案内人は仮面をかぶれない

 多英は分かりやすい。何を考えているのか、とか、どう思ったのか、とか。
 たとえば、俺と多英は同郷で同じ高校の出身だけれどクラスが一緒になったことはなく、お互いなんとなく顔を知っている、くらいの知り合いだった。大学の、学科まで同じだったことから急に仲良くなったものの、多英はクラス分けの紙に印刷された俺の名前をまじまじと見ていた。
 きっと、「おめでたい名前」、だとか思っているんだろうな。そう考えていると案の定多英は言う。

「前から思ってたけど、寿くんって、すごくいい名前だね」

 あのときはまだくん付けで可愛げもあったのに、今となっては呼び捨て、悪いときは呼ばれもしない。(ねえ、とか、ちょっと、とか)(俺とお前は熟年夫婦ですかっての)
 すぐ顔に出る。だから別に、心理学に精通している人でなくとも、多英の思うことはだいたい分かるんじゃないのかな、と思う。もちろん完全な読心術ではないけれど、ある程度掌握できる程度には。
 ただし、別個体の他人というのがおおむねそうであるように、多英にだって突飛な行動というものは存在する。

「つまり寿はどうしたいの?」

 呆れたような口調で、多英が問いかける。ミルクレープを一枚一枚剥がす、という俺からすれば邪道この上ないような食べ方をしながら、ちらりとその猫のような瞳がこちらを見た。
 大学の近所のコーヒーチェーン店は、学生や主婦でにぎわっている。狭いテーブルには、多英のトレイと携帯と俺のコーヒーと携帯が乗っている。

「どう、って」
「繭香怒ってたよ。信用してないんだ、って」

 繭香がやましいことをしていたわけではないんだし、百パーセント俺が悪いんだけれども、信用していない、というのはいかがなものか。俺は決して、繭香を疑って携帯を見たわけではない。純粋な好奇心だ。

「あのさ」

 多英が硬い声を出す。

「動機はどうでもいいんだよ、肝心なのは、見たという事実でね」
「まあ、そうなんだけどさ」

 何か反論を、と思いつつ口を開いたところで、多英の携帯が震えた。

「あ、ごめん」

 着信だったようだ。多英が携帯を耳に当て、応対する。
 楽しそうに会話をする多英を見て、自分の携帯をちらりと見る。繭香から、電話はかかってこない。メッセージが無視されるわけではないけれど、電話をかける勇気はない。メッセージにいつもある可愛い顔文字や絵文字がないことが、けっこう心に痛々しい傷をつけている。
 怒っているんだ、と今更ながらに思う。
 面倒くさい、と正直感じる。そもそも俺はサプライズなんて別に好きでもなんでもないし、そこまでして誕生日を祝ってほしいわけでもない。サプライズで祝われて喜ぶのなんて、女だけだろ、とか暴論的なことまで考えてしまう。
 通話していた多英が、ふとこちらに視線を向け、携帯を顔から離した。

「学科の友達が何人か集まってるみたいだけど、行く?」
「……おう」

 そのまま、二言三言、電話の相手と言葉を交わし、多英が通話を切って席を立って俺を促したので俺も立ち上がる。
 連れ立って外に出て駅に向かいながら、そういえば、と多英が口を開いた。

「寿の誕生日って、いつなの?」
「…………」
「聞こえてる?」
「……今日」

 四月二日は、俺の誕生日だ。
 繭香はもう諦めたのだ。きっと今日の残りの時間もサプライズなんて俺の身には起こらないし、悪ければおめでとうの一言もないかもしれない。俺の携帯は、零時からずっと、繭香からのメッセージのひとつも受信しない。

「ふうん、おめでと」
「お前聞いたくせに興味なさそうな顔すんなよ」
「……興味ないもん」

 自分の爪の先を見ながら、多英が気のない返事をする。駅について、ホームに並んで立つ。多英は背が低いわけでもないし足元はけっこう高めのヒールを履いているので、俺と目線がかなり近い。とは言っても、俺だって身長は一応高めなわけで、近いだけで同じじゃない。

「平野さんってさあ」
「ん?」

 平野さんって、並んだことはないけれど、身長はどれくらいなんだろうか。ハイヒールを履いた多英と並んでもなお背が高く見えたので、俺よりも高いかもしれない。

「身長いくつ?」
「さあ……本人も知らないんじゃない……」

 多英が、曖昧な答えをしたところで、電車がくる。どこに向かうのか俺は知らないので多英についていくしかない。

「どこ?」

 満員で、聞こえなかったのか多英が答えないで電車に乗り込む。見失わないようにしないと、と思いつつも多英と向かい合うように身を寄せる。痩せ型の繭香とは全然違う、やわらかい身体が押し当てられて、俺はまったく不意に、すごく失礼なことを考えた。

「お前もしかして、平野さんより重いんじゃない?」
「は?」
「体重」

 多英が目を丸くして、それからじっとりと猫が人間を睨みつけるようなそれに変えて、尊大に顎を持ち上げて鼻息を荒くした。

「なんでわたしこんなことしてるんだろう」
「え、何」
「なんでもない」

 こんなこと、って。と聞こうとしたところで電車は駅に着き、多英はそのまま降りようとその身をぐいぐいと満員の中泳がせる。多英の背中を押しながら俺も降りて、改札に向かう。

「どこ?」

 もう一度聞くと、多英はちらりと俺のほうを振り向いて、ちょいちょいと指で進行方向を示した。そういう意味で聞いたんではない。

「店の名前、何?」
「ええっとね……今マップ開くね……」

 携帯でマップのアプリを開き、多英が何か入力して再び歩き出す。

「こっちこっち」
「だから……」

 結局、多英がマップを駆使して辿りついたのは、何の変哲もないカフェのようだった。居酒屋じゃないのか。まあ、同期にはまだ未成年の奴のほうが多いし、当たり前と言えば、そうか。
 カフェの窓は扉がついていて、そのどれもが閉まっている。そして、ドアにはクローズドの看板。

「おい、多英、ほんとにここ?」

 定休日、とかいうやつじゃないのか、これ。そう思って首を傾げると、多英も同じく首を傾げた。

「開けていいよ」

 そこで俺はなんとなく、悟る。多英にかかってきた、友人からの電話。なんでわたしこんなことしてるんだろう。俺が開ける、定休日のカフェのドア。

「……」
「……やっぱわたしこういうの向いてないね」

 俺の視線で、察されてしまったことを察したらしい。多英がため息をつき、ドアを開けるようにせっつく。
 そうっと、ドアノブに手をかける。外開きのそれを引くと、想像していたようなことは起こらない。つまり、突然クラッカーが鳴り響くとか、紙ふぶきが舞うとか。

「……?」

 店内は真っ暗だ。誰もいない。俺がとりあえずおそるおそる一歩中に足を踏み入れると、後ろからどんと背中を押された。

「わっ」

 倒れる、そう思って手を突き出すと、その腕を取られて引き寄せられた。この甘ったるい香りを、俺は知っている。
 ぱちんと音がして、電気がつく。急に明るくなって目をしばたいて、それからおそるおそる視線を泳がせる。

「……繭香」

 俺の腕を絡め取っていたのは、やはり繭香だった。クラスメイトの仕掛けたサプライズで、繭香がいるとは思っていなかったのでちょっと驚く。眉を上げて凝視すると、彼女は唇を少し尖らせてへの字に曲げた。

「まだ怒ってるからね」
「……すいません……」

 ぐるりと明るくなった店内を見回す。ふつうのカフェで、木目調のテーブルと椅子がお行儀よく並んでいる。俺と繭香以外には誰も……多英もいなくなっている。

「あのさ……」
「ハッピーバースデー寿!」

 何か、特に理由もなく何か言いかけて、それが急に野太い声に遮られる。はっとして店の奥を見れば、友達数人がケーキを持ってこちらにしずしずと歩いてきていた。その中には、多英の姿もある。
 一番俺から近いテーブルにケーキを置いて、きょとんとしている俺に多英がそのきゅっと引き締まった猫のような目を向けて、笑うように細くなる。

「栄、ごめんなさいは?」
「……ごめんなさい」
「もう見ない?」
「見ない」

 繭香のころんとした宝石みたいな瞳がじっと、値踏みするように俺を見ている。それが、きらきらと数瞬またたいて、ふんとため息をつく。

「今回だけ、許してあげる」

 どっと身体の力が抜ける。それと同時に、気づかざるを得ない。俺はこんなアクセサリみたいな女に、マジになっているんだって。しかもそのことを嫌悪するどころか、まんざらでもないと思っている自分がいて。
 繭香の背後で、多英がケーキに立てたろうそくにライターで火をつけている。ハッピーバースデーの歌を、鼻歌でうたっている。

「……サプライズって、あんまり好きじゃなかったけど……」
「え?」

 ぼそりと呟くと、繭香が聞き返してくる。
 にっこり笑っている面々を見回し、多英がすべてのろうそくに火をつけ終えたのを見届ける。大きなホールケーキに、ちゃんと二十本刺さっているのを確認し、店内がうっすらと暗くなる。

「はい、消して!」
「一発で消せたら今年一年幸せだよ!」

 謎のプレッシャーをかけられて、俺は意気込んで空気を頬に溜める。一気に吹き消すと、見事、一本残らず火が消えた。拍手が沸き起こり、再び電気がつく。
 サプライズなんて、別にそんなに好きじゃないし、そこまでして誕生日を祝ってほしいわけじゃない。
 やっぱりいざ、こうして祝われると、心臓の裏側を羽毛でくすぐられているよなむず痒さが走るし、居心地が悪いのは間違いない。口の端がひくひくするような、目蓋が引きつれるような違和感が喉元を痒くする。
 運ばれてくる美味しそうな食事を前にして、多英やほかの友人はすっかり主役のことなど忘れて楽しそうに歓談に入っている。

「栄、食べよ」
「うん」

 貸切のカフェで、友達をたくさん集めてサプライズバースデーパーティとか、俺には一生縁のないしょうもない出来事だと思っていたけれど。

「栄?」

 ブラウンの睫毛に縁取られた瞳がやわく細められて、にっこりと笑ったのが分かる。

「どしたの?」
「いや、好きだなあって思って」
「何?」

 繭香の腰を引き寄せて、友達の冷やかす声も構わず、キスをした。
 押しつけるだけの長いキスのあと、ちらりと多英のほうを見ると、慌てたように視線を逸らされた。
 隠し切れない赤い頬に、俺はなぜだか満足して、笑う。分かりやすいくせに、一番重要な誘導役なんか任されて、馬鹿な多英。恥ずかしいくせに指の隙間から覗くようにキスシーンを見てしまう多英。
 突飛な行動を取ることはあるけれど、やっぱり基本的に、分かりやすい。
 なんて、キスのあとにこうしてほかの女のこと考えているなんて知られたら、繭香は今度こそ激怒しそうなので、黙っておくけれど。

「……ありがと」

 いろいろな意味で、たぶん一生忘れられないハタチの誕生日になったと、思う。