「名前さぁ…僕の記憶消したでしょ」

玄関に佇む彼女の姿を捉えながら、確信に触れる一言を放つ。暗褐色の双眸を見開き言葉を失くすその姿に、無意識の内に口角が上がる。

生まれながらにして霊鬼に呪われているという事実だけで興味の対象だったというのに、3週間前"記憶を消された"と気付いてからそれは更に大きくなっていった。



***




「あー食った!もう入らねぇ!」

夜の帳も降り静けさが漂う中、その場に響いた悠仁の声。3人目の一年…野薔薇を迎えに行きその実力を確認し、食事も終えて高専へ戻っている最中だった。


「まぁ回転寿司も悪くはなかったわね」

「…釘崎、素直に美味かったって言えねーの?お前寿司が新幹線に乗ってきた時テンションブチ上がってたじゃん」

「は…っ、はぁ!?それはアンタでしょーが!!"牛塩カルビ乗ってるー!"ってバカみたいにはしゃいで…つか、なに牛塩カルビって!あんなの寿司じゃねぇだろ!!」

「だから回転寿司はレジャーって言ったろ!?今はな、寿司の上にカルビとか生ハム乗ってんのが主流なの!」

「主流じゃねーよ邪道だよ!!伏黒、アンタも何か言ってやんなさいよ!!」

「俺は美味けりゃどっちでもいい」


そんな会話を聞きながら少し後方を歩いていた時携帯が数回振動した。画面に表示されている名前は連絡を待っていた人物からで、遅ぇんだよと内心悪態を吐きながら尚も寿司ネタで盛り上がっている若人に視線を向ける。


「じゃあ諸君、僕はここで」

「え、五条先生帰んねーの?」

「まだ少しやることがあってね。ほら、僕最強だから各方面から引っ張りだこで。いやぁ人気者はツラいよまったく」

「うわ、自分で最強とか引くわ」

「釘崎慣れろ、五条先生はこういう人だ」


そうして3人に別れを告げ連絡を受けた場所まで歩いていくと、目的の車を見つけ後部座席に乗り込み扉を閉める。

「…で、名前の情報は?」

バックミラー越しに視線を合わせる伊地知にそう問うと「…此方です」と鞄から取り出した封筒を手渡された。…その中には資料が数枚。

「は?これだけ?」
「…はい。それだけです」
「オイオイオイ伊地知ィ。んな訳ねぇだろ」

想像していたよりも明らかに薄いそれを見て運転席に一発蹴りを入れると、怯えるような短い悲鳴が聞こえた。が、そんな事お構いなしに足に力を込めグリグリと座席を押す。霊鬼に呪われた名前の資料が、数枚の紙に収まるはずがない。

「雑な仕事してんなよ、明日の昼まで待ってやるからもう一度「い、いえ…本当にそれで全てなんです…」

ハンドルを握る手を微かに振るわせる姿を見て、舌打ちをしながら仕方なく手元の資料に目を通す。

そこには名前自身のことや両親について記載されていたが、彼女の情報は出生の記録や術式、当時の等級、術師を辞めた時期のみが記されていただけだった。違和感を抱きつつ、今度は両親について記されている資料を確認する――と、ある部分に目が留まった。


―――――――――
氏名:苗字椿 19××年×月×日生
術式:呪力の吸収、譲渡 等級:二級
19××年×月 高専入学



氏名:紫苑啓 19××年×月×日生
術式:忘却呪法(記憶隠蔽術) 等級:二級
19××年×月 高専入学



―――――――――



名前の父親が紫苑…そして母親も呪術師だったと…それに高専入学の時期、この年代の生まれとすれば―――

「…あー、そういうこと」
「えっと…五条さ「伊地知、家まで送って」

伊地知を脅したところで欲しい資料が手に入るはずもない。そう理解して持っていたものを隣の座席に放り、車を出すよう告げた。




翌日、名前に関しての資料が他にないか高専の書庫へ自ら足を運ぶ。昨日見たものには7年前に呪術師を辞めた事が記されていた…だったらそれ以前に受けた任務の報告書等何かしら残っているはずだと。

そう思い調べるも名前が術師をやっていた頃の記録は見当たらなかった。…不自然な程に、一枚も。
更に違和感を募らせたまま昨日見た資料の一部を思い浮かべる。

それは、名前が一般の高校に通っていたという記録。

僅かではあるが、高専出身ではない術師が存在するのは確かだ。特に紫苑家のように戦闘向きでない術式を持ち、前線に出る事がない者なら尚更。

ただ名前の等級"準一級"…一般人の記憶を消す為だけに駆り出されていたのなら、こんな等級になるはずがない。充実した訓練環境を持つ御三家の者なら高専に通わずとも十分鍛えられるが、紫苑家にそんな環境整っているはずもない。

――……ということは。

「雑なんだよ、やってることが」

僕に知られたくないからとはいえ、明らかな隠蔽工作に思わず溜息が漏れる。昨日も名前が泊まっているホテルを伊地知に聞き出し向かったが、既に仙台に戻った後だった…大方僕が来るという未来を視て朝早くに出たのだろう。

そうまでして関わりを持ちたくない理由は…記憶を消した理由は―――


「悟」


不意に背後から名を呼ばれ振り向くと、夜蛾学長が部屋の扉を背に立っていた。

「何をしている」

「いえ、ちょっと調べ物を。…それよりちょうどよかった、聞きたい事があったんですよ。名前の母親って学長と同期です?…名前の父親、呪詛師となり処刑された紫苑あきらも」

昨日の資料で得た情報、名前の両親…父親である紫苑啓は高専入学から4年後呪詛師となり、その後規定に基づき処刑されたということ。母親である苗字椿に関しては同時期に術師を辞め、その後の消息は不明と記載されていた。

その2人の生まれや高専入学の時期を見て導き出した答え――それが"学長と同期である"ということ。

僕の質問に表情は変えず、しかし少しの間を置いて発せられたのは肯定の言葉だった。


「…ああ、そうだ。だが何故そんな事を聞く?」

「何故って、そりゃ名前が気になってるからですよ。…でも名前に関する情報を探しても何も見つからない。術師だった頃の記録も全て…一体何処に隠したのやら」

「……」

「伊地知に最低限の資料しか渡さなかったのも学長ですよね?そうまでして知られたくな「悟」

「……これ以上詮索するな」


学長の呪力が乱れる。紡がれた声は小さく、いつもより低く。

硝子といい学長といい、本気で隠す気があるのかないのか…まぁどちらにしろ名前は高専出身者、僕と関わりのあった人物だったということが確定した。

益々苗字名前という人物に興味が湧いてくる。そしてそれと同時に、もう一つの感情が波のように静かに、緩やかに…しかし確実に押し寄せてきて。

――"逃してはいけない"――

内から湧き上がるモノが何なのかは分からない。けれどこの感情に従えと、己の魂が強く訴えかけてくる。

「何をそんな頑なに隠してんのか知りませんけど…分かりました。これ以上詮索はしません。その代わり――……」



***




明かりも付いていない部屋の中を、冷たい空気と静けさが漂う。僕の言葉に明らかに動揺の色を滲ませた彼女を見て最後の疑問が難なく解かれた。

「紫苑家の人間か君自身か…何方が僕の記憶を消したのか分からなかったけど…なぁんだ、その反応だと君自身がやったのか。酷いじゃない仲間外れにするなんて。僕泣いちゃうよ?」

カマをかけてみたらアッサリ顔に出す辺り、案外名前は嘘をつくのが苦手なようだ。彼女自身もそれに気付いたのか、まるで動揺などしていないかのように振る舞い始めて。

『…何を言っているのか、意味がわかりません。私は五条さんの記憶を消してなんて「学長に言われたよ、これ以上詮索するなって」

今更とぼけたって意味ねぇんだよ――その思いも込めて言葉を遮ると、微かに揺れる細い肩。

「だから提案したんだ、詮索しない代わりに名前の今後住む場所は僕が用意するってね。そんで君が逃げないよう、確実に家にいるだろう時間を見計らって遠路遥々仙台まで迎えに行った…これから君にとことん付き纏う為に」 

言いながら玄関に佇む名前の元へゆっくり歩み寄る。それを彼女は逃げることもなく、真っ直ぐ僕を見据えている。


『付き纏われる事が分かっているのなら、私はそれを拒絶するだけです。勿論ここにも住みません』

「断るならお好きに。でもそうするなら僕も手段を選ばない。隠した資料なんて僕の手にかかれば直ぐに見つけられる。それに周りの態度や言動で、君が高専時代に僕と関わりがあった事はもう分かってんだよ。だったら必然的に近くの人間を1人2人脅せば簡単に口を割るはずだ。…例えばそうだなぁ…伊地知辺りとか」

『……性悪ってよく言われません?』

「人の記憶勝手に消したヤツがよく言うよ」


目の前で立ち止まると指で顎を掬い、上を向かせて。交わる視線に動揺の色はなく…まるで、何か覚悟を決めたような。

『…分かりました。ここに住まわせて頂きます』

薄く口を開き放たれた言葉、凛とした表情。
瞬間、ズクリと得体の知れない感情が背筋を這う。


『…それ以上近づくようでしたらセクハラで訴えますよ』


耳に届いた声に我に返ると、先程よりも距離が縮まっていた。―――唇に触れる、ほんの数センチの距離に。


「おっと、それは困るな」


無意識…否、自然と身体が動いたというべきか。兎に角自身の行動に一番自分が驚き、直ぐに彼女から離れる。


「何はともあれ、呪術師に戻った名前を歓迎するよ。これから宜しくお隣さん」

『住まわせて頂くと言っただけで、貴方と宜しくするつもりなんて一切ありませんから』

「っくく、これだけ脅しても態度は変わらずか…いいねぇ、その方が断然面白い」


消された記憶…けれど内から湧き上がる何か。傑の言うように、人は決して忘れない生き物なのかもしれない。


…その全ては、僕の中に。



(2021.6.12)

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