臨潼関に快男児現るあの瞬間、ふざけて敵に背中を向けても余裕の表情でかわした天化が…。もう振り返る力どころか、背後の気配を感じる力も残っていなかったのかと思うと…
『登場時や、一番活躍したシーンをなぞり出したら死が近い』とは媒体問わずどの時代の作品にも言えることですが、天化ほど美しいなぞり方した人もいるかね?
天化が太公望を"太公望師叔"と呼んだのは過去二回、「太公望師叔の言い付けでね 王サマを守るのは俺っちの役目さ!!」と「あとは太公望師叔の言う通りおとなしく余生を送るさ」だけである──との考察を伺って思い知る。奴の中では発の命の重さと自身の命の重さがイコールなのだと。
発は発で昌と伯邑孝の影に怯えながらも手を伸ばし続ける人生を送っていたから、はじめて対等に時を歩める存在に出逢ったことはあまりにも大きすぎると思うのです。しかしいつの間にか発が先を歩く形で破局に向かうしかない恋だったのですが…
飛虎とコーチに手を伸ばし続ける天化は、恋と同時に"時が流れること"を祈っている。時が流れて自分があの人に追い付いて、追い越して。そこにあるのは承認欲求と高い自尊心と劣等感がない交ぜになった憧憬だけど、発に逢ってはじめて"このまま時が止まること"を祈ったのなら、それは…──。
しかしどうしても自身で名付けてみたい衝動に駆られ、『バニラセックス』と『赤子の乳臭さ』を感じ合う悪友として『バニラフレンド』としてみました。今日から発と天化はバニラフレンドです。
そこで『性』を感じる必要はないし、勿論それに付随する行為も好意もないので、セックスフレンドでもキスフレンドでも疑似恋愛でもない形。
ただそこにある人肌を確かめあったり、足を絡めて眠ったり、汗ばんだ地肌を這う指先に感覚があることを確認したりして、ただただ『生』だけを感じる関係の発と天化であってもいいのでは?と思ってしまいます。
純粋に人間界の為にも仙人界の為にも闘えないと確信していた天化と違って、ゲーム版にて本当の意味で純粋に人間界と仙人界の為に生きた天祥は、『生きている』というその事実を抜きにしても、黄家の中で誰より一番武人であったね。
黄家は誰一人として"殷の為に"も"周の為に"も死んでいない、つまり殷を離れた時から個人として生き続け、個人として死に場所を選ぶ権利を勝ち得たのですが、同時にそれは武人として忠誠を誓って生ききれないことへの贖罪(かつて裏切った紂王、これから裏切る武王と軍師への)でもあったのかと。
こちらは"発の御前(おんまえ・みまえ)"でも、"発の御前(御前)"="最後の見せ場の御前試合"でも成り立つ言葉です。ダブルミーニングの解釈は、発天論者それぞれの心の中に…!
天化は"あっさり死んだ"でも"天寿を全うした"でもなく、"相応しい死に場所を得た"んだと思います。それをよしとするかどうかは別問題として。
それってつまり、"発の御前で"でもあったわけですし。
セピアの中に閉じ込められたエメラルドは、記憶の中で少しずつ研磨され、日々に揉まれて摩耗しながらも、ずっと輝き続けるんです。本物こそ思い出せなくなっても、"きっとこうだった"と好きな色に染められる。褪せていく必要なんてない。そんな永遠だってあるんです。だから発天は永遠なんだ。
"死が二人を別つまで"とはよく言ったもんだが、発天の場合における"死"は、二人が二人共、互いを一番美しく愛し敬える関係のままの瞬間を閉じ込めた"鮮やかなる別れ"であり"永遠"であると思う。決してヤンデレ心中の意味ではなく、叶わない初恋が蝉の鳴き声が聴こえるセピア色の写真の中で永遠に続くのと同じ。
おそらく天化自身発のこんな部分に惹かれているのだと思いますが、それと同時に『ああ、このヒトが作った平和な世界じゃ俺っちの居場所がねぇさ…退屈すぎて笑っちまう』と何処かで冷静に思っていると思うんだ。
「戦士ってのは戦場(ここ)で死ねるならそれが本望さ」「…何言ってんだよアホ!!俺はお前を失ってまで護られる荷物にゃなりたくねぇ!」「アホは王サマさ。それを万の兵士の前で言うんかい?みんなあーたの為ならって集まってきた猛者なのによ」「バカヤロウ!!俺は誰一人死なねぇ為に戦争してんだ!!みんなで笑ってたらふく食って年取る為に立ってんだ!!だから二度と…ッ」「──」「……二度と、お前が死ぬなんて言うな…っ…」
こういった甘えん坊と寂しがりで甘ちゃん思考なのに、誰よりも器のでっかい姫発さんが好きです。ぼろぼろ泣きながら言うと尚良し。
大きなつり目(人を殺しそうな凶悪・三白眼ではないが、黙っていると「機嫌悪いの?」と問われるむっすり無表情タイプ)と、童顔故の垢抜けなさが残る大きく澄んだたれ目(悪く言えば野暮ったく、綺麗に言えば汚れを知らない無垢)。このコントラストに弱いようです。
結論は、『愛されてんなあ発天め!好きだ!』
長子からしてみれば多少は手伝って貰いたいものの、親戚一同からすると次男ズには我儘言って欲しい…というような、あの不思議と愛される役得。
伯邑孝と天禄が御酌している姿は目に浮かぶ。なんと言いますか、やはり長子は三つ指ついたお迎え・お見送りとお酌要員で、次男ズは楽しく盛り上げてなんぼのポジションが生まれながらにしてある。
黄家の分家や遠縁が集まるお盆に、満足なお酌もせずに食っているだろう天化を夢想する。仏壇にお供えする日々のご飯や塩も食べそうな子発と子天化。
嗚呼、夏だなあ。それでも愛でてしまうのも長子の性ですよね…。
多くの長男・長女と同じく、親を継ぎ、親より長く生き、親より多く子をなし(勿論内孫)、三代先まで見届けることが親孝行として育った身としては、やはり伯邑孝と殷郊に募る想いは半端でない。むしろ発や天化の生き方を見ていると、尻ひっぱたきたくなってしまう。
伯邑孝と天化は根は全く違う二人で接点もないんだけど、ストイックさ、怒り方と思い詰め方に関してはあまりに似てると思うのです。そして人知れず腹に抱えて決断して忽然と姿を消して、後には弟が残されるデジャヴュ…なんともはや!発は似たタイプの人を本命に選んでいましたね!なんともはや!
"発は噛み付けない優しい狼"との見解を展開して足掛け四年。牙がないのか、牙を抜かれたのか、牙が折れたのか、牙の先を研磨したのか。同じ"噛み付けない"形にも様々あれど、"雄々しく立派な牙を持っているものの、骨を抜かれた為に必死に噛まずに我慢している狼"に一番ぐっと来ました。
人の体に付いた傷痕を詮索するようなことはしないのですが、彼の場合は"詮索したい"ではなくて、ただただ"愛でたい"ような気がします。知りたい。瞳の色が緑だというのと同じぐらい当たり前で簡単で、大切な彼の人生が詰まっている傷痕。
天化の鼻筋にある傷は、白く硬く盛り上がっているのかな。それとも乾燥して茶色く陥没しているのかな、体温が上がるとそこだけ桃色になるのかな。日に焼けるとひきつるように痛むのかな。
基本的に懐かしさと色っぽさと親しみやすい、愛らしい子供や女性のような甘ったるさを全部兼ね備えたのが若発の特性だと思っています。ただ、髭発からジンジャーとかのスパイシー系とイランイランのトップが香ったら…それはそれで切なくて色っぽくて倒れてしまいそうだ…!
発の香水は、安息香ベースにして、トップはベルガモットの芳醇な柑橘系フルーティ、ミドルはサンダルウッドでロマンティック、ラストノートは微かなネロリで思わず振り返ってしまう上品さを…なんて考えていますが、男性が付けるには甘くて難しいし、これは寧ろ楊ゼンかなーとも思います。
「礼はいらねぇぜ」と立ち去る発。「その代わり、可愛い子紹介してくれよな!」が二言目で、極めつけは「なーに言ってんだ!俺とお前の仲だろ!?」。大抵一人で空回りキューピッド失恋してるからあの人…。
封神においても別作品においても、『自己犠牲精神+家族+怒り』で覚醒するなにかを持ったキャラが好きなようです。一番の要素は『家族』なんですが、力を抑制しているリミッターでもあり力を増幅させる加速装置でもあり、足枷でもあるキャラクター。とても好きだ。