額への口づけは母性/無償の愛 
攻略本ネタ1 2022.04.15 

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