僕の手の平はなにを掴めるのだろうか


赤髪の魔王とその姉の、物語ーー。

赤髪の魔王から受け継いだ記憶を、囚人は魔女に突き付けた。

「memory、abnormal。大層な名前だよな、お前ら」

と、囚人は苦笑し、

「お前の弟は、最期に自分自身の名前を支配し、俺に移した。ミモリ(memory)‥‥その名前通り、記憶をな。だが、俺はお前らの過去しか知らない。お前が今、何をしようとしているのか実際はわからないんだ、アブノーマル」

だがーーと、囚人は彼女に詰め寄り、

「お前が愛に飢えていることはわかっている。親からの愛情すら、弟からの愛情すら、周囲からの愛情すら貰えなかったお前。何度も何度も魔女として殺されかけたお前はーー」
「黙りな、囚人」

赤髪の魔女は彼を睨み付け、右手を軽く上げる。すると、囚人を取り囲むように炎が燃え上がった。

それはまるで、この集落で見た記憶。
赤髪の魔王が起こした惨劇に似た炎。

「なあ、アブノーマル。お前は、次は何をするつもりなんだ?また、観測対象ってのを見つけて、異常を撒き散らすのか?」
「あんたには関係ないだろう」
「関係ある。あいつに頼まれたんだ、お前のことも。だから、俺は絶対にお前のことを止めてみせる」
「ふん、記憶でしか私を知り得ないくせに偉そうに」

彼女は鼻で笑い、囚人を取り囲む炎の威力を増した。

「そうだな‥‥でも、お前だけじゃない。実際、俺は集落の連中のことも未だ、全部知り得ないままだ。だがな、あの僅かな時間でも、知り得たことは多くあった。過ごした時間なんて関係ねぇ。俺は俺が大切だと感じたこの心に従って、あいつらとの約束を守る。それまでーー絶対に死ぬわけにはいかないーー!」

語尾に勢いを付け、囚人はそのまま駆け出し、炎の中を突っ切る。チリチリと衣類が焼けて肌に染み渡るが、その痛みと熱に目を細めつつも、ひたすらに魔女を目掛けて腕を伸ばした。

伸ばして、どうするつもりだったのか。

それは、考えていなかった。
殴ってやりたい気持ちもあったが、妙な所で魔女であっても女だという事実にそれは出来なかった。
だから、腕を伸ばし、その手が彼女の腕に届こうとしたところで、透き通るような青い目が細められる。

「やっぱり、甘いままね、囚人」

静かに嘲笑うような声と、逆に伸ばされた手。
彼女の手は囚人の顔面を掴み、その手からは炎が吹き出した。

「ーーーー!」

囚人は声にならない悲鳴をあげ、顔面を押さえながらその場に崩れ落ちる。

「執念深いだろうからね、どこまでも追って来るであろうあんたはここで殺す」
「‥‥くっ‥‥はは」

その場に膝を着き、俯いたまま顔面を押さえ、掠れた声で笑う囚人を彼女は見下ろした。

「甘いのはどっちだよ、魔女」

押さえた手の指の隙間からギロリと彼女を睨み、囚人は怪訝そうな顔をする彼女の腕を引き、その頬を今度は躊躇いなく殴り付ける。

「っーー!!!」

ドシャッーー!!と、彼女は地面に倒れた。

「殺すんだったら始めから俺の全身を燃やしゃいいだろうが」

形勢逆転ーーそういわんばかりに囚人は立ち上がり、彼女を見下ろす。当然、彼女は殺意を込めた目で囚人を睨み付けていた。
今度こそ、本気で殺しに掛かって来るだろう。囚人に対抗する術はもうなかったが、それでも思考を巡らせる。

「俺は、まだ死ぬわけにはいかねえ。あいつらの為にも、クルを見つける為にも、それに、生きててくれりゃ、一目でも妹の‥‥システルの顔を‥‥」

どう立ち回るか考えながら、囚人が悔しげな声でぶつぶつ言うと、

「シス‥‥テル‥‥だって?」

彼女は、赤髪の魔女は目を丸くした。
その顔に、囚人も目を丸くする。
ずっとずっと、つまらなさそうな、冷めたような、冷酷な顔をしていた彼女が急に、魔女ではなく、一人の人間の女のような顔をしていたから。

「お前‥‥システルを、妹を、知ってる、のか?」
「‥‥」

囚人に問われ、彼女は、シャイとして過ごしていた彼女は、

「まさか、だね。本当に‥‥あんたは皮肉な存在だ」

囚人は身構えた。
見下ろしていたはずの彼女の姿が瞬時に消え、いつの間にか背後に回り込まれていて。
彼女は囚人の背に手を当てて、

「これは手土産。だから、しばらく大人しくして、私の邪魔をしないと約束しな。そうするんだったら、私ももうあんたには関わらない」
「!?」

触れられた部分に熱が走る。
これは、記憶だ。

赤髪の魔女と、知らない男女。
いや、違う。
システルと呼ばれた少女が『ディエさん』と、愛しそうに狂ったようにその名を呼びーー。
誰かが泣いて‥‥いや、赤髪の魔女が泣いて、その『ディエ』という男をずっとずっと、見ていた記憶。
時折、同伴者達と過ごした、記憶。

それでも、ずっとずっと、泣いている記憶。
どんなに異常でも、今までと違って、異常を抱えつつもどこか、優しさを兼ね揃えていた男を愛してしまって、でも愛を手に入れられなくて、痛くて、痛くて、痛くて‥‥泣いている記憶。

「‥‥お前」

囚人は背後に立つ赤髪の魔女を、憐れそうな目で見た。

「お前はまた、幸せを、自分で壊したのか、アブノーマル‥‥」
「幸せ?そんなものはないよ。それで、それはあんたの妹だったのかい?」
「‥‥たぶん、そう、だな」
「‥‥そう。なら、もういいね。あんたにはしばらく離脱してしまうよ、この物語から」

そう言って、背に触れていた彼女の手から再び炎が溢れ出し、

「ーーっ!!!だからって、お前の都合良く黙らせられてたまるかよ!」

囚人は彼女の手を振りほどき、彼女と対峙しようとしたが、彼女はニヤリと笑っていて、

「遅いよ。あんたがどう動こうと、私はこれからも私らしく生きる。世界中に異常を強く深く、植え付ける」
「やめ‥‥」

囚人が駆け出そうとした時、島を取り囲む海が荒れた。
それは、まるで二人を飲み込もうとするようにこちらに向かって来て、先に囚人が海に包まれるように引きずり込まれる。
彼は魔女に向かって何か叫んでいたが、その声は届かない。
そして、次に海は彼女を目掛けたが、それは囚人を包み込んだものとは違い、まるで刃のようだった。

「!!チッ‥‥怨念風情が、未だ留まって、家族を守ろうって言うのかい?!」

彼女はこの集落から転移しようとしたが、それは赦さないというばかりに刃は彼女の体を引き裂く。

「くっ‥‥そ」

少しの攻撃を受けた末、彼女は集落から姿を消し、あの雪の街に戻った。

ーーそして。

囚人は海に包まれながら、声を、聞いた。

「お兄やん、どこに行きたい?お兄やんの本当の妹を、助けてあげる?」

(‥‥フェイス?夢、か?これは‥‥)

「ね、お兄やん。連れてってあげるから、しばらく寝てていいよ」

(フェイス‥‥俺、死んだ、のか?)

「だいじょーぶ!お兄やんは、生きてるよ」

(じゃあ、やっぱ夢‥‥)

「お兄やんのお陰で、みんなはちゃんと空に逝けたよ!ありがとう、お兄やん」

(そう‥‥か。でも、じゃあ、お前は…?)

「私は、お姉やんだから!だから、お兄やんがクルやんを無事に助けてくれる日まで‥‥私はあの集落を守り続けるよ」

(お前‥‥バカ‥‥一人で何やってんだよ!?)

「私のことはいいの!そんなことより!お兄やんの記憶から見つけたお兄やんの本当の妹がピンチなの!だから、助けてあげて!お兄やんなんだから!」


◆◆◆◆


「ぜっ‥‥はぁ」

ようやく男達を殴り終えた囚人は荒くなった息を整える。

「これで、全員か?」

小屋の中も外も、やっと静かになった。

『世界中に異常を強く深く、植え付ける』

魔女はそう言っていた。恐らく、もうすでに実行したのだろう。
世界中、異常を抱えた人間は、この男達のように自分の欲に従順になり、異常に染まり切っているはずだ。

(だが、休んでる暇はない。恐らく、今アブノーマルは力を使いまくったはずだ。だったら、奴を叩くにはチャンスは今しかない)

そう思いつつも、囚人はその場に仰向けに倒れる。
右目を覆うように出来た火傷の痕。
つい先刻のはずなのに、乾ききっている。
恐らくーー。

「くそっ‥‥フェイス。お前、一人で何やってんだよ…」

姉だから、クルエリティの無事を見届けるまではあの世にいかない、なんて。

つうっと、頬に涙が伝い、

「私のことはいい、じゃねーよ。お前だって、俺の大事な‥‥」

赤髪の魔女との対峙、男達との戦闘により憔悴しきった囚人は、急がなければいけないと思いつつも、その場で意識を手放した。


・To Be Continued・

毒菓子



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