――"関わればその分記憶が戻るリスクも増える。…だが言動に気を付けていればそう簡単に思い出す事もない。腹を括れ"――
そう夜蛾先生に言われ覚悟を決めた。腹も括った。
――…けれど。
『…イヤ、行かない』
「そこを何とか!!」
任務を終え明け方に帰宅し、今日一日は休暇。その為太陽が天頂を通過しても未だベッドから抜け出せずにいた時、突如寝室に響いた着信音。
一体誰だと開けきらない瞼をこじ開け携帯を手に取ると、そこに表示されていたのは"伊地知"の文字で。
…出たくない、出たら絶対後悔する。
そう思い携帯を置き布団に潜ったが、音が途切れて数秒も経たない内に再度響く機械音に仕方なく通話ボタンを押して内容を聞いた。
そして案の定、電話に出た事を激しく後悔した。
『伊地知に迷惑かけてるのは重々承知してる。申し訳ないとも思ってる。でも行かない。行きたくない』
高専時代に関わりのあった数少ない人物…伊地知は、私が彼の記憶を消した事も勿論知っているわけで。だからこそ私達の後輩である彼には何かと苦労をかけてしまっている事は知っている。
それでも、嫌なものは嫌だ。
伊地知から電話がかかってくるまでは微睡の中で、今日起こる出来事もしっかり夢に視ている。
だからこそ避けたいと、行ったら夢で視た事が現実になってしまうと彼の申し出を断固として拒否した。
『任務が入ってるとか何とか言って誤魔化しといて』
「そんな嘘であの人を騙せるわけないじゃないですか!兎に角、今からお迎えに上がるのでお願いですから秋葉原で五条さんと合流してください!!苗字さんが行って下さらないと私が何と言われるか…いいえ、最悪
殺されるなんて大袈裟な…そう思ったが、高専時代何かと絡まれその度に怯えた表情を見せていた事を思い出す。
…彼がひと睨みしただけで泡を吹いて倒れる姿が簡単に想像できてしまった。
『…分かった。支度するから、また着いたら連絡して』
伊地知があまりに泣きそうな――むしろ本当に泣いているのかもしれない――声で懇願するものだから、観念してそう伝える。すると今度は歓喜に声を震わせながら礼を述べる伊地知。
私の知らない7年の間も随分と苦労していたんだろうなと思いながら電話を切り、深い溜息を吐きながら身体を起こして準備を始めた。
『私、今日お休み頂いてるんですけど』
あの後伊地知に車で送ってもらい、辿り着いた先に見えた全身黒ずくめに目隠しをした人物に向け、機嫌が悪いのを隠すことなく言葉を放つ。
それでも彼は笑みを浮かべて。
「知ってる、だから呼び出したんだ。とことん付き纏うって言ったの忘れた?」
『私に付き纏いたいからって彼を…伊地知さんを巻き込むのはやめて下さい』
「じゃあ僕が呼んだら素直に来てくれんの?」
『……』
「ほら、普通に頼んでも来てくれないんだから、利用できるものは利用するさ。…あ、でも安心してよ。一々詮索はしないし、伊地知の口を割らせる事もしない。そうするより今の名前と関わって自力で思い出した方がずっと面白いからね」
面白い――そう溢す彼の口元は、やはり弧を描いていて。記憶を消したと知られたあの日も同じ言葉を呟いた辺り、この状況を楽しんでいることは明白で。
だから伊地知から聞き出す事はなくとも、私を呼び出す口実には使うと…悪びれる様子もない彼を前に、硝子先輩の言う通り彼相手だとこうも上手くいかないものかと小さく息を吐いた。
『それで…こんな場所に呼び出して何の用ですか』
「またまたぁ、どうせこれから起こることある程度知ってんでしょ?」
『…ええ、そうですね。ですから要件だけこの場で聞いて帰らせてもら「さ、そんじゃあ早速行くよー!五条悟の街中ぶらり旅!!」
『!?ちょ…っ何するんです…!』
声を遮り、戸惑う私を無視して歩き出した彼。この場で全て済ませてしまおうという浅はかな考えは見事に打ち砕かれてしまった。…それに逃げないようにする為なのか、自然に私の手を引いて。
(…っ、なんで触るの…っ)
触れた手から、彼の熱が伝わる。
一気に鼓動の音が加速する。
『逃げませんから…手、離してください…!』
「え〜、でも僕脚長いからちゃんと名前ついて来『不用意に触れたらセクハラで訴えます!!』
語気を強めて伝えると「それは困るなぁ」なんて微塵も困らなさそうな口調で呟き、離された手。…離れていく、温もり。
けれど触れられたという事実に中々鼓動の音は鳴り止まず、顔の熱も引いてはくれなくて。
それを悟られないよう必死に取り繕いながら彼の後ろをついて歩いた。
そうして暫く歩いた時、周りにある建物を見て既視感を覚える。――…これは、夢で視た光景と同じだと。
確か…この道を通った先にゲームセンターがある。そこで何故か彼が入っていき様々なゲームに付き合わされるというもので。
『…五条さん』
「んー?なに名前」
『そっちは人が密集しているので行きたくありません』
「なになに、こっち行くと名前的に都合が悪い未来が待ってたりすんの?」
『…貴方が不可解な行動をとるので』
「不可解ねぇ…いいよ、名前の言う通りに動いてあげる。視えた
そう言って大通りから外れた道を進み始めた彼を横目に、小さく息を吐きながら今朝視た内容を思い返す。
断片的に視た夢は、本当に彼の言うところの"街中ぶらり旅"だった。目的が何かまでは分からなかったが、振り回されるということだけはハッキリしている。だから回避出来るものは回避して、彼の思う通りには絶対に動かないと思っていた時。
「お、名前。あそこ行こう、あそこ」
名を呼ばれ、彼が指差す先に視線を移す。そして目に映ったそれを見て思わず二度瞬きをしてしまった。
…そこにあったのは、古びたゲームセンターだったから。
(……しまった)
未来を回避しようと別の道を歩いたところで、ここは秋葉原。ゲームセンターなんてそこら中に山程あるという事を見落としていた。
案の定彼は私の返事を待つ事なく中へ入っていき、UFOキャッチャーが並んでいる内の一つ…お菓子の取れるクレーンゲームの前で足を止めると、あろうことか硬化を入れ遊び始めて。
『…何してるんですか』
「何って、お菓子取ってんの」
『そういう事を聞いているんじゃなくて…っ!』
「分かってないなぁ名前。ゲーセンが目の前に出てきたら遊ぶでしょ普通…って、あー外した。これアーム緩すぎだろ」
…ダメだ、完全に彼のペースに呑まれてる。
掴みどころのない性格や、何を考えているのかさっぱり分からないその思考回路に7年経った今でも振り回される事になるとは…と苛立ちを抑えている間も、2度3度とクレーンゲームを続ける彼。
アームがゆるいせいか持ち上がっては落ち、少しずつ元の場所からズレて落ちそうなところまではきていて。それでも中々下に落ちず苦言を漏らす姿に、私の中で先程とは別の苛立ちが募っていく。
『…っああ、もう!ちょっと退いてください!!』
とうとう耐えきれなくなり彼を押し退けて硬貨を入れる。
ここまで来たら後は持ち上げるのではなく、押し込むようにしてやれば――。
思った通り、片方のアームで箱に突き刺すと大きくズレて箱が下へ落下した。それと同時に「へぇ、意外。名前ってクレーンゲーム得意なんだ」と横から降ってきた声を聞いて我に返る。
『…別に…得意というほどでは――…って、なんですかその手』
ついムキになってしまった自分を恥ずかしく思いながら景品を手に取り顔を上げると、何故か彼が此方に手を差し出してきて。
「なにって、くれるんじゃないの?僕の為に取ってくれたんでしょ?」
確かに中々取れないのを見兼ねて手を出したのは私だし、お菓子なんて別に欲しくもないから渡しても何ら問題はない。…けれど"僕の為"と言われると、素直に渡すのは憚られる。
『…嫌です、あげません』
結局渡したくないという気持ちが強くなり、差し出された手を無視してゲームセンターの出口へと進んでいく。すると彼が不満の声をあげながら後ろをついてきて。
「名前のケチ〜…あ、じゃあクレープ食べよーぜ、クレープ」
『…一体なんの"じゃあ"なんですか』
「だって名前お菓子くれないし。それにせっかくだから行きたいとこあんだよね」
そう言って向かった先は、大通りに面した有名なクレープ店。ディスプレイには生クリームやフルーツをたっぷり包んだものや、サラダ系のものが飾られている。
「クリームとティラミスのやつで。あとトッピングにマカロンと、チョコスプレー増し増しで」
彼が頼んだのはお店でおすすめとして売られていたもの。しかしティラミスの苦みを全て台無しにするかのようなトッピングを加え、ディスプレイで飾られているものとはかけ離れた甘ったるいものへと姿を変えていた。
対して私はというと、ベーコンやレタスが包まれたサラダクレープを注文して。
…甘いモノを頼まなかった理由は、私が頼んだクレープを横から奪われるのを夢で視たから。これ以上近付きたくなくて、それを避ける為に敢えて彼が絶対食べないだろうものを頼んだのだ。
「有り得ねぇー。クレープ屋でそんなもの頼むヤツの気がしれない」
『貴方こそあり得ないです、そんな見るからに胃もたれしそうなモノ』
購入したものを互いに食べながら、何処に向かっているかも分からずフラフラと歩いていく。先程から会話の端々で今日の目的を聞き出そうとはしているが、彼は一向に教えてはくれない。
「僕にとって甘いモノは原動力なの。でも名前にも必要な栄養素だと思うけどな。ほら、すぐカリカリするし」
『…っですから、誰のせいでこんな――』
イライラしてると思っているんです、という言葉を遮られ、突如口に押し込まれたクレープ。
途端に口内に広がるクリームとチョコの味。私が食べているサラダクレープとは違い生地もほんのり甘く、疲れた身体に染み渡るような。
「ど?超美味いっしょ」
素直に美味しいという言葉が溢れ落ちそうになるも、笑みを浮かべ首を傾げる姿を見てたちまち鼓動が煩くなるのを感じ、慌てて顔を背けた。
『……まぁまぁです』
「くくっ、素直じゃないねぇ名前は」
彼から視線を外したのに、くつくつと喉を鳴らすような笑い声が耳に届く。
…ああ、もう。本当にやめてほしい。
こんな…休日に2人で出歩くなんて、付き合っていた頃でさえあまりなかったというのに。
学生とはいえ呪術師として任務に赴く事も多く、更に高専3年にして特級の称号を与えられていた彼は、当時から既に忙しくしていた。
だからだろうか、関わりを持ちたくない…持ってはいけないと思う心とは裏腹に。
――…この時間がとても貴重で、もう少し続けてもいいかもなんて、頭の片隅で思ってしまうのは。