無事に悠仁の面談も終わり高専の寮を案内しながら、今学長と話をしているだろう彼女のことを思う。
やはり気のせいなんかじゃない…今日待ち合わせ場所でその姿を見た瞬間、それは確信へと変わった。
―――自分は、名前を知っていると。
そして新たに芽生えた一つの感情…新幹線で窓の外ばかり眺め僕を一切見ようとしない彼女に対し、妙な苛立ちを覚えた。
何でもないような事をベラベラと喋り、なんなら自分に関する事まで話して。そうまでして燻る感情を抑えることができなかった。
("無視すんな"だとか、"こっちを見ろよ"だとか…どうかしてるな)
そう、どうかしている…この僕が"振り向かせてやりたい"と思うだなんて。
「げ、隣かよ」
聞こえた声に思考を遮られ視線を移すと、隣の部屋から溜息を吐きながら出てきた恵。
「空室なんて他にいくらでもあったでしょ」
「だって賑やかな方がいいでしょ?」
「授業と任務で十分です、ありがた迷惑。…で、そろそろ教えてください、あの人のこと」
「ん〜?誰「苗字さんのことですよ」
「ああ、名前ね」
…言うだろうと思っていたよ。それを聞きたくて態々部屋から出てきたんだろうし。
悠仁や恵の視線を感じつつ壁に背を預け、何から話そうかと思考を巡らせる。
「俺も気になってたんだよな。名前さんって呪われてんの?」
「そうだなぁ…名前の呪いの事を教えるにはまず、今昔物語の説話を話そうか」
「今昔物語って古典の授業で出てくるようなヤツ?」
「そう。その一説に名前の呪いが深く関係しているんだ。……"今は昔―――"」
今は昔、■■の国●●の郡に二人の男子がいた。ある時父親が死んでしまい、二人は嘆き悲しみ、どれだけ年月を重ねても忘れる事が出来なかった。
二人は父親を土に埋葬し、恋しい時には一緒に墓に行き、涙を流し、我が身の憂いも嘆きも、生きた親に向かって話すように語って帰って行った。
やがて年月を重ね二人は私事を顧みる事も出来ないほど忙しい身となってしまった。そんな中でも弟は時間を見つけては兄の家に向かい墓参りに行こうと誘うのだが、兄はなかなか都合が付かず、一緒に墓参りする事はなくなってしまった。それでも弟は一人で墓参りへと行き続けた。
このようにして年を送っていたのだが、弟は兄を年々恨むようになった。
墓参りに来なくなった兄は父を忘れてしまい、その態度を嘆かわしく思っていたのだ。
「私達二人は父を恋い慕うその心をよりどころにして、毎日を過ごしてきた。それなのに、それなのに」
ある日いつものように弟が墓参りをすると、突然墓の中から声がした。「お前の力になってやろうか」弟は恐ろしさのあまり声も出せずにいると、墓の背後から鬼が姿を現した。「何も恐れる必要はない。お前が父を慕う心、そして兄に対しての恨み…感銘を受けたのだ。私は未来を予知する力がある。お前の為にこの予言を知らせてやろう」
それからというもの、鬼はいつ、なにが起こるのかを毎日知らせにきた。最初は信じていなかった弟だったが、全て鬼の言う通りの事が起こり、次第に鬼を信頼するようになっていった。そうしてその予言を元に弟は託宣者となり、それを聞きに来る人々が増えていった―――
「―――…この説話に出てくる"未来が視える鬼"…霊鬼って呪霊なんだけど、ソイツに憑かれてるんだ。そんで母親のお腹にいる時に呪われて、名前は霊鬼と一心同体になってるってわけ」
そこまで話し終えると恵が考える仕草を見せ、少しの間を置いて静かに口を開いた。
「…要はあの人、未来が視えるって事ですか」
「そゆこと」
「マジ!?すっげぇじゃん!!」
「まぁでも直近のもの且つ断片的にしか視えないみたいなんだけど。それにそんな―――」
答えを導き出した恵と興奮する悠仁に説明しようとした瞬間、チリ…と脳が焼けるような感覚。
―――『……____……っ』―――
「…そんな良いものでもないよ、未来が視えるなんて」
一瞬脳内に何か映し出されたような気がしたが、すぐに霧がかったように奥深くに消えて無くなったモノ。それが何なのか定かではないが、微かに残る違和感を思考の端に追いやり2人に視線を戻した。
「なんで?視えた方が色々得じゃねぇの?なんか不幸があっても対策とれるし…それにその霊鬼ってヤツ、いいヤツっぽくね?」
「バカ。呪霊にいいヤツもクソもないんだよ。…それと俺の予想だが、未来を変えるにはそれ相応のリスクが伴う筈だ。じゃなきゃ態々そんな事教えねぇだろ」
「鋭いねぇ恵。そう、この説話には続きがあって――…」
この説話の続き…それは不幸を回避しようと未来を変えると、別の者が犠牲になるということ。
最初、弟が自身の身に降りかかる筈だったものを回避した代わりに兄が被害に遭った。墓参りに来なくなった兄を嘆かわしく思っていた為弟はあまり気に留めなかったが、それを皮切りに状況は悪くなっていく。
託宣を下した者達も同じように別の被害が出たと言い出し、更には死を予言した者がそれを回避しようとした結果、自身の妻と子が犠牲になったと怒りを滲ませ訴えてきた。
「……で、弟は託宣者としての信頼を失い周りから誹謗中傷を受け、耐えきれず自ら命を絶ちました。めでたしめでたし!」
「いや、全然めでたくねぇじゃん」
「そうだよ、だから未来なんか視えても良いもんでもないって言ったでしょ。…霊鬼は普通の呪霊と違って、人間を直ぐに殺すんじゃなく不幸に陥れじわじわ苦しませるのが趣味でね。だから人が恐怖するような未来を進んで教える。…でもそれを回避したところで、他の誰かに不幸が降り注いだりする。更には視えたモノよりもっと悪い未来になったりもね。決していい方向に行くわけじゃあないんだ」
「よく言うでしょ、幸せの数には限りがある…この世界は常に誰かの犠牲の元成り立ってるんだよ」
全ての話を終えると、悠仁は「なんつーか、悪趣味だなソイツ」と苦言を漏らし、恵は先程同様考える仕草を見せ口を開いた。
「大体把握はしました…でもその呪霊、何で苗字さんを呪ったのか疑問が残ります。しかも態々お腹にいる時にって…」
「ん〜、それは今考えても答えは出ないし…それより明日は3人目の一年生迎えにいくから、今日はもう各々休んで明日に備えてね〜」
これ以上話を続けても意味はない。それよりも今は胸の内にある"違和感"の正体を突き詰める為2人に別れを告げてある場所へと向かう。
…とはいえ、僕自身恵の言っていたことは疑問を抱いていた。
なぜ霊鬼は態々腹の中にいる名前を呪ったのか…そんな事をすれば名前と同化すると分かっていた筈だ。…だからこそ、彼女を呪った事に何かしらの理由があると。
先ずは名前自身のこと、そして名前が呪われた時の状況を調べる必要がある。そう考えながら目的の場所…医務室に辿り着くと、扉を開ける前に気配を感じ取る。そして微かに聞こえる話し声。
「…で、今後どうすんの」
『とりあえず呪術師として復帰する事になりました。でも…関わる事は極力避けます』
「そう。…まぁ頑張んなよ」
その会話を聞き、また1つ"違和感"を胸に募らせ扉を開けた。…視線の先には、硝子と名前が煙草を吸いながら向かい合っている姿。
「硝子ー!いい人材見つけてきたよー…ってあれ、名前居たんだ」
『……学長と話を終えて、ここに向かうよう言われたので。家入さんと少しお話を』
言いながら煙草を携帯用灰皿に差し込み、席を立ち硝子に視線を向ける。
『では、話すべき事は終えたのでもう行きます。また復帰できる日などは改めてご連絡致しますので』
そう告げると片手にキャリーケースを持ち、僕とは一切視線を合わす事なく部屋を出て行った。扉が閉まる音を背に受け硝子の側に近寄る。
……煙草を吸うその姿は、数年前で止まっていた筈だ。
「硝子、禁煙してんじゃなかったの」
「…目の前で吸われりゃ吸いたくもなんだろ」
「へぇ〜…まぁ別にどっちでもいいけど。それより僕さぁ、名前と絶対どっかで会ってる気がすんだよね。硝子知らない?」
「……なんで私に聞くんだよ」
「だってお前ら、明らかに互いを知ってそうな雰囲気だったし。図星だろ?」
ここに来た理由…それは名前の事を聞く為だった。この得体の知れない"違和感"の核心に触れる、その為に。
「…………さぁ。名前に直接聞けば」
やけに長い間を置いて言葉を零し、硝子は立ち上がると僕を置いて医務室を出て行った。
そのまま机に腰掛け腕を組むと、誰も居なくなった部屋に自身の声だけが響く。
「"さぁ"って…既にそれが答えみたいなもんだろ」
"違和感"…その正体を探った時過った考えに、最初はあり得ないと思った。けれど今日待ち合わせ場所で彼女を見た瞬間自分は名前を知っていると気付き、そして硝子の態度でそれは確信へと変わった。
――僕は"苗字名前"という人物の記憶を消されたということ。
この場に用はなくなった為、立ち上がり医務室を出る… 昨日蘇った傑との最後の会話を再度頭に思い浮かべながら。
「…結局彼女の言っていた未来になってしまったな」
「……は?誰の事言ってんだよ」
「ここに来る前に話をしたんだが…成程、本当に消されてしまったんだね。…思い出してやれ、悟。人は決して忘れない…全てはその中にある」
…傑のあの言葉は、明らかに彼女を指している。
紫苑家の人間がやったのか、彼女自身がやったのかは分からないが…何故消した?どうやって消したんだ?僕と彼女の関係は――――――?
様々な疑問が浮かぶ中、沸々と湧き上がる感情。
「…苗字名前か…ックク、いいねぇ。面白い」
好奇心で緩む頬をそのままに呟いた言葉は、誰にも届く事なく溶けて消えた。
(2021.3.31)