真っ黒の空を見て、指先が凍った気がした。


「おれらもう行くけど名字は?」
「半崎くんと合流して荒船隊入る!」
「了解りょーかい。健闘を祈るわ〜」
「そっちこそ!」


やけに楽しそうに窓から飛び降りていった出水と米屋の背中を見送って、深く息を吐く。

…気持ち悪い。

門が開く度に空気が揺れて、数字が揺れて、目の奥がジクジク痛む。胃のすぐ下ら辺がチクチクして、足なんか地面に着いてないみたいで。そもそも私の手足ってどこにあったっけ?なんて、


「いかんいかん、しっかりしろ」


この日の為に、今日の為に。基地から家への帰路は毎回全力で走り込んだ。暇があればポカリ先輩と本部内をランニングして、水上先輩にやかましいと怒られたりもした。水上先輩はうどんと将棋が好きらしい。ちょっと仲良くなれた。
今、財布と間違えて手に持っているポーチの中には、三雲くんを手当てする為の鎮痛剤(月経痛用)が2錠と、絆創膏が5枚も入っている。

そう、準備は万端に整えたのだ。だからビビってる暇なんてどこにもねぇんだよこの野郎。やるしかねぇんだよこの野郎。


「トリガー起動だこのヤロー!!」


震える手を握ってくれた人は、ここに居ないのだから。


ーーー


「半崎くんも居ないのだけど?」


後輩たちの視線で居心地が悪すぎる教室をぬるり、と抜け出して、扉の上に掛けられた札を見る。所々インクが剥がれて読みにくくはなっているものの、そこには確かに1-Cと書かれていた。
うん、半崎くんのクラスで間違いない。それなのに半崎くんがいない。なんで?


「日佐人くん、は、防衛任務」


日佐人くんの他に、半崎くんの居場所を知っていそうな奴は誰だ。
佐鳥だ。居ない。アイツは広告の仕事が忙しくて普段からあんまり学校に来てない。
太一。居ない。コイツは特に理由は無いけど絶対に居ないって事は知ってた。太一はそういう奴だ。
他、居ない。半崎くんの居場所を知ってそうな奴が他に居ない。まじで?


「おいおい大ピンチじゃねぇか」


半崎くんは諦めてポカリ先輩のとこに行くか?あの人はああ見えてとても冷静な筋肉だ。単独行動は絶対にしないだろう。

…いやダメだ。三年生は今、緊急脱出機能の無いオペレーターを学校から一番近い本部出入口に放り込むのに大忙しだ。
ここに来る途中 影浦先輩がヒカリを、ゾエが国近先輩を担いで全力疾走しているところを見た。あまりの絵面にちょっと引いた。今頃ポカリ先輩も加賀美先輩を担いで全力疾走しているはず。


「ど、どうしよう…」


ごちん、壁に頭を押し付けて、そのままズルズルと床に蹲る。
なんで半崎くん私の事置いてくの。この前半崎くんのスマホゲームで勝手に10連ガチャ引いた事怒ってんの?新春限定のスーパーレア3個も引いたんだから怒んなくてもいいじゃん、置いていかなくてもいいじゃん。


「酷いよ半崎くん…」

「何してんすかあんたは」


べそべそ。鼻を鳴らしながら壁に向かって文句を垂れていると、聞き覚えのある声が降ってきた。
くるりと首を回して声の主を見る。下から見てもいけめんで、もさもさで、


「きょうすけぇ…」
「…なんで泣きそうなんですか」


とりあえず立ってください、避難の邪魔です。
脇に京介の手が差し込まれて、そのままぐわりと立たされる。顔が近くなった。理由はわからんが京介の傍にいると安心する。涙腺が、壊れる、


「うべぇぇぇ、」
「それ泣き声なんですか?」
「ぎょ、ずけ、えぇえ」
「はいはい。なんですか」


頬をぐにぐにと捏ねるように涙を拭われて、その雑さに妙に安心して、私は遂にしゃくりをあげて泣いてしまった。
京介が優しい、いや京介はいつも優しいけど、今は特に優しい。お兄ちゃんみたいだ。あぁ、お兄ちゃん大丈夫かな、怪我してないかな、お父さんもお母さんも、


「半崎くんに、ぎらわれだっ」
「は?」
「半崎くんだけには嫌われたくながっ、だ!」
「待て。意味がわからないです」
「あぁぁ…」
「落ち着け」


半崎くん。世界で一番大好きな私の後輩。爆発した寝癖も、お昼寝の時のアホ面も、ゲームに負けてブチギレてる時も、どんな時だって世界で一番可愛い私達の半崎くん。
そんな半崎くんに、嫌われた。


「私が10連回したからっ」
「10連?」
「レアキャラ、3個もだしたのに」
「レアキャラ…あぁ、ゲームですか」
「置いていがれだ!」
「置いて?」
「師匠が、なんかあったら半崎を頼れって」
「うん」
「穂刈は加賀美の安全を第一に動かすから、お前は半崎と動けって」
「うん」
「半崎くんも、任せてくださいって、頼られてちょっと嬉しそうだったのにっ」
「うん」
「私が勝手に10連回したから、置いていがれた!!!」


京介の制服の裾を握りしめて、びゃあびゃあと泣き喚く。
先輩なのに泣き喚いてかっこわるい。情けないから今すぐ泣き止まないとなのに、どうしてか涙が止まらない。半崎くん、お兄ちゃん、お母さんお父さん、


「なまえ先輩。落ち着いて下さい」
「びゃあああ」
「半崎、今日任務です」
「びゃ…あ?」
「諏訪隊、東隊、嵐山隊、鈴鳴第一、荒船隊、茶野隊は今日、防衛任務で学校に来てません」
「ぼーえい」
「任務」


防衛任務。日佐人くんも佐鳥も太一も、ポカリ先輩も、防衛任務。半崎くんも、


「置いていかれてないです」
「…良かっ、」
「嫌われてないです。多分」
「多分」
「多分。」


嫌われてない、多分。いや、多分でも嫌われていないなら良い。
涙のせいでグラグラと揺れていた視界が、数字が、ピタリと止まった。目の前の京介が少し困った顔をしている。やばい、


「ごめん、京介」
「平気です。癇癪には慣れてるんで」
「癇癪…」
「下に弟妹が4人居るんで」
「大家族…」


お兄ちゃんみたいじゃなくて、本当にお兄ちゃんだったのか。
先輩の醜態を癇癪で済ませられるなんて京介は凄い男だね。そう言うと、部隊の先輩2人が俺のせいでよく泣き喚いているので。と返された。お前のせいなんかい。お前の部隊の先輩2人どうなってんだ。


「17歳と5歳です」
「今5歳と言ったかい?」
「はい、5歳です。でも先輩です」
「へー凄い」


5歳でもう先輩やってんだ、凄いな、強いんだろうな。もわもわと頭の中で筋肉モリモリの5歳児先輩を想像していたら、京介の制服を握りしめたままだった手がぎゅ、と握られた。


「なまえ先輩、深呼吸しましょう」
「分かった」


鼻から吸って口から吐く。ポカリ先輩に教えてもらった正しい呼吸の仕方。
ふぅ、と肺の空気を全部出して、京介を見る。優しい目だけど、凛としていて、強い人の顔


「あんた今パニックになってましたよ」
「あ…そうかも…」
「怖いですか?」
「え?」
「手が震えてます」


ぎゅ、と強く握られた手を見ると、私の手は確かに小さく、それでもカタカタと音がなりそうなくらいにはしっかりと震えていた。

怖いですか?と、聞かれた。
うん、そりゃ怖いよ。だって私は、4年前にもこの真っ黒の空を見ていて、家族が死ぬかもしれなくて、何度も襲われて、殺されそうになって、震える手を握ってくれた人が、新ちゃんが


「新ちゃんがいないから、怖い」


大丈夫だから。と、私の手を握って離さないでいてくれた新ちゃんがいないから、怖い。


「なまえ先輩」


慰めるような優しい声に呼ばれて、顔を上げる。
安心する、なんで安心するのか知っている気がする。京介と居て安心するのはいつだってこの距離だった。
いつもこの距離にいてくれた人。私を見下ろして、喧嘩を売ってきて、私を大切にしてくれていた、


「新ちゃんとおなじ」


京介の身長が、この距離が、新ちゃんと同じだ。


「レイジさんが迎えに来てくれたんで、俺は行きます」
「うん」
「あんたは荒船隊との合流を第一に。B級隊員は一人で戦うのを禁止されてます」
「うん」
「でも、もしもの時は、戦えますね」
「うん。戦える」


ちゃんとトリガーにイーグレットセットしてるから、応援が来てくれるまでは持ち堪えられるよ。
京介の手をぎゅ、と握り返して、もう大丈夫だと強く頷く。


「それに、私は死んでも大丈夫だし」

「あ?」
「え?」


待って。今の怖い声、誰の声?
まさかとは思うけど、京介の声じゃないよね?だって京介優しいし、こんな怖い声出さな、


「今なんて言いました?」
「ひぃっ」


どうしよう京介の声だった!!!怖い!声が怖い!目も怖いし顔も怖い!え待って、めっちゃ怒ってる怖い!


「え、と、迅悠一が」
「迅さんが?」
「私は死ぬって、」
「は?」


……どうしよう。地雷、踏んだかも…。
京介の顔がもっと怖くなっている。師匠の般若モードより怖い。これもう土下座じゃ許して貰えないかも。


「迅さんに言われたから死ぬんですか」
「え、まあ、よろしくって、頼まれたし…」

「…あんたは」


それに私もよろしくって言っちゃったし、握手だってしちゃったし、ぼんち揚も1枚貰ったし…
ど、どうしよう、どうしたら京介の怒りを鎮められるの


「あんたは、自分が死ぬのを迅さんのせいにするんですか」


履き違えた未来


マエ モドル ツギ

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -