あの後高専を出て都内のホテルに一泊し、翌日も仕事を休んでいたから少しゆっくりして午後の便で仙台に帰ろうと思っていた。
そう…
『……最悪』
ベッドの上で真っ白な天井を見つめ、溜息を漏らす。今目覚めたばかりだが悠長にしていられない…そう思うと同時に勢いよく上体を起こし身支度を始めた。
今朝視た夢の内容、それはホテルのロビーで彼…五条さんが満面の笑みで此方に向かって手を振る姿。
その後無理矢理連れて行かれ伏黒くんや虎杖くん、更には女の子と合流し、彼らの呪霊討伐任務に付き合わされるというもので。
何故私が泊まっているホテルを知っていたのか、そして何故私がそれに付き合わされたのかは分からないが、兎に角チェックアウトギリギリまで滞在する予定だったところを繰り上げなければ。
そうすれば会う事はない……と、信じたい。
無闇矢鱈に未来を変える事を拒んできたが、これは変えた方がいい未来だ。むしろ今後も彼が夢に出てきたら徹底的に避けるようにしないと。
簡単に化粧をし、着替えを終えるとホテルで朝食を取ることなくチェックアウトを済ませる。幸いロビーに彼はいなくてホッと胸を撫で下ろすも、まだ何処かで出会す可能性もある為足早に駅へ向かい、そのまま東京を後にした。
そうして仙台に帰ってからは特に変わった事は起きず、夢にも視ず普段と変わりない日常を送って。
会社には6月末で退職する旨を伝え、急だった事もあり多少嫌味を言われたりもしたが無事その日を迎えることが出来た。
『…よし、これで全部かな』
一週間前に高専関係者から私の処遇や住む場所も用意したと連絡を受け、荷造りなども全て終え綺麗になった部屋を見渡す。
呪術師を辞めてから今の仕事に就き、ここで生活して7年。一時でも普通の生活を送れて良かったと思う。
あとは…その時が来るのを待つだけだ―――そう思っていた時、ふと今朝視た夢に彼が出てきた事を思い出し溜息が漏れた。
引越し早々…しかも部屋で2人っきり。
見覚えのない部屋だったから、あれはどう見ても引越し先の家…つまりこれから向かう場所だ。断片的でその前後は視れなかったが、大方彼が無理矢理押しかけてきたのだろう。
そして…薄い笑みを浮かべ何かを呟いていた。
未来が視えるとはいえ、毎回断片的だし音は聞こえない。だからどんな状況なのか、会話をしていても一体何を話しているのか判断できないのが難点だった。
それでも彼と会うという事実だけは分かったのだから、2人きりになるのは何としても避けよう。部屋に彼が来たとしても居留守を使って絶対に出ないようにすればいいと思っていた、その時。
―――ピンポーン……
インターホンの音が部屋に響く。時計を見ると引越し業者が丁度来る時間だった為、特に確認する事なく玄関の扉を開けた。
『ご苦労様です、荷物は奥に…』
「グッモーニン名前!!元気にし」
ガチャン
言い終わる前に勢いよく扉を閉め鍵を掛けると、向こう側で「ひどっ!名前ちゃーん、僕だよ僕、グッドルッキングガイな五条悟がお迎えに上がったよ〜」という言葉と共に扉を叩く音が耳に届き、幻であれという淡い期待は脆くも崩れ去った。
何故この人がここにいるのか。夢では新居に来ていたはず…しかしそこまで考え、はた、と気付く。
夢の前後は断片的で曖昧だったから…まさか…東京で彼が新居に押しかけてきたのではなく、この場からずっとついて来るという未来だったのでは――?
そんな絶望的な考えが脳裏をよぎる中、ふと扉の向こうが静かになった。もしかして諦めて帰ってくれた…?と思ったのも束の間。
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーン
『っ、分かりました!分かりましたからやめて下さい!!』
今時小学生でもやらないような迷惑行為を受け、全てを諦め再度扉を開く。…やはりそこには、銀髪で長身の彼が立っていて。
「やっと出た。ったく僕の顔見た途端扉閉めるなんて非常識にも程があるでしょ」
『貴方にだけは言われたくありません!!というか、何しに来たんですか!?』
「何って、だから迎えに来たんだって。名前の処遇を伝えにきたのと、あとは名前が今後住む部屋の案内」
『そんな…っ、私は東京で補助監督さんと待ち合わせをしてるんです!その方に今後住む場所も案内してもらう予定で…!しかも仙台まで来るなんて…っ』
まるでさも当たり前かのように発せられた言葉だったが、補助監督で事足りるようなことをわざわざ特級呪術師である彼がする必要がない。
と、ちょうどその時自身が待っていた業者が彼越しに見えた。あと1時間早く来てもらうよう手配していれば良かったと後悔する私とは裏腹に、目の前の彼は明るい口調で話を進める。
「まぁそんな細かい事は気にしないでさ、ほらほら〜業者の人も来たことだし、さっさと荷物運んでもらって僕達も行くよー!」
やはり一緒に行くのだと。しかも今回は伏黒くん達はいないから、正真正銘2人きり。
…逃げたい。今すぐこの場から逃げだしたい。
しかしそんな願い叶うはずもなく、尚もハイテンションな彼を見て本日二度目となる溜息を漏らした。
「名前何怒ってんの?イライラはお肌に良くないって前言ったでしょ」
『…貴方がここにいるからだってこと、分かりませんか?』
前回同様新幹線で隣に座る彼が、大福を頬張りながら首を傾げるその姿を見て更にイライラが募る。
まぁ先程夜蛾先生に何故彼が来たのかと連絡をしたら、「すまない」という一言以外欲しい答えが返ってこなかったのも原因の一つなのだけれど。
「えー、そんなに僕のこと嫌い?これでも女性にはモテる方なんだけど」
『貴方の女性関係なんて心底どうでもいいです』
「相変わらず辛辣だね。そんなキツい性格してるとモテないよ?」
『別にモテなくてもいいです。…それより、私の処遇ってどうなったんですか』
早く会話を切り上げたいという思いから、彼がここに来た一つ目の理由を問う。…それに胸の内に留めているモノのせいで、どうしようもなく心が痛んでしまうから。
そんな私の心情など知る由もない彼は「ああ、そうだったね」と言いながら最後の一口を食べ終え、お茶を口に含んだ。
「辞める前は名前、準一級だったんだって?まぁ長く現場を離れていたみたいだから、それを考慮して階級は一段下がって二級。普段は硝子の補佐として行動し、場合によっては呪霊討伐任務にも出てもらう――っていうのが、上からの指示」
『……そうですか』
硝子先輩の補佐なんて所詮名ばかり…"現場に極力向かわせ、呪術界にとって不都合な未来を変えるように仕向けること"…それが上の狙いだろう。
医師免許の持っていない私が硝子先輩の補佐なんてたかが知れてるし、それなら現場に出て戦いつつ傷を負った人達を反転術式で治す方が効率がいい。
…そして必然的に人が死ぬ未来も視るから、現場に出ていれば私ならイヤでも行動を起こすと上の連中は思っているのだろう。
―――本当に、馬鹿の寄せ集めだ。
何故わからないのか。あの説話だって事実に擬えて作られたものだと誰しもが知っているというのに。それを知っていて尚、何故霊鬼を利用しろと容易く言えるのだろうか。
あからさまな上の思惑に憤りを感じ、それを落ち着かせるように深く息を吐いていた時、彼が二つ目の大福に手をつけながら話を続けた。
「でも準一級だったことには驚いたよ。その術式戦闘向きじゃないし、だからこそ紫苑家は裏方ばかりなのに」
『…別に、戦わざるを得なかっただけです。私は普通ではないので』
「上の連中にいいように使われてたってわけか。未来が視えるのも大変だねぇ」
あまり大変だと思っていないような口調に眉を顰めるも、次にどんな言葉が彼の口から出て来るのかと気が気ではなかった。
補助監督で事足りるはずなのに、彼自らがこんな事をする理由…それはきっと、私に対して"何か"を感じ取っているからだ。彼は以前私に対し「違和感を感じている」とハッキリ言っていたし、その正体を突き詰める為に態々来たのだと。
だから絶対に何を言われても躱してやろうと意気込んでいた時、二つ目の大福も食べ終えた彼が座席に深く腰掛け、徐に腕を組んだ。その姿にドクリと鼓動の音が早まる。
そして彼が薄く口を開き―――……
「じゃ、僕仮眠とるから。着いたら起こして」
『………へ?』
まったく予想していなかった言葉を告げられ、思わず拍子抜けしてしまった。もっとこう…過去の話だとか根掘り葉掘り聞かれると思っていたのに。
そう戸惑いつつも、取り敢えずは会話を終えられた事に安堵し、眠りにつく彼から視線を外し窓の外を眺めた。
…この時、口元が小さく弧を描いていたことに気付きもせずに。
東京についてから更に電車を乗り継ぎ歩くこと10分。最初は彼の後をついて歩いていたが、とあるマンションに足を踏み入れ、その中の様子に次第に違和感を募らせていく。
コンシェルジュが居る広いエントランスを通り過ぎ、エレベーターで辿り着いた先は最上階。更に歩いて漸く彼が足を止めたのは、角部屋から一つ隣の扉の前。
「はい、ここが名前の部屋ね」
鍵を開錠し扉を開ける様子を見て、いよいよ何かがおかしいと彼を呼び止めた。
『…ちょっと待ってください、私ここには住めません』
どう見ても私には身に余る程の高級マンション。こんなところ住めるはずもない。しかし戸惑う私を他所に、彼は平然とした態度で靴を脱ぎ部屋の中へと入っていく。
「あー家賃の心配してんの?大丈夫、払わなくていいから」
『は、払わなくていいって…っ、というか高専が私の為にこんないいところ「ここ、僕の家」
―――………は?
「まぁ正確には僕の家の隣が空いてたからそのまま買っただけなんだけどね。だからこの部屋、好きに使っていいから…って、あれ、僕が用意したって伝わってなかった?」
『…………』
………おかしいとは思っていた。
連絡を受けた時、わざわざ住む場所も用意したということに。しかも家具家電は揃っているから、必要最低限のものだけ持って来ればいいと言われたことも。けれど復帰に関しては向こう都合ではあるし、何かと考慮してくれたのだろうと納得してしまったのだ。
それが、まさかこんなことになるなんて。
『………なんで、』
嫌な汗が頬を伝う。心拍数が上がっていく。緊張で口の中が乾き、やっとの思いで出た声は掠れて。
「なんでって、そうだなぁ…名前のことをもっと知りたくて」
部屋の中、足を止めた彼が此方に振り向いた。
そして、気付く―――
……口元に笑みを浮かべるその姿は、今朝視た夢と同じだと。
「名前さぁ…僕の記憶消したでしょ」
(2021.5.31)