「ノイマン先輩!大丈夫ですか?!」


頭が痛い、気持ちが悪い。日佐人くんが駆け寄ってきてくれて、ウサギハラが私を見ていて。私は先輩だから二人に大丈夫だよって言ってあげなきゃいけないのに、とにかく目の奥がジリジリと焼けるように痛くて、吐くものなんてないのに吐いてしまわないようにと口元を抑えて その場に蹲ることしか出来なかった。

一体何が起きたんだろう。突然上と下から数字がぶわぁって迫って来たかと思ったら、目の前が一瞬真っ黒になって。意味がわからない数字、デタラメな数字、答えのない数字、あれは一体、


「無理…吐く…」
「えっちょ、待って!ここ海じゃないから!下に吐こうとしないで!!」
「下に魚野郎いるから実質ここは海…」
「そんなわけあるかぁ!!」


背中に日佐人くんを背負ったまま、ずるずると這いずるように庇へ向かう。ちょっと日佐人くん頼むから耳元で叫ばないでおくれよ、頭に響いて痛いんだ。二日酔いってこんな感じなのかな、今度から二日酔い中のお父さんには優しくしよう…


「人型近界民ならもういませんから!」
「…まじで?」
「戦争は終わったんです!」

だから下に吐かないで!吐瀉物を処理してくれる魚はいませんから!!そもそもあれ魚じゃないからぁぁ!!


わぁわぁと必死に叫ぶ日佐人くんの声に、ぴたりと足を止める。
戦争はもう終わった…魚野郎がいないってことは、私たちは勝ったのだろうか。いや、勝ち負けなんてどうでもいいか。みんなが生きてれば それで、


「……良かった、」


じわり、視界が歪む。体の力がすっと抜けて、それに気付いた日佐人くんの小さな笑い声がゆるりと鼓膜を揺らした。
さすさすと優しく背中を撫でられる。うわぁ日佐人くんのさすさすだ嬉しい。私 諏訪隊のリンチみたいな4方向撫で撫で大好きなんだよね。地獄が終わった、日常が戻ってきた、嬉しい、嬉しいなぁ


「まあ吐くけどな!」
「待って!!!!!」


嬉しいからってこの嘔吐感は消えやしないんだよ。とりあえず吐く真似でもいいからさせてくれ、おえってやったらちょっとはマシになる気がするから。
慌てる日佐人くんのディフェンスをぬるりと避けて庇へ走る。常に冷静であるべし、焦りは一瞬の隙を生む。そして その隙を見逃さないのが狙撃手だ。つまりこの勝負、私の勝ちだ。


「諏訪さぁあ!ノイマン先輩がああ!!」
「おい名字!!テメェ今度は何やらかすつもりだコラ!!」
「私が問題児みたいな言い方やめろよ!!」


私 顔の割に生活態度は真面目だって先生たちに褒められる良い子なんだぞ!ちょっとウサギハラと口喧嘩したくらいで問題児扱いしないでよ!大体アレはウサギハラが喧嘩売ってきたからで…え?言い訳すんな荒船に連絡する?なんでそんな怖い事言うの諏訪さんのボケカス三白眼!!もう怒った!吐くものなんて無いけど無理やり嘔吐き出してやるからな後悔しやがれ!!がばり、庇から身を乗り出して、


「 …ぇ、」


息が、止まった。


「ノイマン先ぱぁぁ?!!!」
「荒船の野郎余計なこと教えやがって!飛び降りなきゃ死ぬのかよあの師弟は!!」


なんで、どうして。未来は変わったんじゃないの。私たちは勝ったんじゃないの、なのになんで、なんで


「三雲くん!!!!」


なんで、三雲くんが倒れてるの


「三雲く、うそ、待って…」


どうしよう、凄い血が出てる、止まんない、体に穴がいっぱい空いてる、なにこれどうしよう、止血…そうだ止血しなきゃ、なにか縛るもの…


「…と、トリガー解除」


べったりと真っ赤に染った手でスカーフを外す。グイグイと制服を引っ張ったが 生身の私の力じゃあ硬い冬物のセーラー服は破れなかった。どうしよう、スカーフ一枚じゃ足りないよ、どうしよう


「ポカリ先輩たすけて」


ポカリ先輩なら私の制服引き裂けるでしょ、お願いたすけて、弁償しろとかセクハラ死ねとか絶対に言わないから、助けて


「大丈夫だから落ち着け」


ぽふり、頭の上に優しく手が乗せられて、そのままくしゃくしゃと髪を混ぜられた。


「よねや…」

「メガネ先輩!だいじょうぶっすか?!メガネ先輩!!」
「傷だけ縛って基地の医務室運んじまおう。病院よりそっちの方が早えーや」
「了解っす!」


名字それちょーだい、破いていい?と差し出された大きな手に、粉々に引き裂いていいよ、と血塗れの手でスカーフを乗せる。
ちょんまげ娘が抱えているキューブは千佳ちゃんらしい。隠していたのを見つけてきた、って、ちゃんと言われた通りって、どういうことだろう、いやそんなことよりも…


「どこが酷いか視れるよな?」
「うん、お腹…次に足で、腕」
「猫娘はメガネの腕持ち上げて傷口握れ。オレが足やるから名字は腹な」
「了解っす」
「大きい方ちょうだい、詰める」


スカーフ一枚じゃどう頑張っても縛れないから傷口に直接突っ込むしかない。三雲くんのブレザーを持ち上げてベルトを引き抜いたら、シャツをズボンから引っ張り出す。
止まらない血、穴の先に見えるのは見覚えのある断面じゃなくて、本物の、どす黒い、


「米屋シャツ破いて、足りない」
「ん」


傷口の上は一応ベルトでキツく縛った。詰め込んでもまだ隙間が空いている所とお腹側に、破いてもらった三雲くんのシャツを出来るだけ優しく詰め込む。
三雲くんの意識がなくてよかった。泣かないでちょんまげ娘、三雲くんまだ生きてるから、大丈夫だから、


「運ぶぞ、猫娘はソレ開発室に持ってけ。名字はメガネの腕掴め」
「分かった」
「…でも、」
「大丈夫だよ。大丈夫。だから早くチビ子元に治してやれよ。な?」
「…了解っす、」


ちょんまげ娘の涙を拭いてあげたい。大丈夫だよと頭を撫でてあげたいのに、その手が血塗れだから、馬鹿みたいに震えてるから出来なくて。千佳ちゃんを頼むよ。なんて、そんなことしか言えなくて。


「行くぞ」
「うん」


私が換装体になったのを確認した米屋が 三雲くんを背負って走り出す。本部の廊下に垂れる赤、隊服に染み込む赤、怖い、どうしよう米屋怖いよ、視界が歪んで転けちゃいそう、どうしよう米屋、


「よね、」


固く結ばれた唇。三雲くんの足を傷付けないようにと添えられただけの指先が、酷く震えていた。

…私今、米屋になんてことを言おうとしてたんだろう。怖いよ助けてって縋ろうとした?米屋だって怖いのに?私本当、どんだけ馬鹿なの、


「米屋、三雲くんの出血治まってるよ」
「ん」
「三雲くん生きてるよ」
「ん。おいメガネ 頑張れよ」


無理やり引き上げられた口角を見て、今度は私が強く唇を噛んだ。大丈夫、出血が治まってるのも三雲くんが生きてるのも本当だから大丈夫。大丈夫だよ、米屋


ーー


三雲くんを医務室へ運んだ後、換装体を解除して米屋と二人で手洗い場に駆け込んだ。
血って中々落ちないんだね。そう言うと米屋はなんとも言えない顔をしながら 私の手をガシガシと乱暴に洗ってくれた。結構痛い。染み付いた血の匂いが全然取れない。設置してある安いハンドソープが赤く染まって、洗い流して、もういいやと諦めた時には皮膚が真っ赤に爛れていた。


「千佳ちゃん、元に戻ったかな」
「まだじゃね。かなりの人数キューブにされてたし」
「そっか。そうだよね」
「メガネな。チビ子が狙われてるって気付いて、チビ子隠してただのトリオンキューブ持ってたんだよ」
「うん」
「すげー怖くね?」
「…うん?」


怖くね?って何が?普通に賢くね?千佳ちゃんが狙われてるから千佳ちゃんを隠して、代わりにトリオンキューブ持って敵を騙して、そんで、


「…待って」


敵を騙すためだけにただのトリオンキューブを持って、敵を騙すためだけに生身になって、敵を騙すためだけに、わざと、殺されかけて…

まるで身体中を針か何かで刺されたような。痛いくらい鳥肌が立った。


「……それは、怖すぎるだろ…」


体を張るなんてもんじゃない。
ヒーローなんて言ってられない。

これは明らかに、常軌を逸してる。


本当にあった怖い話


マエ モドル ツギ

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