「頭沸いてんのかテメェ」


ポケットの中でスマホが震えた。
19時になると、1日1話無料で読める漫画アプリから通知が届く。恐らくさっきの振動はそれだろう。

握りしめられた肩が痛い。今すぐ殴り倒してやりたいのに背中が床に張り付いているせいで動けない。開けっ放しの窓から遠慮なく冷たい風が入り込んできて、それが妙に熱い目尻に染みた。


「退け」


何故こんなことになったのだろう。考えてみたところで何も分からないし、どうにもならないか。
切れた唇がヒリヒリ痛くて、喉の奥がじくじく痛くて、耐えるように目を閉じた。


ーーー


「で、影浦先輩が野良猫にガン飛ばしてて」
「うん」
「すげぇ面白そうって覗き見してたら、どうやら野良猫が人ん家の鉢植えを倒したらしく」
「へえ」
「影浦先輩、野良猫にお説教してた」
「なんすかそのほっこりエピソード」
「猫も心做しかしょんぼりしてたぜ」


17時半、A級フロアの自販機を案内し終えた私は、特にする事が無かったので家に帰る事にした。

遊真は千佳ちゃんと三雲くんを迎えに狙撃訓練場へ戻るそうだ。どうやら『オサムとチカとコンビニに寄り道する約束をしているんだ』らしい。かわいっ!
京介はどうすんの?と聞くと、京介はチビ達を置いて先に玉狛支部へ戻るとのこと。

玉狛支部つったらあれだ。この前遊真に色々教えてやった青空教室(駄菓子屋さん)の近くだ。
私ん家と方角一緒だし途中まで一緒に帰ろーぜー。とナンパをすると、京介は無表情で『わーい。』と着いてきた。シンプルに怖かった。


「あ、私ここ曲がる」
「どうせなら家まで送ります」
「わーい。」


真冬の18時は暗い。私は幽霊より師匠のブチ切れた笑顔の方が怖いと思っているので そこら辺は平気なのだが、送ってくれると言うならお言葉に甘えよう。
こっちこっち、と京介の手を引いて住宅地へ入る。
寒くてスンッと鼻を啜ると、マフラーから微かに辻の匂いがした。このマフラーは辻のだ。借りたまま返してない。


「京介ん家どっち?」
「玉狛に近いっすね」
「南側?西側?」
「西側っす」


じゃあ私ん家からも近いじゃん。そっすね、また遊びに行きます。いーよ、コタツあるし。そんな理由で許可する人初めて見ました。3つあるよ。凄いっすね。
ぽつぽつと言葉を投げ合いながら家へと向かう。本当に遊びに来たらどうしよう。我が家はシュークリームくらいしかお茶受けがないのだが、京介はシュークリームが好きだろうか。


「あ、私ん家ここ」
「デカいっすね」
「辻ん家のがでかくない?」
「辻?」


京介が物凄く驚いた顔をしている。京介お前、表情筋生きてたんだな…!もう手遅れだと思ってたよ。
それにしても何故そんなに驚くのか。私なんか変な事言った?


「辻って、二宮隊の辻先輩ですか?」
「そーだけど?」
「家、隣なんすね」
「うん、幼なじみ」
「仲良いんすか?」


その問いには、答えられなかった。
仲良しだったけど私が公開プロポーズした挙句フらせて傷付けたので避けられてまーす!なんて言える程、私はメンタルゴリラじゃない。笑い話にするにはまだ、傷がパックリ開きすぎている。


「…これ、辻のマフラー」
「…そっすか」


だから答えは濁して、辻のマフラーの端を摘んで京介に見せた。
黒色をベースに緑のラインが二本入った近未来的なマフラーは、辻には良く似合ってて、私にはあんまり似合ってない。


「なまえ先輩」
「ん?」
「そのマフラー、似合ってます」
「私顔面派手だし、こういうクールでございます。みたいなマフラー似合わないでしょ」
「いえ、よく似合ってます」


マフラーを摘んだままの手に京介の指先が触れる。
さすさす、私の親指とマフラーを指先で何度か摩って、京介はゆっくりと手を離した。


「寒いんで風邪ひかないように。」
「あ、うん?京介もね」
「じゃあ、また明日、学校で」
「うん、気を付けて帰ってね」
「はい」


ふっ、と綺麗に笑った京介の顔は、私が階段から飛び降りたあの日の笑顔と同じようで、でも少しだけ引き攣っていて。なんともいえないモヤモヤが胸に残った。


「おかーさんただいまー、ご飯ある?」
「おかえりー。あるよ。お母さんお父さんと一緒に食べるから、先に食べていいよ」
「うん分かった、ありがとー」


すんすん。キッチンから漂う優しいお出汁の香り。今日は和食だな。煮物かな。煮付けでも嬉しい、多分お正月に余ったお餅を使った一品もあるだろう。
今日の晩御飯を予想するのは一日の中で最も楽しい時間だ。くぅ、とお腹が鳴ったので、一人で笑いながら 部屋着に着替える為に階段を駆け上がった。


「さむっ」


さっきまで外にいたから寒さには慣れているはずなのに。リビングに入ったせいだ。人間ってのは一瞬でも温もりを知ってしまったら最後。もう温もり無しでは生きていけなくなる弱い生き物なのだ。例に漏れず私もそう。
換気のために開けっ放しにしていた窓に手をかけたーーその瞬間だった。


「ひぃ!」


ズダン!と大きな音がして、窓が開いた。
私の部屋の窓ではない。私の部屋の窓から正面に見える部屋の窓、辻の部屋の窓。
え、ちょ、何事?凄い勢いでしたけど、窓割れてない?大丈夫?


「つ、辻…?」


私の部屋はまだ電気をつけてないから、辻の部屋の明かりが逆光になっていて。辻の顔がよく見えない。
駄目だ。顔が視えてないと私のサイドエフェクトは仕事しないから。俯いている辻が一体何を考えてんのかさっぱり分からん。
とりあえず電気をつけよう。まずは電気だ。


「待って、電気つけてくるか…え?」


電気をつけようと、くるりと体の向きを変えた瞬間だった。
空気が、数字が、揺れた。ちょ、ちょっと待て、まさかお前、飛んでーー


「る!やっぱり飛んでる!」


電気とか言ってる場合じゃなかった!!待ってアイツなんの服着てる?!スーツじゃない!もこもこのスエット着てる!頭にタケノコついてる!!つまりイコール即ち新ちゃん今生身!!待って!!


「新ちゃ、」


ベットに駆け上がって、窓の外へ手を伸ばす。
私の力じゃ新ちゃんを引き上げるのは無理だ。新ちゃんが壁をよじ登る姿はさぞかし面白いだろうから見たいけど、そうなったら絶対私も一緒に落ちる。
新ちゃんが宙に浮いてる間に、この部屋に思いっきり引っ張り込むしかない。

新ちゃんの指先が、手首に触れた。
頑張れ私のサイドエフェクト!頑張れ私の予測演算!頑張れ私の内に眠る火事場の馬鹿力!お前まじで、何があっても手ぇ離すなよ!!


「新ちゃん!!」
「…ッ」


新ちゃんの手が私の手首を掴んだその瞬間に、思いっきりベットを蹴って後ろに飛んだ。
やばい、背後に倒れるのすっごい怖い。私、絶対こたつの角に頭強打する。新ちゃんの足の骨と私の頭 どっちが大事だろう。どう考えたって、そんなの


「っだぁ!!!!」


私の頭に決まってんだろ。


「おま、お前、ほんと、ふざけんなぁ…」


大事な大事な私の頭は、こたつの角にしっかりとぶち当たった。
頭熱い。視界が歪む。なんでか知らんが顎も痛い。多分突っ込んできた辻の肩とかが顎に当たったんだろう。顎割れたかも。めっちゃ痛い。


「お前本当何考えーーっだぁ!!」


こたつの角で強打した頭。今度は床に強打した。
待って、ほんとに待って、頭グラグラしてる、状況整理が全然出来ない。
今 痛いのは、頭と顎と、そんで肩。辻が私の肩を思いっきり握りしめてるから。背中も痛い。辻が私の事思いっきり押し倒したから。
いやなんで、本当に意味がわからん。


「辻、痛いからやめ、」


ガチリと、耳を塞ぎたくなるような酷い音が 部屋に響いた。
口の中にじんわりと鉄の味が広がっていく。


……いやいや、お前さ。私は今完璧に煮物の口だったんだぞ。自分の血なんか飲みたくなかったよ。
しかも突然空飛びやがって。私の体を至る所に強打させやがって。それに私、先日お前に告白してフラれてるんですけど。

お前、一体何のつもりでこんな事してんだよ。


「頭沸いてんのかテメェ」


唇が一番痛い


マエ モドル ツギ

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