主役が仕切れない誕生会―part1side―
これは、とある青年と少女の物語が始まる数ヵ月前の出来事。
言うなれば序章、プロローグの一つである。
「そうか、あいつ、生きてたんだな」
「‥‥はい」
「で、なんだってせっかく生きて帰って来たってのに、あいつは出てったんだ?ヴァニシュちゃん」
そう問われ、ヴァニシュは視線を落とした。
「いや、まあ言いたくないなら詮索はしねーよ。今だって俺は、あいつのこと何一つ理解しちゃいねーし‥‥」
「ロスさん、あの‥‥あの人、たぶん私の所に来る前に、ロスさんとシステルさんに会ったようなことを言ってたんです。ただ、聞いても誤魔化されましたが‥‥」
「マジ、か。いや、そんな気はしてたんだよな。でも、いつだ?」
ロスは記憶を探る。
「紙袋いっぱいのリンゴを一袋持ってました。女の子が食べきれないからくれたって‥‥」
「ん‥‥ああ、もしかして、
あの時、か」
システルが腕に抱えていたはずの紙袋を持っていなくて、なぜか涙を流していたあの日。
「システルはあいつのことを忘れてた。でも、確かにあの日から変だったんだよな‥‥誰かを捜してるっつーか‥‥そんな感じが、あった」
ロスは苦笑し、
「記憶がなくても、システルさんはあの人を愛してるんでしょうね‥‥って、ご、ごめんなさい…」
ロスの想いを知りながらつい口走ってしまい、ヴァニシュは慌てて謝った。
しかし、ロスはおかしそうに笑って、
「なんで君が謝るんだよ。確かになんであいつなんだよってムカつくけど、でも、嬉しいってのも…あるかな」
「嬉しい、ですか?」
「ああ。システルは本当にあいつが好きだった。それを、ようやく確かに理解できて、俺はやっと、システルの父親役から本当の父親になれそうだ」
「‥‥ロスさん」
「でも、ヴァニシュちゃん、君は」
「パパー!ママー!」
ロスが何か言おうとした所でシステルが部屋に駆け込んで来て、
「まだ二人で話してるの?!ママに会うの、私だって二年振りなのに!せっかくママが来てくれたのに!つまんない!」
駄々をこねるようにシステルは頬を膨らませて二人に怒鳴りかかる。
肩まで伸びていた髪をバッサリ切り、二年経った彼女は十八歳。ますます綺麗に成長したが、中身は記憶障害のせいで子供のままだった。
「ごめんね、システルさん。後でクッキー焼いてあげるから、もう少し待ってて?」
「ほら、ママの言うことちゃんと聞かねーとママ帰っちゃうぞ」
二人にそう言われ、システルは「はーい」と渋々言い、部屋から出ていく。
「‥‥システルさん、もう、記憶は戻らないんでしょうか」
ぽつりとヴァニシュが言えば、
「戻らない方が、いいさ。異常を忘れた今のままが‥‥きっと、幸せだと思う」
そう、ロスは少しだけ寂しそうに笑った。
「で。一年前にあいつが生きて帰って来た、でも先日出て行ったーーその報告の為に、二年振りに君はここに来たのかい?」
「‥‥」
ロスの問い掛けにヴァニシュは俯く。
「何があったかは知らない。でも、迷ってるんだよな、追うべきか、追わないべきか」
「‥‥多分、あの人はもう帰って来ないと思うんです。私、いろいろ言ってしまって‥‥」
「うーん」
いまいち状況がわからないが、ロスは考える。
「俺はシステルから離れらんねーし、システルを外の世界に出してまた異常に染まったら‥‥手に負えないからなぁ。でも、会わしてやりたい、とは思う‥‥システルを、あいつに」
それを聞いたヴァニシュは頷き、
「少し、捜してみようと思います。それにあの人、異常者だけとはいえ、まだ殺人とか続けてますし‥‥それも、もう止めたい。何度か止めたけど、あの人の異常を止めることが出来なかった‥‥」
「なあ、ヴァニシュちゃん」
「はい」
「君にとってあいつはなんだ?」
「‥‥」
ヴァニシュはロスを見つめ、
「義兄、です」
「うん。じゃあ、あいつにとって君は?」
「義妹じゃないでしょうか?」
「うん、本当に?」
「?」
ヴァニシュは首を傾げた。
まだ、二人の関係を知らなかったあの終わりの刻、
『‥‥なあ、ヴァニシュ。名前で、呼んでくれないか。義兄さんじゃなく‥‥笑って、呼んでくれ。そしたら‥‥大丈夫そうだ』
なんて、彼が言っていたことをロスは鮮明に覚えている。
それは、義妹に向けたものじゃない、明らかに‥‥
「俺が言えたことじゃないけど、君はもう少しあいつの気持ちを考えてあげたらいいんじゃないかな?いや、何があったかは知らないけどさ」
「‥‥うーん、あの人の気持ち、ですか」
ヴァニシュは苦い顔をした。
「はは。まあ、あいつの日頃の行いのせいだな、たぶん。さあ、システルが待ってる、行こうか」
ロスが手を伸ばして来て、ヴァニシュは頬を赤らめながらその手を取る。
叶わぬ恋であれ、ロスの優しさ一つ一つは、いつだってヴァニシュを救ってくれた。
でも、ちゃんと心の中で区切りはつけた。
だから、今も、これからも、良き友人としてーー。
しかし、本当のことは、話せなかった。
彼が生きて帰って来て一年。
義兄妹としての時間を取り戻し、子供達に囲まれて、あの小屋で暮らしていた。
確かに、家族として、幸せな時間を過ごせていた。
けれど、
『絶対に、殺してやる‥‥!!!』
やっぱり、ああなってしまった。
いつだってそうだ。
今、差し出されたロスの右手。
あの日、ロスの右腕はあの人によって使い物にならなくされた。
これからシステルと暮らしていく為に右腕が動かないのは不便だと思い、ロスはあの時に治療してくれた病院で、数ヵ月前に右肩から下を切り離し、普通の腕、手となんら変わらない義手となった。
その右手はもはや、温もりを感じられない。
(私はあの人を本心では赦し切れていなかったことを酷く痛感した。あの人のしたことは正しいのだろう。でも、それでも私にとって彼に殺されたあの人達は父と母だった。でも、あの人だって、私の義兄さん、家族なんだ。だから‥‥私はあの人が私のせいで異常に堕ち、今もそれに囚われているのが‥‥)
ピトッーー。
ヴァニシュの手を、あたたかい何かが包み込む。
それは、システルの手だった。
「ママ、おそーい!やっと会えて嬉しいのに!」
なんて言って、彼女はヴァニシュに抱き付いてきて‥‥
もし、システルにとっての幸せがあの人――ディエであるのならば、ロスもそれを望むのならば‥‥
(私があの人を否定したからあの人は去ったんだ。だから、私が連れ戻さないと‥‥)
ヴァニシュは思い、自分と同じ歳をしたシステルの頭を軽く撫で、クッキーを焼く準備を始めた。
そこでふと、ロスが言う。
「なあ、ヴァニシュちゃん。俺、最近ちらちら頭に浮かぶんだけどよ‥‥俺とシステルとヴァニシュちゃんとあいつと‥‥もう一人、誰か…居なかったっけ?」
それは、ヴァニシュも感じている疑問だった。
・To Be Continued・
毒菓子