答えはニャーしか出てこない | ナノ

  03:自分というもの


 俺は他人にも自分にも優しくない。
 ひどく小さなことが許せなくて人と衝突してしまう。
 先程の親衛隊とのやりとりなんて毎日のことだ。
 いつも何かが食い違ったような違和感と不快感が自分と他人の間にある。
 
 間違っていると分かっていても自分を止めることができない。
 
 父と母はそれぞれ優秀だと思うし、他人からの評価もたぶん高い。
 何かの拍子に両親どちらかの友人の輪の中に入ればお世辞ではなく褒め称える言葉が聞こえてくる。
 母は誰かのために何かをやることを苦にしないタイプで自分が出来ることは率先して請け負う人だ。
 そんな母の背中を見ていたので俺も人のために何かをするのは当たり前だという感覚がある。生徒会長になったのはそんな母の影響があるからだと思う。感謝されたいわけじゃないが人の役に立つことをしたい。
 
 ちゃんとした友人たちがいるせいか母は周囲に利用されたり貧乏くじを引いたり使われるだけになったりしていない。
 誰かのために母が何かをした分だけ誰かは母に何かを返している。優しさに満ちた世界だと思う。俺はそれが優しさではなく当たり前だと思っていた。生徒会長になって思うのは母の友人はとても母を愛して大切にしていたということだ。優しい世界はきっと愛がないと成立しない。
 
 俺が周囲を愛していないからか、周囲が俺を愛していないからか、会長として俺は空回っている気がする。
 孤独感を覚えるのは母の環境と自分の状況を比較するからじゃない。人好きな母と違い自分が他人を煩わしく思う傾向にあるせいだ。自分からひとりを選んでおいて寂しいだなんて勝手な話だ。笑い話にもならない自己中心的な考えに自己嫌悪は増すばかり。
 
 父の交友関係はそこまで見えてこないが、母と共通の友人が数人いるらしい。ときどき仲良さそうに電話で話したり二人でホームパーティーに出ていた。何かの荷物を送り合っていたりもするので父は友人がいない面白味がない人というわけでもない。
 
 
 両親の性格は子供に受け継がれるものだ。
 それがよくよく分かったある日、俺は自分のことがとても嫌いになった。
 
 父と母は一人一人で見れば良いところもあれば悪いところもある普通の人だ。
 だが、その息子の俺は二人の悪いところだけが詰まっていた。二人を見ていて悪い部分だと思うところこそ俺の中にあったのだ。二人の良い部分はどこにもない。俺は二人の不要な部分を集めて作られた失敗作だ。
 
 母は典型的な片付けない出しっぱなしの女だった。
 
 他人に対して気配りを見せる母だが常に誰かのための何かをしているせいで自分自身がおろそかになっている。
 スマホや財布が見当たらないなんていう会話は一日に一回は必ずある。
 父は物の置き場をきっちり決める人なので母のだらしなさに呆れ果てていた。いつもどうしてそうなるのかとチクチクと嫌味を口にする。これは父の悪いところでもある。
 
 俺は父の母へ向けた小言を聞いて育ったので物を失くさないようにしようと精神を尖らせて生きることにした。
 これが他人と揉める最大の原因を作り出した気がする。父や母のせいにしたいわけではないが、俺はあまりにも融通が利かない人間になりすぎた。
 
 父は言葉の「てにをは」や固有名詞を間違うことがある。
 覚え間違っているのか訂正されても数カ月後に再び間違いを口にしたりする。
 
 母はそれを決して見逃さない。
 まるでどこかの刑事か少年探偵のように父の間違った言葉を復唱しておかしいと主張する。何度目の間違いなのかも合わせての指摘は正しいことを言っているのだとしても気分のいいものじゃない。その気がなくても父を追いつめているようだ。物が見つからないと騒ぐ自分を父に指摘され続けた母からするとここぞとばかりの復讐のチャンスなのかもしれない。
 
 重箱の隅をつつくような母の指摘に話の流れで理解できるだろうと父は苛立ち最終的にどうでもいいことを言うなと怒鳴りつける。ヒステリックな男の声は聞いてて気持ちのいいものじゃない。母が父を自覚なく追いつめたせいで出た怒声だと分かっているからこそ俺は気分が悪くなる。
 
 つい怒鳴りつけてしまう父の気持ちは分かる。ちょっとした言い間違いを訂正というよりもからかうように取り上げるから腹が立つのだろう。父が言うように「どうでもいいこと」なのだ。大局に影響する間違いじゃない。
 
 だが、俺も母と同じことをしてしまう。母の悪い面として分かっている行為を人にしてしまう。
 人の言葉の不正確さをついつい指摘して相手を不快な気持ちにさせる。相手が何も言わなくても俺は父を思い出して相手を嫌な気持ちにさせたと察して後悔する。誰にだって言われたくないこと、放っておいて欲しいことはある。俺自身もあるのでよくわかる。
 
 口から出る言葉は相手を言い負かしたいとか追い詰めたいという気持ちからじゃない。
 
 反射的につい気になって、それは違うんじゃないのかと口に出してしまう。自分のその状態を自動的にやってしまうから許してくれと言い訳をしているようで見苦しいと感じるし、反省がないと罵りたくなる。
 
 父が何度となく母に向かって「どっちだっていい、そんな話はしていない」と怒鳴りつけていたのを見ていて、触れずにいるべきこともあるのだと分かっていても上手くできない。気になる言葉を拾っては反応してしまう。
 
 言葉の正確性、行動の合理性、そういうものを求めずにはいられないのに俺の実際は理想から離れすぎていた。
 
 言葉を飲み込んで平然と受け流すことができない自分の姿に両親の嫌な部分を吸収しているのを感じてしまう。
 弟二人はとても穏やかだ。
 母がさほどおいしくない夕食を作っても文句は言わない。
 ただし、おかわりはしないで食事を早く切り上げて去っていく。
 味について触れることもない。
 
 俺はつい変な味だと感じたら母に何か言ってしまう。味が濃いとか薄いとか調味料を変更すればいいなんていう発言をして母を怒らせたり疲れさせる。自分で作れと言われたら自分で作ってみせる。振り返ってみると嫌味な行動だ。
 
 誰にもそのつもりがなくても家の中で居場所がなくなっていくのを感じて俺は逃げるように中学受験をして、全寮制の男子校の生徒になった。
 
 現在、風紀委員長の雉間(きじま)は中学で四人部屋になった時の同室者のひとりだ。
 
 他よりも親しい友人だからか俺はつい悪癖を雉間の前でも見せてしまう。
 中高ではなるべく人との接触を断っているせいで自分でも付き合いにくい雰囲気を出しているが、雉間は気にしない。
 
 俺の言動についても面倒な奴だと離れていくことなく「真面目な完璧主義者なのにドジ」と笑ってくれる。
 
 学園の生徒は多かれ少なかれ俺の一挙一動に注視して点数をつけている気がするので雉間の気にしなさ加減には救われていた。
 俺は普通の人として上手く生きていけない。どうしようもなく自分がダメな人間である気がしてならない。
 大雑把な部分があるので俺の指摘は助かると雉間は口にしてくれる。調子に乗っていたのかもしれない。表面上の言葉を真に受けて努力を怠ったのだ。
 自分を反省して変えようとしない人間が周囲から弾かれるのは当たり前だ。
 
 俺が誰かに対して嫌悪感を覚えるように誰かもまた俺に対して嫌悪感を覚える。
 生徒会長は態度が悪くて嫌いだなんて耳を澄ませばいくらでも聞こえてくる。
 前会長からもそれは覚悟するように言われていた。憎まれ頼られる雑用係として使い潰されないように気をつけろと笑っていた。どこか雉間と似た笑い方だと前会長のことを思い出すときに不思議になる。
 
 俺の馬鹿さ加減を分かっている人間の表情なんだろうか。
 
 
2018/01/16

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