翌日の未来を夢に視るようになってから、眠りに落ちる寸前願うようになった。
誰の不幸も視ないよう――…誰の"死"も、視ないようにと。





夜の帷も降り静けさが辺りを包む中、いつものようにベランダへと足を運ぶ。銜えていた煙草を指で挟み、吸い込んだ煙を吐き出しながら空を見上げるも、今日は生憎の曇り空で何も見えず。そういえば明日は一日中雨だったと、今朝の天気予報でやっていたことを思い出した。

こうしてベランダで星を眺めながら一服するのは仙台にいた頃の習慣で、それは東京に来てからも変わらず続けていた。…まぁ彼方に比べて空に浮かぶ星の数は随分少ないし、日増しに暑くなってきているからそろそろやめようかとも思っているけれど。

あと一本だけ吸い終わったら部屋に戻ろう…そう思い再度煙草を銜えて火をつけた時、ふと視界に入った隣の部屋。

『……』

家の主は急な出張が入り留守にしていることは知っている。それでも以前言われた言葉を思い出してしまい、顔に熱が集まるのを必死に抑えるように深く煙を吸い込む。



――「今日名前と過ごした時間は案外楽しいものだった…もう少しこの時間が続けばいいと思う程には、ね」――



…あんな事を言われるとは思っていなかった。あんな素直な言葉を口に出来る人ではなかったから、尚更。
だからだろうか、あの日以降ふとした瞬間その事が脳裏によぎって、胸の奥が熱くなって。

…仕舞い込んでいたモノが、溢れそうになって。

ゆっくりと煙を吐き出し、まだ吸えるだろう煙草を灰皿に押しつけて部屋の中へと戻る。
このまま眠りに落ちて溢れそうになるモノを、また奥底に沈める為に。








…―――


人肉を裂く異形の姿、怯える表情、舞う紫の飛沫

刹那、視界が暗転し場所が変わる

映ったのは音もない静かな雨…二つの、人影

揺れ動く一つから滴る紅は、降り注ぐ雨に混じり―

―――…









瞼を開くと、そこは見慣れた天井。微かに聞こえる窓を打つ雨の音。

『……はぁ……ッ、』

乱れる呼吸を落ち着かせようとするも、鼓動の音は速まり先程視た映像が脳裏にこびりついて離れない。

――血に濡れた、虎杖くんの姿が。

霊鬼のせいで視える未来はいつも断片的だった。私が苦しむ姿を見たいが為に、敢えて視せないようにしている未来モノもあると。…でも昔交わした"縛り"以降、ある事に関しては必ず視えるようになっていた。

それは…"人の死"に関する未来。

私が視た未来は二つだ。
一つは自分が今日請け負う任務について。そこで既に呪霊にやられたであろう肉片の傍らで一般人を助けるということ。
その後場面が変わり、雨の中全身傷だらけの伏黒くんと虎杖くんが向かい合っている姿。虎杖くんは胸に大きな穴が開き、血を流していた。そして此方に気付いた彼と視線が交わり何かを呟いた瞬間、グラリと身体が傾きその場に倒れ…降り注ぐ雨と混じり、地面が紅く染まっていく光景――

逸る気持ちを抑えベッドから立ち上がり出かける準備をする。向かう場所は勿論高専…虎杖くんに会うために。




高専の門をくぐり1年の教室へと向かう。急いだことで雨に濡れた足元や衣服を気にする余裕もなく、只管その場所を目指す。漸く目的の場所に辿り着き勢いのままに扉を開けると、一気に3人分の視線が突き刺さった。

「おっ、名前さんじゃん!おはよ――」

いつものように明るい声で挨拶をしてくれる彼に返事を返さず、歩み寄り顔を近づける。至近距離で交わる視線に彼が目を見開き狼狽えた。同時に隣に座っている二人が動揺するのも肌で感じ取る。
誰だっていきなり現れて無言で迫ったら戸惑うのは当然だ。それでも今はそんなことに構っていられない。

「ど、どったの?」
『ちょっとそのまま動かないで』
「へ?なん『いいから』

私が夢で視えるのはあくまで自分に関しての未来。だから虎杖くんがどのような状況下で死ぬのかは視れなかった。…けれど視線を合わせて、ある一点・・・・に呪力を巡らせれば―――

(……きた)

ザァ…とイメージの嵐が脳内に浮かび上がる。



―――…

建物の中、転がる肉の塊

対峙する人型の呪霊

そして…身体に浮かび上がる黒い模様

―――…



「…〜っもう無理!!」

至近距離で目を合わせていることに耐えられなくなったのか、虎杖くんが視線を逸らしたせいでプツリと映像は途切れてしまった。

「マジでなに――…って、うわ!名前さんめっちゃ顔色悪ィいけど!!」
『……は、』

知らず内に止めていた息を細く吐き出す。先ほど視た未来モノは彼ら一年三人がこれから請け負うであろう任務…そこにいた一般人の亡骸と特級との対峙…そして、

(…宿儺との入れ替わり…)

これから起こることは大体把握できた。彼がどのように死ぬのかも。けれど何故特級案件を一年に――
と、その時。静寂を切るようにして鳴る着信音。確認すると予想通りの人物…伊地知の名前が記されていた。

『…はい』
「おはようございます苗字さん。朝早くから申し訳ないのですが、至急対応して頂きたい任務が『他にいないの』
「…は?」
『その任務私じゃなきゃダメなのかって聞いてるの』
「いえ、申し訳ないのですが現在動ける術師が出払っていて…それに既に犠牲者も出ているので念の為反転術式を使える苗字さんを向かわせるようにと上からの指示です」
『…そう。じゃあ他に今連絡が入ってるヤバそうな案件は?』
「…?今のところこの一件のみですが」
『……』

現時点で何も報せはきていない…けれど彼らは必ずこれから特級クラスの任務に駆り出される。その未来は確実だ…そこで、虎杖くんが死んでしまうことも。

どうする、どうすればいい。

私が任務に行かず彼らに同行すれば、犠牲になるのは私が助けるはずだった一般人だ。仮に死ぬ未来が視えた事を虎杖くんに伝えて注意を促しても、どこに皺寄せがくるか分からない。伏黒くんや釘崎さんが犠牲に…いや、宿儺が出てくる以上今の未来を変えると被害が大きくなる可能性の方が高い。

宿儺と入れ替わらないように言ったところで特級がいる。どの道被害は視たモノよりも格段に悪くなるだろう。
―――…それに、


(未来を変えて、自分が犠牲になるわけにもいかない…)


そうだ…私は今ここで死ぬ訳にはいかない。それなら私が取るべき行動は――


「…苗字さん、まさか何か視『何でもない。じゃあ高専で待ってるから』


何か言いかけた伊地知の声を遮り、そのまま通話を一方的に切る。訳がわからない、という表情をする3人にも伊地知に伝えたことをそのまま伝え教室を後にした。

(彼は今ここで死ぬ運命だった…それだけのこと…)

未来を変えるには代償がつきもの。だから無闇矢鱈に変えるべきではない…たとえ人が死のうとも。
この選択こそが最適解なのだと、今までの失敗から学んだことだ。

だからいつものように視たモノに干渉せず、自分のすべきことをしていれば…未来を変えずに突き進めば、それでいい。







――ザァ…という雨音に重なるようにして断末魔の叫びが木霊する。多重に響くそれは、到底この世の生き物が出せる音ではないだろう。

うるさい、そう呟いて持っていた刀に呪力を込めてとどめを刺す。漸く耳障りな音が止んだが溢れた紫の液体が頬や服についたことに嫌悪感を抱き溜息を漏らした。

「…ヒ…ッ、」

辺りに静けさが戻り雨が地面を打つ中、小さな声が耳に届く。振り向けば男が一人血を流し蹲っていた。

「なんなんだよ、一体…何が起こって…っ」

現場は住宅地から程近い寺院墓地…帳を降ろし呪霊と相対した時既に数人が肉片となっていたが、夢で視た通りこの男だけは助けられた。腹部からの出血は酷いが、今から反転術式による治癒をすれば問題ない。

『…貴方は運がいい』

呪霊と出会ってしまったら、まず命は助からない。遺体が原型を留めていればまだマシだ。それに人は生死の境に陥った時、稀に今まで見えなかったものが見えるようになるというが、この状況においても何も見えていないのなら今後も"普通"の生活が送れるだろう。

―――…あとは。

頬に付着していた紫のそれを手でぬぐい、男に近づき額に手を翳す。

「っ!?何を『忘れてください』

『…これは、貴方にとって"不要"な記憶となるだろうから』

言いながら術式を施していくと次第に男の目は虚ろになり、やがて完全に意識を失った。きっと次に目を覚ました時には今ここで起こった出来事はすべて忘れているはずだ。

…ただそこに残るのは、知人が死んでしまったという事実だけ。

記憶を完全に消した後怪我の治癒も行い、外で待機している補助監督の元へ戻る。と、何やら切迫した表情で視線を此方によこした。―――ザワリと、肌が粟立つ。

「…っ、苗字さん戻られましたから、このまま変わります…!」

持っていた携帯を手渡され耳に当てる。…誰からなんて確認しなくてもその答えは明白だ。

「苗字さん、至急虎杖くん達と合流してください…!現在特級相当の呪霊と対峙しており―――」






――…雨が真っ直ぐに降り注ぐ。それは建物に、地面に…私に。
等しくすべてを濡らしていくその音を聞きながら、微かに残る残穢を辿っていく。

残穢だけでも肌を刺すような禍々しい呪力…これは1ヶ月前に感じたものと同じだ。

暫く歩いていると2人分の人影が目に映る。途端にどくりと心臓が嫌な音を立てて加速する。それでも足を止めずに近付いていくと、雨の中全身傷だらけの伏黒くんと虎杖くんが向かい合っている姿がそこにはあった。

「伏黒も釘崎も…五条先生…は、心配いらねぇか…長生きしろよ」

虎杖くんは胸元に大きな穴が開いていて、此方に気付いた彼と視線が交わる。


「名前さん、も、な…」


発せられた言葉と同時に見せられた笑顔は、少年のそれで。刹那、グラリと身体が傾きその場に倒れ…降り注ぐ雨と混じり地面が紅く染まっていく。

――…ああ、これは知っている光景だ。

私が今朝視た未来モノが今、現実となって眼前に広がっている。

「…知ってたんですか」


ぽつりと、伏黒くんの口から溢れた一言。
顔を伏せているせいでどんな表情をしているかは分からない。けれど微かに震えるその声が、言葉が、胸の奥に突き刺さる。


「虎杖が死ななかったら…他の誰かにその皺寄せが来たはず。俺は、不平等に人を助ける。助ける人間を選ぶ。…だから別にアンタが今回のことを視ていて黙っていたとしても、何も言うつもりはない」



…雨が真っ直ぐに降り注ぐ。水分を含んだ服は体に纏わりつき、体温を奪い。次第に冷たく、重くなっていく。

――それは、心にまで浸透するかのように。



(2022.2.4)

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